福島県をおそった太平洋南岸低気圧~震災・原発事故から3年~

公開日 2014年03月15日

福島県福島市飯野町・生協いいの診療所/福島県保険医協会理事 松本 純

福島県福島市飯野町・生協いいの診療所/福島県保険医協会理事
松本 純

福島第一原発事故から3度目の冬が訪れました。この2月の太平洋南岸低気圧による大雪は避難生活を続けている人々にとってひとしお身に染みたことと思います。

福島県の気候風土は太平洋岸の浜通り・国道4号線や新幹線の縦断する都市部中通り・雪国会津の三地方で大きく異なり今回の積雪状況もそれぞれでした。浜通りは雪から土砂降りの雨に変わって積雪はほとんど残らず、雪国会津はいたっていつもと変わらない冬の雪、むしろ都市部中通りにおいて経験したことのない大雪に見舞われました。

福島県内で避難生活を送る人々の大半は中通りの仮設住宅で暮らしています。最近では、子育て中の若い世代の人たちが移住先を見つけて個々に転出し、空き室が目立ち始めていました。すなわち、高齢者世帯が取り残されるようにして生活しており除雪作業をするのもやっとで部屋に閉じこもったまま雪解けを待つような状況でした。この2月の大雪のさなか、テレビでは東京都知事選のニュースに引き続いてソチでの冬のオリンピックが連日大々的に報道されていました。それはそれで大事なことですしオリンピックでの日本選手の活躍は良いのですが、福島県民としては世の中ではずいぶんと原発事故が過去の出来事のように思われているような気がしてなりませんでした。

さて今回の大雪です。原発事故による避難指示地域は現在では解除準備・居住制限・帰還困難の3つの地域に再編成されています。

海岸から離れた山間のある自治体では部分的には日中の出入りは自由とされ、この年末年始には5泊6日の年越し宿泊許可がありました。実はそのまま住んでいる多少の人たちがいることはその自治体関係者の間では周知の事実です。またこの3年間ずっと事業を続けている特別養護老人ホームもあります。ここにも積雪1メートルの大雪がおそったのでした。

その自治体では孤立して病気やけがによる犠牲者が出ないようにせめて救急車が通れる道幅でもと独自の努力で急ぎ重機を集めて除雪をしました。

山梨・長野県をはじめとして大雪による幹線道路の寸断によって数日にわたる大渋滞や孤立集落ではたいへんなご苦労をされたことと思いますが、福島県についてはそれほどの困難の報道はされてはいませんでした。

しかし、住んでいる人はいないことになっている避難指示地域に居る人たち、そこへの大雪を心配し援助する人たち、さまざまな矛盾を抱えつつ3度目の冬は過ぎました。これからもくりかえし訪れる冬に立ち向かわなければなりません。

(『東京保険医新聞』2014年3月15日号掲載)