【視点】東京における遠隔「診療」と医療安全

公開日 2017年07月18日

臨床医として、最低限の努めを果たせるのか

東京保険医協会 副会長   岩田 俊

患者と同席しての「対面診察」のない遠隔「診療」を模索する動きがはじまっています。

通信速度の飛躍的高速化、機器の小型化と各家庭への普及、データの大容量化による動画の精密化等々により、「デジタル化できる部分」が、地理的、時間的制約を超えて専門的医療を提供できる可能性を広げてきました。通信できる大容量のデータとは、主として音声を含む動画データです。

安倍内閣の「規制改革推進会議」が投資等分野として「遠隔診療」を掲げたことで、そうした模索は一気に加速しました。規制改革会議は「経済社会の構造改革を進める」「地方創成を目指した」会議で、医療や健康を前進させるためのものではないために、現場の混乱を引き起こしています。

その典型は、厚労省すら想定しなかった都市型遠隔「診療」の営業的な展開です。情報通信技術を利用する可能性に配慮しつつ、東京での都市型遠隔「診療」の問題点について考えてみます。

遠隔診療の定義と都市型遠隔「診療」

規制改革推進会議のいう「遠隔診療」は、「初診時も対面診療の必要はなく」「全て遠隔で行う禁煙外来」等々、「対面診療」と対置しての文言であることから、遠隔「診療」の定義を考えなければなりません。データとの関係では3つに分類できます。

第1に、専門家同士で診療のために使う場合。
第2に診療の場のなかで、患者と医師とが診療材料として用いる場合。
そして第3に、「データ」のみで「医療行為」をする場合です。

遠隔診療の現状

従来、遠隔診療は「放射線画像診断」「術中迅速病理診断」などが効果をあげてきましたが、専門家同士の医療行為でも責任体制等で不十分な点を残しています。

システムの所有・運用責任は誰か。情報の所有権は誰か。ときに発生する障害や、刻々と進歩する機器の限界について患者にどのように同意を得るのか、等々基準化することが求められていました。

一方、日常診療では、様々な形で利用が始まっています。たとえば小型通信機器を用いて、過去一週間の血糖値のトレンドと朝食の様子や、昨日の子どもの発疹の様子を確認したり、極端な例では治療方針の説明をビデオ撮影しようとする若い親も出現してきました。また、自室で自由に振舞っている様子をスマホで撮影し、痛みの場所や不自由な部位を推定するソフトウエアーの開発も進んでいます。

視診・問診と画像・音声データの違い

診察のなかに「大容量のデジタル化したデータ」をとりいれた場合に医療にはどのような変化が起きるでしょう。

「大容量のデジタル化したデータ」のほとんどは、一定点から持続的に撮影された音声付き連続画像データです。テレビ中継が意図せず観客席の個人の同定が可能なように、テレビ電話のデータは、表示装置の精度の違いが双方で認識の違いを引き起こす性質があります。大容量データのなかには、合意されていない訴えや所見が、保存されることを知らなければいけません。

それに対して、診察時の視診の所見は、医師が疑問に感じたところをその瞬間に詳細に確認し、視点をかえ、場合によっては語りかけ、反応を引き起こして、患者と一つひとつ合意をとってまとめたデータの抽出物です。また、音声データは、発語の様子、張り、間合い、表情との一致など、複雑な情報を内包しています。

「対面診察」では、経験が未熟であっても、人としての違和感として言葉の内容と形式の違いを感じ取り、その場で疑問を口にして訴えを引き出して対話が進みます。

それは、傾聴しても、構造的な一方的な質問項目の羅列においても、反応の在り方によって、診察方法の修正が起き、共感が起きることで、問題の本質の抽出に近づこうとしているからです。

視診や問診で得られる情報と、音声・画像データの記録は本質的に違うものです。

 
規制改革推進に関する第1次答申 規制改革推進会議(2017年5月 23 日)から抜粋

③  IT 時代の遠隔診療 

 ア  遠隔診療の取扱いの明確化 

【2017 年度上期検討・結論・措置】 
 遠隔診療について、以下の事項を含め、取扱いを明確に周知するため、新たな通知の発出を行う。 
・「離島・へき地」以外でも可能であること。 
・初診時も可能であること。 
・医師の判断で実施可能な具体的な症例として、全て遠隔で行う禁煙外来、1回の診療で完結する疾病が想定されること。
・医師の判断で活用可能なツールとして、SNSや画像と電子メール等の組合せが想定されること。

