【主張】介護医療院について考える

公開日 2017年06月08日

 2017年度末に「介護療養病床」が廃止される。その後、どのように転換がなされるのか、概要がようやく報告された(2016年12月8日厚生労働省、社会保障審議会医療部会)。

 医療機能を内包した施設系サービス(2類型)と医療を外から提供する居住系サービスという3つの新類型に転換すると発表。厚生労働省は経過期間を3年間と提案していたが、現場からの要望が強く6年間に延長される見通しである。

 日本慢性期医療協会が発表した「新たな施設類型の試算比較」によれば、3つの新類型はいずれも収支は現在より黒字化する見込みである(詳細は、日経ヘルスケア2017年2月号「特集・療養病床生き残りの条件」を参照されたい)。ただし、武久洋三日本慢性期医療協会会長が指摘しているように、今後日本は高度急性期病院と多機能型地域病院に二極化していくので、より地域のニーズに対応した病床(認知症ケアなど)が求められ、病床利用率、患者単価のアップが必要と考えられる。

 介護療養病床の廃止は、2006年の小泉改革(社会保障費の抑制を目的)での、象徴的な負の遺産であった。厚生労働省で介護保険を統括する歴代の老健課長は、法律に基づき廃止しますと言い続けてきた。しかし、結果的に病床は削減できなかったし、今後も残るのだから、病床削減による医療費の抑制は不可能だったと反省すべきである。厚生労働省(官僚)のメンツのために法律を変え、高齢者介護の現場が翻弄されてきた10数年間であった。

 「介護医療院」と聞いて、最近駅前に増加している柔整・接骨院をイメージしたのは筆者だけであろうか? 高齢要介護者の生活の場がどうあるべきか、ほとんど議論されなかったのが残念である。「居住権」すなわち日本国憲法第25条の理念が実現されているかどうかの議論が全くなされなかった。

 今、国家権力の最高責任者が声高に日本国憲法改正を叫んでいる。もちろん現行憲法は、その条文により憲法改正を否定してはいない。しかし、憲法改正を叫ぶ前に立法府の責任をすべて果たしているのか、現在の社会に憲法の理念が実現されているかどうか、を確認する必要がある。日本国憲法の理念が社会に実現されてはじめて、改憲を唱える資格ができるのではないか。

 医療費の適正化(=抑制)に成功した官僚は出世する。しかし、医療費の削減は医療経済学的には大変難しい事柄である。なぜなら医療費増加の真の原因は人口の高齢化ではないからである。医療の進歩、科学の発展そのものが本当の原因である。

 IPS細胞、抗がん剤オプジーボは、難病や癌の治療の効果が期待されているが、費用も高い。

 国民医療費の半分以上約20兆円は薬剤費である。「新薬」には、より効率的に生産する技術革新・イノベーションと価格を決めるガラス張りのルールが必要である。「医療資源を公正に分配する正義」が今求められている。

(『東京保険医新聞』2017年6月5日号掲載)

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