北の街が揺れた――北海道幌延町 東京反核医師の会、核廃棄物施設誘致の現場を視察

公開日 2013年10月25日

9月21日・22日に、「反核医師のつどい2013in北海道」が札幌で開催された後、東京反核医師の会企画「幌延町核廃棄物施設誘致の現場視察会」を実行。9月22日・23日東京保険医協会会員の向山新先生が、北海道幌延町を訪問し、鷲見悟氏(核廃棄物誘致に反対する道北連絡協議会代表委員・幌延町議)と、川森庄次郎氏に話を聞いた。

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地下数百メートルに処分施設

幌延町は北海道北西部、主な産業は酪農。人口2557人(2013年9月)の静かな町だ。幌延町には「幌延深地層研究センター」があり、高レベル放射性廃棄物を地下数百メートルの地層へ安全に処分するため、幌延町周辺の地層や処分技術についての研究を行っている。

幌延町による原子力関連施設の誘致活動は、1980年、町長と町議全員が福島県、福井県の原発などを視察し、「原発や関連施設を積極的に誘致すべき」とする報告書を提出したことから始まる。1981年、原子力発電所の誘致を計画したが、地盤が軟弱で不適格となったため、放射性廃棄物施設の誘致活動を行った。

1984年、動燃(現・日本原子力研究開発機構)は、幌延町に放射性廃棄物の貯蔵施設と高レベル廃棄物の地層処分に向けた処分研究施設がセットに建設する「貯蔵工学センター計画」を発表。この高レベル放射性廃棄物施設誘致の動きは、幌延町、近隣自治体、そして全道で大規模な反対運動を引き起こした。

結局、2000年、北海道、幌延町そして核燃料サイクル開発機構(現・日本原子力研究開発機構)の三者で、放射性廃棄物を持ち込まない・使用しないことを内容とする「幌延町における深地層に関する協定書」が締結され、2001年、幌延町に核抜きの施設「幌延深地層研究センター」が開所した。

全道に広がる新たな反対運動

高レベル放射性廃棄物処分施設の建設地は、文献調査、概要調査、精密調査を経て決定される。しかし、現在、正式に文献調査に応じるとした地方自治体はない。今、日本の高レベル放射性廃棄物の地層処分研究がなされているのは、北海道幌延町のみ。高レベル放射性廃棄物の処分が地層処分とする国の計画のもと、どこの地方自治体も文献調査を受け入れなかったら、幌延町に高レベル放射性廃棄物処分施設が出来るのではないかと危惧されている。

実際に2011年6月、幌延町議会で宮本明町長が「文献調査は検討課題」と受け入れに含みをもたせた答弁をしている。

しかし、処分施設の反対運動は新たな動きが広がっている。鷲見氏によると、Shut泊の会(※)を立ち上げた泉かおりさんや、安斎由希子さん等、これまで反対運動をして知り合う機会がなかった人が多く参加するようになり、インターネットを駆使して運動を広げている。また全道的にも稚内での映画祭や中頓別町の署名運動など運動が活発になっており、今までより幅の広がった運動になったという。

最後に鷲見氏は今後の課題として「反対運動をすすめる、しっかりとした組織が幌延町にはない。幌延町は人口が少ないし、隣近所とも仲良くしなければならず、町を二分にする問題にしたくないという人が多い。影で支えてくれる人はいるのだけれども、反対運動で矢面に立って一緒にやる人が少ない。そこが弱みだ」と語った。

※Shut泊の会…北海道札幌市に事務局を置く。福島第一原発事故をきっかけに誕生し毎月のように札幌でデモを行う等、活発に活動している。

(『東京保険医新聞』2013年10月25日号掲載)