【視点】健康格差とソーシャル・キャピタルを考える

公開日 2017年11月13日

東京保険医協会 政策調査部長 須田 昭夫

巨大な格差が世界を覆っている

●自己責任では解消できない「差」

大企業に利益を上げさせたお零れで景気を回復させようとする〝アベノミクス”は、金融緩和によって円安、輸出増加、株価の上昇をきたし、大企業に利益をもたらした。しかし労働者の4割が非正規労働者となり、年収200万円以下のワーキングプア(働く貧困層)が、3年連続で1000万人を超え、庶民には景気回復の実感がない。次期国会には、過労死ライン以上の時間外労働を認める法案と、時間外給与ゼロ法案が上程されるという。

かつて一億総中流と謳われた日本に、貧困と格差が蔓延している。日本ばかりでなく、貧困と格差はいまや国際的にも大きな問題となっている。巨大資本、多国籍企業、超富裕層によって経済がゆがめられて、市民生活が脅かされている。

2017年7月、ドイツのハンブルグで20カ国・地域(G20)サミットが開かれた。これに先立つ6月、60カ国以上の国から200を超える団体が現地に集まり、市民社会の集い(C20)を開催した。C20は深刻化する格差と貧困の問題をとりあげ、地球上でわずか8人の富豪が所有する富が、世界人口のうち所得の低い半数が所有する富と同額になっていることを指摘した。かつてこれほど巨大な格差が、人類に見られたことはないという。

多国籍企業と超富裕層はその経済力を背景に、自らの利益のために政治を歪めている。たとえば労働基準法の改悪、環境基準の緩和、社会保障の後退、法人税引き下げ、タックスヘイブンの容認などである。さらには多国籍企業のためのインフラ整備にまで、国家予算を使わせている。

貧困が生命予後を悪化させることは、よく知られている。栄養不足、不衛生、受診の遅れなどは直接の悪化要因になるだろう。しかしいまや、さまざまな格差が生命予後に影響することが認識されてきた。生下時体重、小児期の貧困、住宅や環境の不備、孤立、虐待、短い教育年数、職業的ストレス、社会的立場など、個人の責任にできない格差は枚挙にいとまがない。

ソーシャル・キャピタルが注目される理由

●所得の差が死亡率の差

所得を5段階に分けて、4年間の死亡と要介護認定の発生割合をみた研究が、愛知県を対象にして行われた(Hirai H et al. ,2012)。最高所得層と最低所得層との間に、死亡率では男性で約3倍、女性で約2倍の差があり、要介護の新規認定は男性で約2・5倍、女性で約2倍の差があった。

●健康は社会で守るという考え方

所得格差が大きいことは個人の健康を蝕むだけでなく、社会全体の健康を損なうこともわかってきた。コミュニティーの信頼感や結束力、協調性などが、「ソーシャル・キャピタル」(社会関係資本)と呼ばれて注目されている。「地域の絆」ということばにも通じるものがあるだろう。

ソーシャル・キャピタルが豊かな地域では、住民の主観的健康感が良好で、死亡率や精神病の有病率、犯罪率が低いことなどが報告されている(Subramania SV et al.,2001)。

反対に、格差の大きい地域では、人びとが「相対的剥奪感」(劣等感)に侵され、相互の信頼感が損なわれ、社会活動の効率が低下し、犯罪も増加する可能性がある。自助・互助を言い立てて、健康を単純に個人の責任に帰する考えは誤りだろう。健康は社会全体で守ってゆくという考え方が必要だ。

やみくもな医療費圧縮は危険

社会保障費の削減を進める日本政府は、医療費支出の多い都道府県に対して、それぞれの医療費を圧縮する考えを示している。日本の国土は狭いとはいえ、南北に長く、島嶼も多く、気候風土や生活様式は変化に富んでいる。医療費支出の違いには、慎重な対応が必要だろう。

Lancet誌オンライン版(2017.07.19)で野村らは、日本人の平均余命が延長していることを報告したが、都道府県間の余命の格差が開いており、その原因は不明であるという。

都道府県間の余命格差の原因が不明であるのに、やみくもに費用を圧縮することに危険はないだろうか。費用の少ない方に合わせるために、費用の多い方を削ることが、無条件で正しくはないだろう。人口密度や生活様式、疾病の傾向などは各地域により異なる。

費用の圧縮に走りすぎる政治には、懸念を感じる。世の中すべてのことは、見えない糸でつながっている可能性がある。医療費の配分が、命の配分になるかもしれない。

(『東京保険医新聞』2017年11月5日号掲載)