【視点】司法は生きていた――大飯原発再稼動差し止め判決の意義

公開日 2014年07月25日

弁護士/福井から原発を止める裁判の会弁護団事務局長
笠原 一浩

1.判決言い渡し及びその経緯――司法は生きていた

大飯原発

福井地方裁判所は、去る5月21日、大飯原発3・4号機の運転差し止めを認める歴史的判決を言い渡しました。判決が言い渡された瞬間、弁護団や原告団事務局のメンバーが、それぞれ「差し止め認める」「司法は生きていた」という垂れ幕を掲げましたが、特に後者について、深い共感を寄せた市民は多かったことでしょう。

この判決は、仮処分決定を別とすると、福島第一原発事故後初めての、原発裁判における司法判断です。福島第一原発事故の被害を踏まえ、行政庁の判断を追認してきた裁判所の姿勢に変化が生じることが、多くの市民から期待されていましたが、この判決は、その期待に十二分に応えるものとなりました。

要旨、全文とも、原告団ホームページにアップされていますので、まだ読んでいない方は(既に読んだ方も)、ぜひご一読ください。そして、ぜひ、周りの人たちにも広めてください。

特に、判決要旨の最初のページと最後のページをご覧ください。最初のページでは、「人格権」が憲法上最も高い価値を有すること、最後のページでは、原発事故こそ本当の意味で国の富を失わせることや、ましてやCO2削減を口実に原発を推進することが言語道断であることが、大変美しい日本語で書かれています。

訴状を作成する際、私は最初(本提訴の歴史的意義、原告らがどのような思いで提訴に至ったか、請求の根拠としての「人格権」)と最後(原発がコスト削減にもCO2削減にも役立たないこと)を担当しましたので、判決の上記部分とほぼ同じ内容のことを書いたことになりますが、おそらく判決の方がより美しい文章になっていると思います。

裁判官の資質もさることながら、訴状を提出してから判決までの間に、福島から避難してこられた、あるいは若狭現地に住む原告の皆さんが口頭弁論で行った意見陳述の際、美しい福島の大地が原発事故により踏みにじられたことや、原発間近に暮らす不安などに、裁判官がじっくり耳を傾けたこと、あるいは、原告以外にさまざまな市民の皆さんの意見を目にしたことも、直接間接に、今回の判決に影響したことでしょう。

そういう意味では、原告団の勝利であるのはもとより、皆さん全体の勝利だということができます。改めて、お礼申し上げます。

2.判決の特徴――科学の本質を理解した判決

一方、そのような素晴らしい判決だからこそ、原子力ムラからの猛烈なバッシングが予想されます。新聞の識者コメント欄を見ると、さっそく御用学者の先生方が、『判決は科学を理解していない』と述べています。 しかし、少なくとも御用学者の先生方よりは、裁判所の方が、はるかに科学の本質を理解していると思います。

科学的知見とは、決して固定したものではありません。例えば、今でこそ地動説が常識でしたが、かつては天動説が常識でした。ましてや、原子力のような複雑な技術であれば、複数の科学的知見が存在するのがむしろ当然です。

モンテスキューは、今から200年以上も前に『法の精神』で、『立法、行政、司法が一つの手に握られることがあれば、すべては失われてしまうだろう』と警告しました。もし、行政がよって立つ見解のみが正しく、裁判所はそれに従わなければならないのであれば、憲法が三権分立を定め、司法権に紛争解決機能を与えた趣旨が失われてしまいます。

現に福島第一原発事故では、原発訴訟において司法が行政追認の判断を続けた結果、多くの人々が「すべては失われる」苦しみを味わうことになりました。

この判決は、そうした科学の本質、そして司法権の本質を踏まえ、(行政庁が依拠する)一方の見解が正しくて他は採用するに足りないと断じる愚を犯しませんでした。

判決は、以下述べるように、どの科学者も(関西電力自身も)認めるような事実を基礎にして、かつ、「原子炉施設の安全性が確保されない時は、当該原子炉施設の従業員やその周辺住民等の生命、身体に重大な危害を及ぼし、周辺の環境を放射能によって汚染する等、深刻な災害を引き起こす恐れがあることに鑑み、右災害が万が一にも起こらないように」(傍線筆者)という伊方最高裁判決の趣旨を民事訴訟に妥当する限りで踏まえた、ある意味では常識的といえる判断を行ったものです。そもそも、御用学者の先生方が高度な科学的知見をお持ちであれば、どうして、福島第一原発事故を防げなかったのでしょうか。

原子力発電所は、地震などの緊急事態が発生した場合、原子炉の運転を止めた上で、放射性物質を冷却し、かつ外部に漏れないようにしないと、福島第一原発で見られたような放射性物質による深刻な被害を引き起こします。

ところが、①関電も、1260ガル(基準地震動の1.8倍)を超える地震動には打つ手がないことを認めているところ、2005年から2011年までのわずか6年の間に、基準地震動を超える地震動が原発を襲ったケースが5例もあり、現在でも関電などが基準地震動を策定する方法は、従来と基本的には変わりません。②しかも、その基準地震動(700ガル)以下の地震動によってすら、外部電源や主給水ポンプといった、冷却にとって最も重要な装置が破損する可能性があります。③また、高レベルの放射性物質である使用済核燃料は、堅固な容器に覆われているわけではありません。

判決が認めた①~③の事実は、いずれも、関電も認めていることです。また、④関電は、基準地震動を超える地震動が来ても、イベントツリーに記載した諸対策を取ることにより、基準地震動の1.8倍までは対応できるとも主張していましたが、判決は、大地震時の混乱において、想定どおりの諸対策を取れる保障はどこにもない等と指摘しました。この指摘は、福島第一原発事故後においては、科学者に限らず、誰の目にも明らかになったことです。

3.おわりに――医療現場で判決の活用を

一方、この判決が出るまでには、判決も述べるように、チェルノブイリの悲惨な事故による重大な被害や、福島第一原発事故による多くの苦しみがありました。

チェルノブイリ事故以来、日本の先生方を含む、世界各国の医師がウクライナやベラルーシを訪れて、献身的に治療をなさいました。福島第一原発事故後も、多くの医師の方々が、健康不安を訴える患者さん方の苦しみに向き合っておられることと存じます。

とりわけ医療に携わる先生方におかれましては、すべての市民の宝であるこの判決を、ぜひ、各地の医療現場、とりわけ福島原発事故の被害にあわれた患者のみなさんに接する際などに、ご活用頂きたいと思います。

(『東京保険医新聞』2014年7月25日号掲載)