公開日 2019年12月16日
長谷部恭男・早稲田大学大学院教授は、2015年6月4日の衆議院憲法審査会で参考人として発言し、「安全保障関連法案」に対し憲法違反の見解を示した。今回、憲法とは何のためにあり、何を規定しているのかをテーマに寄稿をお願いした。
憲法とは何か
早稲田大学 大学院法務研究科 教授 長谷部 恭男
憲法は法律の一種ですが、普通の法律とは違うところがあります。憲法の内容は大きく統治機構と権利宣言とに区分することができます。このうち、統治機構に関する規定の主な役割は、普通の法律と似ています。
本来、人はどのような行動をとるかを自分で判断し、自ら行動に移すものです。ところが法律は、人々に対し、どのような行動をとるべきか自分で判断するのはやめて法律の定める通りに行動するよう要求します。なぜかと言えば、法律の定める通りにした方が、本来とるべき行動をより効率的・効果的にとることができるからです(と法律は主張します)。
たとえば、自動車は道路の左側を通るべきだと道路交通法が定めれば(道路交通法17条4項参照)、人はいずれの側を通るべきか自分で判断する必要はありません。法律の求めるように左側を通れば、事故を起こすこともなく、スムーズに自動車を運行することができます。つまり法律は、本来各自が行うべき実践理性の判断を不要とし、ショートカットするための便利な道具です。
憲法の統治機構に関する規定も同様の役割を果たします。議会は一院制なのか二院制なのか、議員の任期は何年なのか、首相はどのような方法で選任されるのか、最高裁長官は誰が任命するのかなどの、国政を運営する上でとにかくどれかに決まっていなければならない問題につき、誰がどのように行動すればよいか、一読して分かるように定められています。
統治機構に関する定めが不明確であるために明確化が必要なとき、あるいは明確ではあるが、きわめて不都合な帰結が生じていると考えられる場合等は、憲法の規定を修正する必要が生じます。現在の日本で、内閣による衆議院の解散に関して、解散できる場合をより限定すべきではないかが議論されるのは、そうした問題の一例です。もっとも、日本の国会は第二院(参議院)の権限が比較的強い両院制で、両院の議員の任期が同期しておらず、しかも参議院は3年ごとに半数改選であるため、関連する他の規定もあわせて修正を考える必要があります。多方面に及ぶ、相互に関連する複雑な影響を総合的に勘案した検討が必要になります。
これに対して、表現の自由や個人の平等などに関する憲法上の権利保障の規定の多くは、国家機関を含めて人々のとるべき行動を明確に示してはいません。典型的な法律とは相当に性格が異なります。表現の自由が保障されること、個人が平等に取り扱われるべきことが宣言されてはいますが、これらの規定自体からは、国会や裁判所等がとるべき行動は明らかではありません。実践理性の判断を省くための道具としては役に立ちません。個人を平等に取り扱うとはどういうことか、表現の自由を守るとはどのようなことかを各自が改めて考えなければならないわけですから。
それでも、とくに困ることはありません。権利保障規定の主な機能は、人々がとるべき行動として、法律以下の実定法の示す回答がいかにも合理性に欠けるとき、その拘束力を解除する点にあるからです。
法律はどのような行動をとるべきか、改めて考える必要を省くための便利な道具です。しかし、便利な道具もときに機能不全を起こします。制定当時は合理性のあった結論も、時を経て社会の実情や通念から乖離した結論となる場合があります。また、大多数の場面ではほどほどの結論を導く法律であっても、個別の事情によってはいかにも過酷な結論となる場合もあります。そうしたときは、便利な道具にこだわるのはやめて、人本来の実践理性の地平に立ち帰り、何が適切な答えなのか、改めて考える必要があります。権利保障規定は、そうした場面でどのように行動するのが正しいのか、実践理性を働かせる人本来の姿に立ち戻るよう呼びかけているわけです。呼びかける対象には裁判官も含まれます。裁判官も人であることをやめるわけにはいきません。
権利保障に関する諸規定は、人々がとるべき行動を明確には示していません。ただし、権利保障規定の呼びかけに応じて国家機関、とりわけ最高裁の裁判官が人々のとり得る選択肢の幅を画定する法理を、有権解釈を通じて生み出すことがあります。そうした有権解釈は、普通の法律と同様の役割を果たしているわけです。憲法9条とその有権解釈との関係も、これに似ています。一旦確定した有権解釈は憲法自体と同じ価値を持つことになりますから、十分な理由がない限りは、軽々に変更すべきではありません。
以上のような観察からすれば、憲法典を「改正」して権利保障規定を足したり引いたりすることにほとんど意味がないことが分かります。「住みやすい環境」とか「美しい国土」とかといった望ましい目標を示すくらいの意味はあるかもしれませんが。憲法を「改正」すべきか否かについて考えるときは、まずは憲法の果たす役割は何かを考える必要があります。
(『東京保険医新聞』2019年12月5・15日合併号掲載)