第五福竜丸元乗組員・大石氏の話を聞く――政府は被害実態を常に隠蔽

公開日 2013年08月25日

被爆体験を語る大石又七氏

協会公害対策環境部は7月27日、都立第五福竜丸展示館見学会を開催。役員ら8人が参加した。当日は第五福竜丸元乗組員の大石又七氏と都立第五福竜丸展示館学芸員市田真理氏から説明を受けた。

1954年3月1日、アメリカはビキニ環礁でブラボー実験と称する核実験を行った。この実験により少なくともわが国の漁船856隻が被爆。近海で操業中だった第五福竜丸の乗組員23人も被爆し、1954年9月1日、無線長の久保山愛吉氏が死亡した。

現在、第五福竜丸元乗組員のうち存命なのは7人。9人がガンにより死亡している。核実験による被爆者の追跡調査がなされていないため、その9人は被爆によるものではなく、普通の病死として扱われている。

第五福竜丸模型(大石氏作成)

 大石氏は、「被爆者という偏見や差別から逃れるため焼津から東京へ移り、14年間、自らが被爆 者であることを隠し通してきた。しかし、米ソの核実験が激しさを増し、放射能によりこれからもっと大きな被害が生じると考えたこと、第五福竜丸の乗組員仲 間達が自分の体験を語りたいのに、家族に対する差別を恐れて皆黙って死んでいったことなどをきっかけに、自らの経験を率直に語ることを決意した」と語っ た。

 また2011年3月の福島原発の事故について、「ビキニ事件と同じように重要な事実が隠蔽され、放射能の被爆の実態が過小評価されている。福島の原発事 故についても、これから重要な事実が判明してくるだろうし、放射能による病気についても新たな発見があるだろう」と語った。

 

(『東京保険医新聞』2013年8月25日号掲載)