【特別寄稿】「辺野古基地反対」から「海兵隊の全撤去」へ

公開日 2016年08月05日

沖縄県保険医協会会長
仲里 尚実

沖縄・仲里先生写真

沖縄選挙区全ての国会議員が“オール沖縄”となる

 7月10日20時、参議院選の投票箱が閉じた。ほとんど同時に沖縄の民放テレビ局3社が“オール沖縄”の伊波洋一氏(元宜野湾市長)の「当確」を報じた。最終の票差は10万票余(35万対25万)の大差であった。この結果、沖縄選出の4人の衆議院議員、2人の参議院議員の全てが普天間基地無条件閉鎖・辺野古新基地建設反対の“オール沖縄”議員となった。
 これは歴史的な結果である。日本政府の“飴と鞭”政策で県民が分断され“基地か経済か”で沖縄の全ての選挙が戦われ、“保革”半々で議席を分け合ってきた。しかしこの5年間で県民は急速に覚醒した。“飴”だと思っていたが実は飴(沖縄が特別に優遇されている)ではないことに気付いた。一人当たりの地方交付金と国庫支出金の合計額は日本復帰後4位から11位の間で動いているだけで、3位以内になったことは一度もない。
 返還された基地が現在、生産誘発率・雇用者数などで数十倍から百倍以上の“利益”を生み出している現実を見た時「基地は産業発展の最大の阻害要因」だと気付いたのである。

日米地位協定の抜本改定を要求する

 20歳の女性がジョギング中失踪し、後に米海兵隊を退役した米軍属が逮捕された。女性は山中で半ば白骨化した状態で発見された。容疑者は居住している基地外で身柄を確保されたが、軍属であっても基地内に逃げ込んでおれば米軍人と同様に日米地位協定の保護下におかれ、沖縄県警は容疑者を逮捕できない。
 このような事件が一体何度繰り返されてきたか。1995年の海兵隊員3人による少女暴行事件で沖縄の怒りは一度沸点を超えた。この事件のあと普天間基地返還合意がなされたが、その前提が県内・辺野古への基地機能移転であり、現在まで22年間続く“辺野古の闘い”となった。いま、沖縄の世論は「普天間基地閉鎖、辺野古新基地反対」から「海兵隊の全撤去」に移った。

高江で警視庁・他県から機動隊員500人以上の動員

 国頭村高江でオスプレイなどが自由に発着できるヘリパッドの追加建設が続いている。すでに20カ所以上も運用されているが、あらたに民間地により近い場所に4カ所の建設を強行するため、警視庁始め他県からの応援を含め500人以上の機動隊員が沖縄に来た。2014年に特定危険指定暴力団工藤会の壊滅作戦で530人の機動隊員が動員されたと報じられたが、重火器をもつ暴力団と一般住民の非暴力の闘いとを同列にすること自体が極端な沖縄差別・蔑視である。
 政府は沖縄県を再提訴した(7/22辺野古埋め立ての「承認取り消し」の取り下げ)。名護市・辺野古、国頭村・高江では今も毎日住民と全国からの支援者の体を張った闘いが続いている。

(『東京保険医新聞』2016年8月5・15日合併号掲載)