【主張】“主権者は国民である”――憲法記念日にあたって

公開日 2015年05月15日

 日本国憲法は、1947年5月3日に施行された。近代立憲主義に基づく新憲法は、国家権力の濫用を抑え、個人の権利と自由を守ることを、最大の目的としている。

 かつての大日本帝国憲法では、国民の権利が「臣民権利義務」に定められていたが、「権利」は為政者からの恩恵として与えられたものにすぎず、政治に関与できる範囲は限られていた。

 日本国憲法は前文で、「日本国民は、恒久の平和を念願し、(中略)平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。(中略)われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和の裡に生存する権利を有することを確認する」と宣言した。

 高らかに平和主義を宣言した憲法前文は、日本国憲法のきわだった特色であり、憲法各条項の解釈指針とされている。日本国憲法はその徹底した平和主義により、「平和憲法」とさえ呼ばれている。

 日本は世界有数の経済大国となりながら、政治大国や覇権主義の道を選ばなかったために、世界中の信頼を集めてきた。信頼関係を作ることと不戦こそは、日本国憲法の精神である。

 日本国憲法は、前文および本文11章、103条で構成されているが、制定以来全く改定されたことがない。それは、日本国憲法は今日でもなお先進的であり、改定する必要性や妥当性がなかったのだと考えられる。

 日本国憲法は、国民主権、平和主義、基本的人権という三つの基本的原理をもっている。国民主権は、前文の「日本国民は…念願し、…自覚するのであって…決意した。」ということばに端的に現われており、主権者が国民であることが明らかである。

 基本的人権の尊重も、日本国憲法の重要な基本原理である。憲法13条は「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由および幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」と規定している。

 基本的人権には自由権、社会権、参政権などの多様な権利も包括されている。憲法にはすべての人が個人として尊ばれ、人と出会うことができ、豊かな人間関係を築き、社会に参加できることが保障されている。

 しかし、今の日本では多くの国民が苦しんでいる。公約違反、国会軽視、民意無視の政治が行われているのはなぜだろうか。憲法で縛られるべき為政者、権力者たちが憲法改正を声高に喧伝しはじめた。

 消費増税、企業減税、医療・介護・福祉の削減。人命を軽視する原発輸出と再稼働、特定秘密法・日本版NSC(大本営復活)・沖縄新基地建設などによる「戦争する国」づくり、TPP参加による薬価の高騰・農業破壊も目前にせまっている。

 憲法が優れていても、政治の方向性を決めるのは国民だ。サッカーでいうならば、半分の選手が参加しなければ、ワンサイドゲームになってしまう。まして、憲法というゴールキーパー一人に任せておくのはまずい。オールジャパンの、チーム力が生かされることを願っている。

(『東京保険医新聞』2015年5月5・15日合併号掲載)

関連ワード