「エネルギー基本計画に対する意見」に対する意見

公開日 2013年12月30日

2013年12月30日
東京保険医協会
政策調査部長 須田 昭夫

一、「エネルギー基本計画に対する意見」(以下「意見」)は、昨年9月の民主党政権による「2030年代に原発ゼロ」表明を投げ捨て、原発の再稼働・核燃料サイクル・もんじゅ復活・原発輸出を全面推進するものである。9万を超えるパブリックコメントを集めた、圧倒的な「原発いらない」の声を無視しており、認められない。

一、現在、原発ゼロで電力の不足がない。『意見』は原発の新設や増設についてまで「必要とされる規模を確保する」としており、必要な電力の詳細な計算がなく、計画と呼ぶに値しない。

一、「総合資源エネルギー調査会基本政策分科会」の運営は、脱原発を主張する委員を解任し、原発推進を主張する委員に差し替えて「意見」を取りまとめるという、きわめて横暴なものであり、民意を無視しているので認められない。

一、「(原発は)準国産エネルギー源、優れた安定供給性と効率性、運転コストが低廉で変動も少ない、温室効果ガスの排出もない、重要なベース電源である。」(「意見」17ページ)としている。しかし、以下のように、「原発が重要なベース電源である」根拠は全て国民を欺く詭弁である。

① 準国産エネルギー源 ⇒ ウランはほぼ100%輸入に頼っている

② 安定供給性 ⇒ 今稼働中の原発がゼロにもかかわらず電気が足りている

③ 効率性・運転コストが低廉
 ⇒ 「南海トラフ大地震」など、今後日本で予想される未曾有の事態に対応する追加安全措置には莫大な費用を要することを考慮に入れていない。原発建設から廃炉、そして半永久的に続く核廃棄物の管理コストを除外している

④ 運転時には温室効果ガスの排出もない
 ⇒原発建設から廃炉+核燃料製造過程でのCO2排出量を除外している

⑤ なにより、安全性と事故が起きた時の被害規模について、他のエネルギー源との比較がない。

一、「原子力規制委員会による厳しい水準の新規制基準(「意見」18ページ)」は外形的な規制の基準であり、安全の保証ではない。「安全性の確保が大前提」としておきながら、当該規制基準のみで再稼働の可否を判断することは誤りである。

一、「使用済核燃料は、世界共通の悩みであり、将来世代に先送りしないよう、現世代の責任として、その対策を着実に進めることが不可欠(「意見」18ページ)」とあるが、「今後より良い処分方法が実用化された場合に将来世代が最良の処分方法を選択できるようにする。(「意見」26ページ)」と述べているように、『意見』自体が、使用済核燃料の完全処理=無害化は不可能なことを認めている。「将来世代に先送りしないよう、現世代の責任として、その対策を着実に進めること」はそもそも不可能である。

一、「放射性廃棄物処分の立地選定への関心などを高めることが、国民の役割や責任としても重要である。(「意見」59ページ)」とあるが、「責任」は放射性廃棄物処分の重大性を国民に隠してきた者たちにあり、被害者であり、費用の負担者でもある国民に「責任」を求めるのは本末転倒である。

一、「安全神話」の存在を問題としているが(「意見」59~60ページ)、「安全神話」を振りまいてきた戦後の原子力政策への反省と、振りまいてきた者たちの責任追及には全く触れていない。

一、「エネルギー教育の推進」(「意見」60ページ)にいたっては、「何をかいわんや」である。先に上げた詭弁を「学校教育の現場でエネルギーに関する基礎的な知識を教育プログラムの一貫として取り上げる」(「意見」60ページ)ことは、新たな「原発神話」を児童期から刷り込もうというものである。

◇ ◇ ◇

 「福島第一原発事故では14万人もの人々が避難を余儀なくされている(「意見」23ページ)」としているのに、再稼働を進めようとする姿勢は国民の理解を得られない。避難者への対応を含め、事故の収束に力を尽くすべきであるのに、このようなエネルギー基本計画への意見を提案すること自体が、国民の生活と安全を脅かす行為である。「事故終息に対する意見」を、まず出すべきである。緊急に動かす必要のない欠陥車両は、修理して動かすか廃車にするかを検討するではないか。

 われわれは国民の命と健康を守る保険医の立場から、現世代が消費する電力のために将来世代に膨大な放射性物質を押しつける原発を拒否し、「エネルギー基本計画に対する意見」に反対する。

以上
「エネルギー基本計画に対する意見」に対する意見[PDF:144KB]