 イ  遠隔診療の診療報酬上の評価の拡充 

【2017年度検討・結論、2018 年度措置】
 遠隔診療について、診療報酬上十分に評価されておらず、普及の妨げとなっていると考えられる。 したがって、対面診療と遠隔診療を単に比較するのではなく、より効果的・効率的な医療の提供を可能とする観点から、糖尿病等の生活習慣病患者の効果的な指導・管理、血圧、血糖等の遠隔モニタリングを活用するなど、対面とオンラインを組み合わせることで継続的な経過観察が可能になり重症化を防ぐといった例も含め、診療報酬上より適切な評価がなされるよう、遠隔診療の診療報酬上の評価の在り方について、2018年度診療報酬改定に向けて対応を検討し、結論を得る。

受診機会と遠隔診療

一般の人への「遠隔診療があれば利用するか」というアンケートで、過半数が望むと答えるという結果があります。
これには、患者本人が多忙で時間的に許容できない場合と、家族の受診に際して、変化がないため「薬だけなら、診察に連れて行かなくとも」という場合があります。

第一の場合の疾病の多くは、苦痛がなく、緊急度が自己判断として低い生活習慣病のことが多いでしょう。「仕事のために時間がないから」が主たる要因ですが、自由な有給休暇取得や安定雇用が保証されても答えは同じでしょうか。
生活習慣病の診療で必須な患者の生活様式の変容は、患者ごとの個別性を理解し、今の生活への共感を基礎に、対面診察では変容の糸口を探るものです。

第二の要望の場合、子どもや、老人や、様々な障がい者が受診する機会を保障するのが、本来、家族の責任なのかを考えるべきでしょう。こうした庇護の必要な社会的弱者が、通院の援助を家族にしか依拠できない状況は、深刻な障害を二次的に引き起こします。生き続けるための重要な行為を、社会に保障されないことは、家族のなかで「厄介者」としての立場をつくり、社会への参加意欲を阻害するからです。

受診継続の安定を作ろうとする医療者の善意からの技術提供であっても、弱者の受診機会を失わせるものになってはいけません。

受診機会の妨げをなくそう

先進国でもっとも長い寿命を達成したわが国の医療体制は、フリーアクセスの自由開業制と国民皆保険で特徴づけられてきました。狭い地域に多くの専門性を持つ医療機関が密集して存在する東京においても、このような「医療を利用しづらい」状況が生み出されていることを率直に認めなければいけません。高額な窓口負担、保険証取り上げ等々と本質的におなじ結果を生んでいる状況なのです。

病気には、歴史を通して普遍的な部分がありますが、社会構造の変化により疾病も構造をかえ、重視されるべき疾病も変化し、疾病に至りやすい個体も変化しています。臨床医療も、その主権のありように合わせ、王侯貴族や金持ちのためのものから国民一人ひとりのものに軸足をかえてきました。「健康感」も同様に、富国強兵の時代から、大量消費、格差、国際化の時代に合わせた多様性あふれるものに変わろうとしています。

こうした時代に、臨床医療の「かたち」を旧来のものだけに固定化することは、国民の要望にそぐわず、「変化しつつある実態」に科学的に取り組む臨床家の専門性をも歪めることになります。安全である限り、可能な限りの診療方法の自由度を担保し、その方法による成果を全体のものにする努力が求められるでしょう。方法が基準として選択されるかどうかは、経済的な誘導がなければ患者、国民の生活実態にあっているかどうかで決まるものです。

だが、そうした視点から見て、遠隔「診療」という名で、患者の臨床の場に同席することがない方法で、寄り添い、共にその病気を受けとめる臨床医療の最低限の務めを、果たすことができるでしょうか。

スマホによる遠隔「診療」は都会的な医療難民とも呼ぶべき人たちに、少しでも専門的な医療技術を提供する糸口にしようとする模索といえなくもありませんが、結果がついてくる可能性は限りなく低いでしょう。

臨床医療の心

医療行為の基本は、継続して病者に寄り添い、嘘、偽りなく専門家として最善をつくすことです。どのような方法であれ、患者と医師との「こころ」の疎通が医療には必要不可欠であり、「同席せず行う遠隔診療」が医療行為に相当する技術になり得るかは、この点にかかっています。新しい技術の導入の模索は、技術的安定性、機器の限界、情報の位置づけと利用の範囲、保有期間の厳守等々が行政的に規定されたうえで始められる必要があります。

(『東京保険医新聞』2017年7月15日号掲載)