【声明】乳腺外科医裁判「遅すぎる」無罪判決確定

公開日 2025年05月14日

2025年5月10日

一般社団法人 東京都保険医協会 
代表理事 須田昭夫 
執行役員 佐藤一樹

東京都保険医協会声明:乳腺外科医裁判「遅すぎる」無罪判決確定

はじめに

 2025年3月26日、乳腺外科医が準強制わいせつ罪に問われた事件の差し戻し控訴審における無罪判決(東京高等裁判所 齊藤啓昭裁判長、横山泰造裁判官、佐藤弘規裁判官)に対し、東京高等検察庁は上告をせず、無罪が確定しました。逮捕から8年8か月、被疑者・被告人となってからの想像を絶する艱難辛苦を乗り越えた乳腺外科医ご自身とご家族、支え続けた関係者の皆さまに心から敬意を表します。

 東京都保険医協会では、勾留中の外科医を当時の代表理事らが東京拘置所で面会して励まし、起訴後も全公判を理事や事務局員が傍聴し、その内容を理事会等で共有して寄付などの支援を続け、対外的にも東京都保険医協会本部や日本医療安全学会でシンポジウムを開催し、論文や声明も多数発表してきました。外科医師の無実を確信し、東京都保険医協会の活動に賛同を寄せていただいた全国の皆さまに改めて感謝申し上げます。

臨床医学を無視した捜査機関と刑事訴訟法の問題点

 本件症例は、性的幻覚出現の症例報告が多数なされている薬剤を含め、複数の麻酔剤・鎮静剤・鎮痛薬剤の相互薬理作用・相加相乗作用が誘発した「覚醒時せん妄」による性的幻覚の蓋然性が極めて高く、一審が判示したとおり、被害を訴える女性患者の「証言するところの被害状況は,かなり異常な状況というべきもの」でした。それにもかかわらず、捜査機関は、現場医療者の声に耳を傾けることなく、逮捕・勾留・起訴を強行し、外科医を105日間も身柄拘束しました。これは、国際的に批判を浴びている日本の「人質司法」の典型と言わざるを得ません。そもそも、日本の刑事訴訟法では、起訴前勾留を命じた裁判官に保釈を認める権限が与えられておらず、国連の「市民的及び政治的権利に関する国際規約」に照らしても異常です。

一次控訴審と刑事訴訟法の問題点

 一審の東京地方裁判所(大川隆男裁判長、内山裕史裁判官、上田佳子裁判官)が言い渡した無罪判決は「女性は、麻酔覚醒時せん妄に伴う性的幻覚を体験していた可能性があり、その証言には疑問を差し挟む余地があり、科捜研のアミラーゼ鑑定及びDNA定量検査にも信用性に疑義があり、女性の証言を補強する証明力は十分なものとはいえず、犯罪があったとするには合理的な疑いが残る」と結論づけ、法曹家らしい極めて緻密な判示がされました。

 裁判の長期化の元凶は、最初の控訴審で東京高等裁判所(朝山芳史裁判長、伊藤敏孝裁判官、高森宣裕裁判官)が、一審判決を覆し逆転有罪・懲役2年の実刑としたことです。この判決は、①非科学的誤謬(採取資料・証拠物廃棄、呈色反応結果の撮影なし、検査結果の消しゴムと鉛筆数回修正による捏造を軽視)②反医学的判断(専門家を排斥し、非専門家で司法精神医学の専門家「検察お抱え医師」による偏った証言に丸呑み依拠)③非当事者対等主義による人権侵害(看護師・病室患者証言の無視)④「疑わしきは被告人の利益に」の原則の否定など、司法の常識に反する不当なものでした。

 一審では、多大な労力と精神的苦痛の中、2年間の公判整理手続きを経て、24人の専門家らが公判に出廷して丁寧な審理を積み重ねた結果、無罪が明らかであることが判示されたのに対し、国が控訴というのは、非常に理不尽なことです。米英のように、「無罪判決には検察官は上訴できない」百歩譲って、「事実誤認を理由に上訴はできない」仕組みが必要だと思料いたします。 

 また、最高裁判所(三浦守裁判長、菅野博之裁判官、草野耕一裁判官、岡村和美裁判官)が最初の控訴審判決を単に破棄し、自ら判断する破棄自判を避け、東京高裁に差し戻したことにも長期化の責任があります。一般に、結果的に無罪であったとしても、冤罪事件における裁判の長期化は、メディア報道とSNSでの拡大からプライバシーの侵害被害や、経済的にもキャリア面でも損失を被るだけでなく、家族を失うことも稀ではありません。本件も不幸にしてそのような経過を辿りました。

捜査機関・法曹・司法に対する信頼の崩壊

 本件では、地元警察署員の初動の時点から明白な冤罪であったにもかかわらず、捜査機関組織や法廷検事、さらには女性の代理人らも、外科医を有罪にすることに拘泥し、結果として、医療界における捜査機関・法曹・司法に対する信頼が崩壊しました。

 帝王切開を執刀した産婦人科医が業務上過失致死罪などで逮捕・起訴された大野病院事件では、一審の無罪判決後、検察が控訴しなかったため、起訴から2年半ほどで無罪が確定しました。しかしながら、お産を担当する産科医療施設が激減し、産婦人科医不足を悪化させる影響があったと指摘されています。日本では、女性が罹患する癌の中で最も多いのが乳癌であり、罹患率は増加傾向です。本件により乳腺外科医となる男性医師が減っているとの指摘があり、今後の乳腺外科診療に対する影響も懸念されております。

医師団体としての人権に対する責務

 日本医学会と日本医師会は、本件の最初の控訴審逆転有罪判決言い渡し後、即座に、「行為に蓋然性がない、せん妄の有無に関する科学的根拠、検査結果の正確性―の3つの問題点がある。」「身体が震えるほどの怒りを覚えた。今回の判決はきわめて遺憾であることを明確に申し上げる。」「医師代表の機関として、有罪判決には非常に強く抗議をしていきたい。」などと見解を発表し日本医師会として、今後、医師側を全力で支援する姿勢を示しました。現段階では、今回の無罪判決に対して、日本医学会と日本医師会は静観しています。今後の声明発表を希求します。

 東京都保険医協会は、保険医の生活と権利を守ることを第1のスローガンとし、次に、国民の健康と医療の向上をはかることを目的としています。特に、医師の人権にかかわる事柄、取り分け冤罪事件については、法曹界や行政に対しても労苦や困難を辞さずに活動を継続していく所存です。

以上