三方一両損の怪

公開日 2002年01月25日

小泉首相は「三方一両損」といって、国民同士で痛みを分かち合えといっているが、実は落語のハナシの筋を誤解しているのだ。国が相応の金を出して解決するというのが本筋なのだ。

国の財政逼迫の源泉の一端に迫る試みをしてみたい。国の財政逼迫の原因は、やはり自民党の長期政権と対米依存の政治スタイル、また政策に対してその結果への無責任さに尽きるようだ。

赤字国債が戦後はじめて発行されたのは65年(以下西暦)度補正予算で、金額は2590億円、不況による税収減を乗り切る緊急措置だった。本格的に赤字国債が発行され出したのは石油ショックによる深刻な不況の時の75年の補正予算からで、この年に赤字国債発行のための特例法が成立した。

一方、建設国債は66年当初予算から発行された。金額は7300億円。これは有効需要拡大という位置付けで、国民の貯蓄の有効利用という側面もあった。だがこの頃から日本経済は国債依存型へと転換していくことになる。77年度には国庸依存度は32.9%にも及んだ。

本来、財政法4条では国の歳出は国債に頼らない財政運営を原則としていて、赤字国債は許されないのである。しかしこれには抜け道が作られ、公共事業費などの国の資産として残るものに限り、国会の議決を経るという条件付で国債の発行が認められた。これが4条国債、いわゆる建設国債である。これが突破口となって公共事業偏重型財政の道を突き進むことになってしまった。

一方、日米構造協議は89年に始まり「公共投資基本計画」が合意され、10年間に430兆円(最終的には630兆円に増額)の公共投資を行うことが明記された。これは日本の貿易黒字に対して内需拡大政策を迫る米国の要求を受け入れたことによるものだ。その時の米国からの要求は実に過激で、6分野、240項目に及び、日本側はその場では、すぐには受け取りを拒否した程だった。その中の「貯蓄と投資」についてはGNP比10%を公共投資にあてることを強要する内容が含まれている。

こうした背景のもとに「公共事業に50兆円、社会保障に20兆円」という歪んだ日本の財政政策がはじまった。空港、港湾、橋梁、道路などの必要性、採算性など全くお構いなしの感じだ。みんなで渡れば怖くないといって赤信号を無視して渡ってしまった。いまではこうした事態は「政治の病理」として世界中から批判の目が向けられている。

こうして見てくると政権政党の責任は今更言うまでもなく極めて重大である。三方一両損を言う前に国政担当の最高責任者として一言のお詫びぐらいは述べてもらいたいものだ。

東京保険医新聞2002年1月25日号より