憲法学習会―自衛隊を憲法に“明記しない”ことの意味

公開日 2018年03月02日

改憲に固執する現政権の不思議

180225_04_憲法学習会・長谷部恭男教授

早稲田大学大学院法学研究科  長谷部 恭男 教授


政策調査部は1月18日に憲法学習会を開催し、会員医師・従業員、弁護士ら43人が参加した。当日は、早稲田大学大学院法学研究科の長谷部恭男教授をお招きし、現政権による「憲法に自衛隊を明記することの狙い」について学んだ。 

 

180225_04_憲法学習会

現政権とマスコミが流布する“改憲情緒論”

1月24日の衆議院本会議、安倍内閣総理大臣は施政方針演説のなかで「自衛隊員に『君たちは憲法違反かもしれないが、何かあれば命を張ってくれ』というのはあまりにも無責任。そうした議論が行われる余地を無くすことが私たち世代の責任」と憲法改定にあらためて意欲を示した。自民党内で論議されている改憲の柱は、現在の憲法9条1項・2項は残しつつ新たに自衛隊を明記する、というもの。

まず長谷部氏は、一般紙等で報じられる「“自衛官の誇りと自信”を守る」のような改憲情緒論が散見されることに強い危機感を示した。

本来、憲法には安全保障に関する議論が情緒論に傾くことを抑制する役割もある。それが、いわば改憲の“口実”として、自衛官が道具に使われていると指摘する。

仮に、集団的自衛権も含めた自衛隊の“現状”を書き込むことになると、その解釈は時の政権によって如何様にも拡大しかねないと警鐘を鳴らした。

フロアーからも「なぜ現在の政権が憲法改定にこだわるのか?」について質問が続いた。長谷部氏は「現政権の真の狙いは分からない」としながら、同時に「分からないことこそが問題である」と述べた。

内容ではなく、憲法改定そのものが目的化しているのか。現行憲法が保障する“基本権”や国民一人ひとりが自由な考えを持ち行動することができる“いわば西洋的な理念”を制限したいのか。現政権が憲法改定を目指す目的も、十分な説明がなされないまま、情緒論だけで突き進もうとする現状は極めて不気味、と長谷部氏は指摘する。

「高等教育の無償化」を例に見ると、その実現には憲法改定だけでは不十分で、当然に予算措置が必要となる。しかし、現行憲法下でも予算措置を行うだけで十分実現することができる。むしろ憲法改定は必要条件でも十分条件でもない。すなわち、「憲法を変える必要のないことまで盛り込もうとしている」と、批判した。

そもそも無償化は本当に必要なのか、国会をはじめ国民的な議論はほとんど見られない。本来は、義務教育については無償化し、かつ全国一律の教育水準を確保することこそ国の責任ではないのか、とも加えた。

長谷部氏は最後に、「自衛隊を憲法に“明記しない”ことの意味」を強調した。

例えば、現在の自衛隊による活動は、国連による国際PKOをはじめ、いずれも国会で制定した法律に基づき行われている。自衛隊の個々の活動について、その必要性と合憲性を立証する責任を常に政府に課しているのだ。

さらに長谷部氏は、自身が現在の9条のもとでも自衛隊の存在は認められると考える、と前置きをしつつ、現行憲法下における自衛隊の位置づけについて、常に合憲か違憲か、または違憲の可能性があるのかの議論があることで、政府に緊張感を持った、憲法に基づく自衛隊の運用を要請しているとも述べた。

一部には、韓国やドイツのように幾度も憲法改定がなされていることを取り上げ、憲法改定に反対する意見を批判することがある。

韓国では、過去9度も憲法改定が、その内5回は全面改定している。だが、その背景にはクーデターによる政権交代があった。

ドイツでは、本来は法律で定めるような内容も憲法が網羅しており、基本的な政策を変更するには法律改定ではなく憲法を改定する必要があったと紹介した。

長谷部氏は、重要なことは回数ではなく、どのような経緯で、どのような内容を改定するのか。さらには、それによって私たちの生活や社会がどのように変わるのかを、ぜひ国民一人ひとりが考えてほしい、と結んだ。

(『東京保険医新聞』2018年2月25日号掲載)