【主張】医の倫理を考える―社会の圧力から患者をいかに守るのか

公開日 2016年10月25日

 ナチス政権による虐殺は、法律や命令に基づいて合法的に行われました。医師達は効率的な殺害方法の研究や生体実験を行いました。被害者は自国民のうち、身体的・精神的・社会的な弱者、高齢者たちでした。虐殺はやがて、少数民族のホロコーストへと拡大しました。

 第二次大戦中のナチスの犯罪に対してニュールンベルグ裁判では、「国家の方針に従っただけ」という医師のいい分は、「法律以前の、人道に反する罪」として退けられ、死刑も宣告されました。非人道的行為が合法的に行われた悲劇でした。

 第二次大戦後、この事件の全貌を知って反省した世界医師会(WMA)は、「患者の人権を守る」ために医の倫理を提言しました。

 まず医師は患者に十分な説明を行い、患者の自己決定権を擁護することを求められました。医師の判断では患者の人権を守れなかったからです。

 次いで医師には第三者からの自立(主体性)が求められました。法律や国の命令に従った医師が、患者の人権を侵害した歴史への反省です。

 三つ目に、医師団体(医師会)の自立が求められました。個々の医師の力は弱く、第三者から自立することには困難が伴います。医師会は専門職の団体として、政府、医療産業、保険団体その他の第三者が医療に及ぼす力(医療の社会化)に縛られず、独自の立場で発言し、患者と個々の医師を擁護する役割を求められました。いまや、医師会の重要な役割です。

 WMAは「患者の人権」の具体的な内容をリスボン宣言(1981)で示し、「差別なく最善の医療を受ける権利、自己決定権、守秘期待権、尊厳を尊重される権利、宗教的支援を受ける権利」などを基本的人権の原則に挙げて、擁護することを求めています。

 一方、日本は先の大戦で731部隊などが生体実験や細菌戦などの残虐な行為を行いました。ところが、政府は部隊の存在は認めたものの、国会では「細菌戦や生体実験の事実を確認できる資料はない」と答弁し、歴史に背を向ける立場をとり続けています。日本の医師会や医学界もこの問題に真摯に向き合ってきたとはいえません。

 基本的人権を「尊重する」と「擁護する」には決定的な違いがあります。「尊重する」のは医師・患者の関係ですが、社会との関係が示されていません。日本の医療界には戦後も、社会の圧力から患者を擁護するという視点が決定的に欠けているのです。そのために、「患者の人権問題」が起きてきました。その典型例が、ハンセン病患者、結核患者、そして精神病患者の、長期隔離政策でした。国家の方針が、医師たちによる「患者の人権問題」を起こしてきたのです。リスボン宣言は医師に「第三者による患者の人権侵害」を防止することを求めています。

 科学としての医学は18世紀末に芽生えましたが、いまや衝撃的な発展を続けています。医療の重要性が増加し、平均余命が延長するなかで、さまざまな倫理的な問題が生まれています。

 臓器移植、生殖医療、遺伝子診断、高度先進医療、高齢者医療、終末期医療などで、医療は神様の領域を侵すような、非常にデリケートな問題に関わるようになりました。出生前遺伝子診断一つをとっても、データをどのように利用するかという結論が出ていません。医師を含めて人類は「医の倫理」を考え続けなければならなくなりました。

 日本ではいま、医療を取り巻く環境が大きく揺れています。地域医療構想、新専門医制度、総合診療専門医、国保の都道府県化、自由診療の全面解禁、そのほか様々な問題があります。医療・介護・福祉の費用は圧縮され続けています。医師の発言が無視されていないでしょうか。社会の圧力から患者を擁護するために発言する、という視点を忘れてはなりません。

(『東京保険医新聞』2016年10月25日号掲載)