公開日 2020年07月02日
日本ではPCR検査がなぜ進まないのか
NPO法人医療ガバナンス研究所 理事長 上 昌広
新型コロナ「抑え込み」 日本はアジアでは劣等生
新型コロナウイルスの第一波が収束し、世界各国が検証作業を続けている。安倍首相は「わが国の人口当たりの感染者数や死亡者数は、G7(主要7カ国)、主要先進国の中でも圧倒的に少なく抑え込むことができている。これは数字上明らかな客観的事実です」と自画自賛するが、この発言は額面通りには受け取れない。アジアと欧米では流行したウイルスの型も違い、一概に比較できないからだ。
世界保健機関(WHO)によれば、6月13日現在、日本では1万7382人が感染し、924人が亡くなっている。致死率は5・3%だ。これはイタリア14・4%、英国14・2%、米国5・7%など欧米諸国よりは低いが、韓国2・2%、タイ1・9%、マレーシア1・4%よりは遙かに高い。中国5・5%とほぼ同じだ。日本はアジアの中では「劣等生」と見なすことも可能だ。
「クラスター戦略」に固執 PCR検査抑制の誤り
なぜ、こんなことになったのか。それはPCR検査数を絞ってきたからだろう。6月8日現在、日本の人口1千人あたり1日平均のPCR検査数は0・03で、伊0・83、独0・56 、韓0・25、米1・38、仏0・42 とは比べものにならない。
PCR検査はウイルス感染の標準的診断方法だ。PCR検査を実施しなければ診断できない。新型コロナウイルス対策でPCR検査を仕切っているのは、厚労省―国立感染症研究所(感染研)―保健所・地方衛生研究所(地衛研)というラインだ。これらの組織がPCRを含む行政検査を「独占」することは、感染症法に規定されている。
図1は感染研のホームページから借用したものだ。実は、この関係こそ、日本でPCR検査が目詰まりした本当の理由だ。
PCR検査は、彼らの処理能力や裁量に委ねられる。元医系技官である西田道弘・さいたま市保健所長は「病院が溢れるのが嫌で(PCR検査対象の選定を)厳しめにやっていた」と公言したことは有名だ。
新型コロナウイルス対策に大きな影響力を有する専門家会議も同様だ。委員の押谷仁・東北大学大学院教授は、3月22日に放映されたNHKスペシャル『“パンデミック”との闘い~感染拡大は封じ込められるか~』に出演し、「全ての感染者を見つけなければいけないというウイルスではないんですね。クラスターさえ見つけていれば、ある程度の制御ができる」、「PCRの検査を抑えているということが、日本がこういう状態で踏みとどまっている」と述べたくらいだ。
感染症対策の基本は検査と隔離だ。3月16日、テドロスWHO事務局長が記者会見で「疑わしいすべてのケースを検査すること。それがWHOのメッセージだ」と発言したのは合理的だ。
ところが、厚労省―感染研―保健所・地方衛生研究所、さらに専門家会議は基本を踏み外した。そして、「クラスター戦略」という自らの主張を声高に唱え、日本に大きな被害を与えた。残念ながら、マスコミも医学界も、彼らのこのような姿勢を批判しなかった。
表1は4月12日現在の国内の病院・介護施設の集団感染の一覧だ。総勢893人が感染している。死亡率は約4割だ。強毒型のウイルスが流行した欧米は兎も角、東アジアで院内感染が多発したのは日本だけだ。これはPCR検査を抑制したためだ。
誤りに気づいていながら方針転換しなかった厚労省
なぜ、厚労省は頑なにPCR検査を拒んだのだろう。それは、彼らが感染症法に素直に従ったためだ。ポイントは1月28日に厚労省が新型コロナウイルスを感染症法の「2類感染症並み」に指定したことだ。
この結果、PCR検査は保健所と地衛研が独占し、検査対象は海外からの帰国者と濃厚接触者に限定されることとなった。さらに、PCR検査で感染が判明すれば、たとえ無症状でも強制的に入院させることになった。このような法的な措置が、感染症法で規定していないPCR検査の拡大や、自宅やホテルでの療養のハードルを上げた。
これはコレラなどを対象とした従来の感染症法のやり方を、そのまま踏襲しただけで、無症状の感染者が周囲にうつすことなど念頭においていなかった。
「無症状の感染者」こそ、新型コロナウイルス対策の肝だ。このことは既に世界で議論され始めていた。1月24日には、香港大学の研究者たちが英『ランセット』誌に、無症状の感染者の存在を報告している。
韓国が早期からPCR検査を実施したのは、同じコロナウイルスであるMERSの感染を経験しているからだ。知人の韓国政府関係者は「PCR検査をしないと対応できなくなる」と早期から言っていた。
厚労省が過ちに気づいたのは、1月30日、武漢からの帰国者の中に無症状の感染者がいることが報告されたときだ。緊急記者会見を開き、「新たな事態だ。潜伏期間にほかの人に感染させることも念頭において、対策をとらねばならない」と説明した。
この段階ですぐに方針転換すべきだったが、厚労省はそうはしなかった。これが国内に感染を蔓延させ、さらに軽症者を入院させねばならなかったので、病床を不足させた。この結果、世界に例のない院内感染を引き起こした。
何が方針転換を阻害したのか。厚労省―感染研―保健所・地方衛生研究所、さらに専門家会議という「感染症ムラ」の利権が、どの程度影響したのか検証が必要だ。感染研の独法化も選択肢に含めるべきだ。
また、従来型の輸入感染症しか念頭に置いてこなかった感染症法など、関連法規を見直すべきだ。今回の経験に基づき、具体的な対応が求められている。
(『東京保険医新聞』2020年6月25日号掲載)