【視点】憲法とは何か

公開日 2019年07月30日

 ―改憲に反対する理由―

 

慶應義塾大学名誉教授・弁護士  小林 節
 

1.「憲法」とは何か?

 六法全書の「六法」とは、憲法、民法、商法、民事訴訟法、刑法、刑事訴訟法のことで、国の基本六法典(法域)のことである。
民法は私人間の取引を規律する法で、その領域で特に会社間の取引だけは商法が規律する。それらの領域で裁判沙汰が起きたら民事訴訟法が規律する。

 刑法は犯罪と刑罰を規律する。そして、犯罪が行われたと疑われた場合には、刑事訴訟法に従って公正に事実が明らかにされて責任が追及されていく。

 残る憲法は、国家統治の組織・作用の基本法と言われているが、その意味は、国家権力という異常な実力を預かっている権力者(政治家以下の公務員)が矩を踰えないように主権者国民の意思として課された最高法である。これは世界の常識である。

 ところが、2019年5月3日の憲法記念日に、改憲派三団体の中央集会をインターネット中継で見て驚かされた。若い女性が登壇して、「憲法は国家権力を縛る法」だという定義を、「それは中世の国王の絶対権力を縛る定義(つまり現代に通用するものではない)」と言い切った。これは改憲派がよく使う嘘である。しかし、中世の絶対君主は「神」の子孫を自称し一切の法的規制を受けなかったから「絶対」であったので、だから当時はそもそも「憲法」は存在しなかった。それが、米国独立戦争で初めて民主国家が成立し、本来的に不完全な「人間」が国家権力を担うことになったので、以来、権力の濫用を防ぐために「憲法」という新しい法領域が発明されたのである。

 さらに彼女は、憲法は、国会に立法権を授ける規定のように「国家の権力に根拠を与える」ものでもあると言った。これも改憲派がよく使う嘘である。しかし、国会に立法権を授けた条文は、「国会は立法権を超えるな(つまり、行政権や司法権や人権を侵害するな)」という制限規範として読むべきものである。

 この「憲法が国家に権力を与える」という主張は必ず「だから国家権力担当者は法から自由だ」という発想に繋がっていく。しかし、そこではなぜ権力者だけが法から自由なのか?の理由が示されていない。権力者が自分を拘束する憲法を煩わしいと感ずるのは自然である。でも、だからこそ憲法が必要なのである。

 

2.私が「安倍」改憲に反対する理由

 今の日本では安倍首相だけが実際に憲法改正の具体的な提案を主導できるという事実と、また、彼は9条改憲を本気で考えているという事実を、多くの人々は直視していない。

 実際には、多くの野党議員や安倍首相に批判的な知識人が、この期に及んでまだ、「改憲を考えるなら首相の解散権の制約が先だ」とか「自民党の改憲論議に応じたら、相手の土俵に乗って押し切られてしまうから、改憲論議に応じてはいけない」など真顔で語っているのには呆れてしまう。

 しかし、安倍首相が、国会各院の三分の二以上の支持に支えられて既に具体的な改憲案を世に問うて、様々に啓蒙(というよりも「宣伝」)活動を展開している事実を忘れてはならない。

 安倍「9条改憲」案は次のとおりである。それは、現行9条の次に新しく「9条の二」を加えるものである。その条文は「前条の規定は、…国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つために必要な自衛の措置をとることを妨げず、そのための実力組織として…自衛隊を保持する。」である。

 つまりそれは、要するに、「9条の存在は、新9条の二が『必要な』自衛の措置をとることを妨げない」と規定している。

 しかし、自民党政権が確立して、かつ、今後も不変だと明言している9条の解釈は、「専守防衛」であり、その意味は『必要・最小限の』自衛しか許されないというものである。それは、9条2項が明文で「戦力」と「交戦権」という国際法上の戦争遂行の為の資格をわが国に禁じているからである。だから、わが国はいくらアメリカに求められても海外派兵はできないはずなのである。

 にもかかわらず、公然と「9条と専守防衛は不変」と言いながら、今後は「9条にかかわらず、9条の二により政府が『必要』と認めた自衛行動はできる」という加憲案を提案することは、明らかに矛盾しており、「嘘」である。

 この嘘が罷り通ってしまえば、以後、自衛隊は米軍の二軍として世界の戦場へ派遣されることになる。それは、わが国がイスラム圏という新たな敵を作り、戦費破産に陥り、結果的に自国の防衛にも隙が出来ることになる。これは政策としても愚策である。

 だから私は、今、自民党が提案している改憲案には反対である。

(『東京保険医新聞』2019年7月25日号掲載)