[主張]日本政府は核兵器禁止条約への参加を

公開日 2021年03月10日

 核兵器の終わりのはじまり

 2021年1月22日、核兵器禁止条約(以下、TPNW)が発効を迎えた。

 核兵器廃絶を目的とした条約には、1970年発効の核不拡散条約(以下、NPT)があるが、米ロ英仏中の5カ国を核兵器保有国として認めるものだ。一方、TPNWは核兵器の使用だけではなく、開発、実験、製造、取得、保有、貯蔵、移譲、使用の威嚇をも禁止する。

 核兵器のない世界を求める世界の人々、被爆者たちの長年にわたる取り組みの成果であり、核兵器廃絶の取り組みは新たな段階に進んだと言える。

 被爆者・平和活動家のサーロー節子氏が言うとおり、まさしく「核の時代の、終わりのはじまり」である。

問われる日本の姿勢

 ここで改めて問われるべきは、日本政府の姿勢である。

 日本は「TPNWは核保有国と非保有国との分断を引き起こす」として、核保有国と共に条約への反対を表明し、交渉会議にも参加せず、国内外から驚きと非難の声が挙がった。「唯一の戦争被爆国」として原爆の悲惨さを訴えながら、一方で米国の「核の傘」に依存するという矛盾に引き裂かれた姿がそこにある。

 だが、そもそもTPNWが分断をもたらすという論理は妥当なのか。NPT第6条には、「核兵器廃絶のための条約を誠実に交渉すること」が定められているが、核兵器保有国がこれを守っていないのは明らかである。国際社会は現に分断されているのであり、むしろこの体制の限界を乗り越える動きの中でTPNWは成立したのである。

 さらに、「核の傘」は本当に安全なのかも問い直されるべきだ。

 核抑止論は、「報復を恐れない相手を止められない」「偶発的な使用の危険性」「新たな国への核拡散を止められない」「実際に核抑止が機能していることを証明できない」等の原理的な欠陥をいくつも指摘されている。何より、核抑止を前提とする限り、人類は核兵器を持ち続けなければならない(「核兵器」を「銃」に置き換えれば、銃社会のアメリカの姿そのものである)。

 そもそも、有事の際にアメリカが自国を攻撃されるリスクを負ってまで日本を守る保障はどこにもない。

 また、軍事力による「安全保障」が災害やパンデミックに対して無力なことは、COVID―19の世界規模での流行からも明らかだろう。

核兵器に「悪」の烙印を押す

 歴史的に、生物兵器禁止条約や対人地雷禁止条約など、非人道兵器・大量破壊兵器は条約によって禁止されてきた。

 これらの禁止条約の重要な効果は「規範の強化」である。当該兵器を所有することや、製造に手を貸すのは悪であるという規範が強まれば、条約に加入していない国の行動も変えることができる。

 現にTPNWが成立した2017年後半以降、核兵器関連企業への投資・融資をとりやめる金融機関が相次いでいる。核兵器に「悪」の烙印が押され、使用できない兵器になっていけば、巨額の資金を費やしてまで維持する意味があるのかが問われることになる。

 将来的には核兵器保有国のTPNW加入が必要になるにしても、「条約で核兵器を禁止したところで、核兵器保有国が参加しない限り無意味だ」という議論は誤りである。

12月の締約国会議参加を

 日本が今、問われているのは、核兵器のない世界の実現を目指すのか、それとも核兵器が存在し続ける世界に留まるのかである。

 今そこにある分断、核保有国の軍事力による世界支配の構造、そして核抑止に依存した自国のあり方を無視して「保有国と非保有国の橋渡し役」を謳うのは欺瞞だ。これ以上、態度を曖昧にすることは許されない。

 今後、第1回の締約国会議が2021年12月に開催予定で、同会議には非締約国も参加し、意見を述べることができる。日本はまず、この締約国会議にオブザーバー参加すべきだ。

 協会は、いのちを守る医師としての立場から、日本政府がTPNWに署名、批准し、核兵器廃絶に向けて積極的な役割を果たすことを求めていく。

(『東京保険医新聞』2021年3月5日号掲載)