ハンセン病隔離政策への反省

公開日 2001年07月15日


国の控訴断念にみる分かりにくさ

本年5月11日、熊本地裁はハンセン病原告団体に国の賠償金支払いを命じる判決を下した。これに対し自民党と1部の官僚が控訴する姿勢を示したが、控訴予定日の前日になって突然、総理大臣は断念の決断を下す。患者団体の抗議や世論の攻勢に対する妥協なのか、あるいは参議院選挙をまえにしての人気取りであるのか、いずれにしても国の意思決定プロセスには不透明で分かりにくい部分が残り、すっきりとした論理は何も見えてこない。断念する以上は、その理由をはっきりと国民の前に示すべきだ。

ナチズムばりの隔離政策

熊本地裁のみならず、全国ですでに同様の訴訟が行われている。そのきっかけのひとつに、1996年になってようやく決定された「らい予防法」の廃止がある。

明治国家が1907年に制定したこの法律は、ハンセン病者の隔離収容政策をそのまま具現化するものとして機能した。ハンセン病者は全国各地に設置された国立療養所に強制的に隔離され、そこから出る自由を奪われ、通常の市民生活の放棄を強要された。これは基本的にナチの行ったゲットーへのユダヤ人隔離政策と同じではないか。いや、むしろ結婚や出産の自由す らない。

誰の罪か

この厳重すぎる隔離政策は、単なる感染症の予防という医学的な目標のみに基づいて遂行されたものとは思えない。その理由のひとつは、各地の国立療養所で行われていた事実上の強制断種である。

戦前に、ナチ断種法を日本流に焼き直して制定された「国民優生法」の断種対象にハンセン病者を組み入れようとする動きはあったが、感染症であることを理由に反対され実現しなかったといわれる。にもかかわらず、ハンセン病者に対する不妊手術や中絶の強要は戦前も戦後も行われ続けた。

戦前においては、国内のみならず旧朝鮮や台湾に設置された施設でも強制断種が行われていた。ハンセン病者の隔離政策の背後に優生思想があったことは間違いない。すなわち「自民族の強化」「大和民族の浄化」という明治維新以降の人種主義的理念である。しかし、この理念は単に国家の押し付けだけによって合意されたものではないだろう。そこには政府と同時に、医師を含む科学者、大学アカデミズム、宗教者、マスコミなどが、いわば共犯として関与していたのではないか。

歴史の再検証を

小泉首相はその直截的発言と改革総論に好感と期待を持たれているようだが、各論の展開はこれからだ。医療改革については、現場にいるものにとっては、よく改革の本質を見極め、きたる参院選に対処する必要があるのではないだろうか。

「救らいの父」と言われた光田健輔は、戦後の国会答弁でもハンセン病者隔離の正当性を強調した。そこには薬害エイズの安部英と同じく、専門家という壁によって批判を封じようとした構図さえ垣間見られる。医師は個人としての患者のみならず、広く社会全体に目を向けるべきだ。医学もまた社会の動向に無関心であってはならない。

東京保険医新聞2001年7月15日号より