貧富の差の拡大と南北間題

公開日 2002年04月25日

65倍という格差

世界のマネーが、アメリカ一国へと集中的に流れ込んでいる。その影で、世界中の人々が貧困にあえぐ‐1990年代を通じて進行したグローバリゼーションの結果である。これはもはや、クローバリセーションというより、アメリカニゼーションといったほうがよい。まさにアメリカの一人勝ちといえる。その格差がいか凄まじいかは、今年の世界経済フォーラム(WEF)でも指摘された。それによれば、アメリカと発展途上国(アフリカ・南アジア・東欧など)の国民総生産高のあいだに、実に65倍もの差が生れている(2000年)。しかも、この差はさらに拡大しつつある。また、1990年代に国をあげてグローバル化に踏み切ったアルゼンチンは、2001年末の国家負債総額がおよそ17兆円に達して、「国家破産」(デフォルト)の状態に追い込まれた。

グローバリゼーションの功罪

もともとグローバリゼーションとは、金・人・物・技術などが国境を越えて自由に移動することを意味する。本来ならば、それによってむしろ国ごとの格差がちぢまり、世界は平等の恩恵にあずかれそうな印象を与える言葉である。にもかかわらず、その結果は恐るべき貧富の差となって現われた。従来からいわれてきた南北格差もいっそう顕著になった。その理由のひとつは、クローバリゼーションのもたらした自由競争である(いわゆるメガトレンド)。この競争は熾烈かつ苛酷で、もともと競争力の弱い国や企業にとっては死を意味するに等しい。富めるものはますます富み、貧しいものは生き残ることができない。「貧困はテロの温床」というが、まさに競争に負けた貧困国でテロリストが生れている。アメリカで起きた同時多発テロを正当化するものでは決してないが、このテロの背景を分析するのなら、そこには妙にうなずけるものを、誰しもが感じとっているのではないか。もうひとつの理由はマネーゲームである。いまや一夜にして巨大な富が地球上を駆け巡る。それは実体を伴わない、単なるデジタル化された数字として表示される。

処方箋はないのか

アフガニスタンヘの復興支援会議が開かれ、日本も支援金を拠出することが決まった。だが貧困に喘ぐ国はアフガニスタンばかりではない。多数のアフリカ国家群、西アジア、バングラデシュやスリランカなど南アジアの国々、ルーマニア、アルバニアなどの東欧国家では、とうてい先進国なみの医療をうけることはできず、HIV治療薬や向精神薬などの必要最低限の医薬品すら買うことができない。先進国では当り前の薬品も、発展途上国の為替レートではおそろしく高価な品物となるからである。先進国の製薬メーカーは、どこも自社商品を、世界的に見ればきわめて高い値でしか売ろうとしない。

では、いったいクローバリゼーションの敗者に、よい処方箋があるのか。一部の国ではマイクロクレジット(貧困者への小口融資)制度が多少の実効性をあげているという。これは昔の日本の頼母子講に似た制度である。しかし根本的には、マネーゲームのような浮わついた虚業に頼らず、技術の空洞化といわれる現象の克服にむかって、地道に努力を積み上げる精神こそが、もっとも大切な指標を提供するのではないか。また、野放しの自由競争至上主義に対しても徹底的な批判がなされるべきである。その意味で、技術を軽視したところに未来はないし、発展途上国への政府支援も単なる金のばらまきではなく、技術や教育といった基本的援助に、より力を注ぐべきであろう。

東京保険医新聞2002年4月25日号より