【視点】自主返還の法的根拠を考える

公開日 2017年02月22日

自主返還の法的根拠を考える

江東総合法律事務所 弁護士  田辺 幸雄

田辺 幸雄 弁護士

1.自主返還のしくみ

 個別指導が行われると、概ね2カ月後に個別指導の結果が通知される。同時に診療報酬の自主返還の連絡が行われる。自主返還は、指導月前1年間について、個別指導で不適切とされた事項の全例について保険医療機関が自主点検し、厚生局長宛の返還同意書を提出して行われる。具体的な返還の方法は、今後支払われる診療報酬からの控除または該当する保険者への直接返還のいずれかを選択することになる。

 これらの措置は、健康保険法第73条等に基づき厚労省が定めた「指導大綱」(保発第117号)の下位の通達である医療課長通知「指導大綱における保険医療機関等に対する指導の取扱いについて」(保険発第164号)の四項「経済上の措置について」に基づいて実施されている。

 ところで、個別指導に基づく診療報酬の返還が、本来の厚労大臣の権限であるならば、なぜ、保険医療機関の自主点検→自主返還という回りくどい方法がとられるのだろうか。実は、この点に自主返還の法的根拠に関する重大な問題点が潜んでいる。

2.「指導」は、診療報酬の請求に及ばない

 個別指導の根拠は、健康保険法第73条の次の規定である。
 「保険医療機関及び保険薬局は療養の給付に関し、保険医及び保険薬剤師は健康保険の診療又は調剤に関し、厚生労働大臣の指導を受けなければならない。」

 つまり、厚労大臣の指導は「療養の給付に関し」行われるものとされている。

 それでは「療養の給付」とは何か。

 健康保険法第63条は「療養の給付」を、次のように定義している。

「被保険者の疾病又は負傷に関しては、次に掲げる療養の給付を行う。
一 診察 
二 薬剤又は治療材料の支給 
三 処置、手術その他の治療 
四 居宅における療養上の管理及びその療養に伴う世話その他の看護
五 病院又は診療所への入院及びその療養に伴う世話その他の看護」

 すなわち、療養の給付とは、保険医療機関の診療や看護を指すもので、これに対して、厚労大臣の指導が行われるのが健康保険法の建前ということになる。

3.診療報酬請求の法律関係

 これに対して、診療報酬の請求は、健康保険法第76条で、「療養の給付に関する費用の請求」として次のように定められている。
 「保険者は、療養の給付に関する費用を保険医療機関又は保険薬局に支払うものとし、保険医療機関又は保険薬局が療養の給付に関し保険者に請求することができる費用の額は、療養の給付に要する費用の額から、当該療養の給付に関し被保険者が当該保険医療機関又は保険薬局に対して支払わなければならない一部負担金に相当する額を控除した額とする。」
「療養の給付」(健康保険法第73条・第63条)と「療養の給付に関する費用の請求」(同法第76条)とは、異なる概念である。

 法律が、「療養の給付」について認めている厚労大臣の指導権限を、勝手に「療養の給付に関する費用の請求」についてまで拡張して良いものではない。 実質的に見ても、診療報酬請求の当事者は、第76条の条文から明らかにように、保険者と保険医療機関である。
 また、診療報酬に対する審査も、保険者が行うものとされている(健康保険法第76条4項、5項)。

 このように、診療報酬請求の契約当事者は保険者と保険医療機関であり、厚労大臣には当事者性がない。また、診療報酬の審査も保険者の権限であり、厚労大臣が関与する事項ではない。
 このような、法律上の原則があるために、「自主返還」として診療報酬の返還は保険医療機関が任意に行う形式がとられているのである。

4.指導大綱が出発点 

 本来、健康保険法第73条が「指導」の対象として予定していない診療報酬の請求に関する事項が、実際には指導に基づく「経済措置」として個別指導の中心となっているのはなぜか。
 それは、「指導大綱」がその冒頭の目的で、次のように規定していることに由来する。
 「第1.この大綱は、厚生労働大臣が、健康保険法第73条の規定に基づき、保険医療機関に対して行う健康保険法による療養の給付又は診療報酬の請求に関する指導について基本的事項を定める。」(原文の一部を省略)
 「指導大綱」の法的性格は、通達であり、行政機関の内部的な規律であって、法律やこれに基づく省令などのように国民を拘束するもではない(国家行政組織法第14条2項)。
 しかし、厚労省の通達にすぎない指導大綱が、指導の目的に健康保険法の定める療養の給付だけでなく「診療報酬の請求に関する指導」を加えたことから、これが肥大化・体系化されて、今日の「自主返還」制度となっているのである。

5.結論

 厚労大臣が健康保険法第73条の指導として、保険医療機関に診療報酬の返還を求めることはその権限を逸脱するもので違法である。前記の通り、健康保険法の指導の対象は、「療養の給付」に対するものであって、「療養の給付に関する費用の請求」(=診療報酬請求)には及ばないからである。
 これに加えて、個別指導は行政指導であるから、行政手続法の適用がある。

すなわち、行政指導は「相手方の任意の協力によってのみ実現されるものであ(り)」「その相手方が行政指導に従わなかったことを理由として、不利益な取扱いをしてはならない。」(行政手続法第32条) ものである。
 ここでいう「不利益な取扱い」とは行政指導の相手方の任意性を損なう取り扱いのすべてと解されている。そうすると「自主」とはいっても、実際には相手方である保険医療機関の任意性に反するような診療報酬の返還要求はこの法の趣旨に反するものといえよう。

(『東京保険医新聞』2017年2月25日号掲載)