[寄稿]原爆と非人道的な政治

公開日 2020年10月07日

原爆と非人道的な政治

1607消夏号座談会から
須田 昭夫(新宿区・須田クリニック)

 「広島と長崎への原爆投下は、第2次世界大戦の終結を早め、多くの米兵らの命を救った」とする通説がある。しかし「米国の指導者たちは、原爆を投下する必要がないことを知っていた」とする寄稿が、8月5日の米紙ロサンゼルスタイムズに掲載された。

 寄稿は歴史家のガー・アロペロビッツ氏と、ジョージ・メイソン大学のマーティン・シャーウィン教授の共著である。全米各地に広がる人種差別への抗議を念頭に、「米国は日本への核兵器使用についても、話し合うときだ」と訴えた。連合国の情報機関が、日本は降伏を免れないとの見方を、何カ月も前から報告していたことに言及している。

 当時のトルーマン大統領が、日本が近く降伏すると認識していたことは証明済みだとし、「原爆投下がなくても、日本は1945年8月に降伏していたはずだ」という、圧倒的な歴史的証拠を並べた。当時の米国の陸・海軍にいた8人の最高幹部のうち7人が、「原爆には軍事的な必要性がなく、人道的にも非難されるべきだ」と発言していた。

 7月に行われた(独)ポツダム会談では、アイゼンハワー連合国軍最高司令官(のちの米国大統領)が、「日本は降伏の用意ができており、おぞましいものでたたく必要はない」と発言した。マッカーサー元帥も、「(原爆投下は)もってのほかだ」と述べていた。原爆投下によって広島にもたらされた惨状には、米国自身が驚愕し、徹底的な報道管制が敷かれた。しかし公文書を廃棄しない米国では、歴史の真実が次第に明らかになってゆく。

 広島の原爆による死者数は、1945年8月6日から同年末までに14±1万人とされたが、2019年8月には約33万人に達した。原爆が非人道的な兵器であることを雄弁に物語る数字である。

 被爆者援護法にいう被爆者とは、①指定された区域内で、原爆に直接被爆した人、②爆発から2週間以内に、爆心地から約2㎞の区域内に立ち入った人、③救護、死体処理など、放射能の影響を受ける環境にあった人、④以上の条件の人の胎児であった人である。

 さらに広島で原爆が炸裂したあと、爆心地周辺に放射性降下物を含む「黒い雨」が強く降った地域(大雨地域。南北19㎞、東西15㎞)に住んでいた人で、放射線障害に一致する病気を発症した人も、被爆者と認められた。

 被爆者は被爆者健康手帳を交付され、健康診断を無料で受けられ、医療費などの給付を受けてきた。ところが近年の聞きとり調査によって、広島市の大雨地域の周囲には、その6倍にも及ぶ少雨地域があったことがわかり、この地域にも放射線障害と診断される人が多数放置されてきたことが明らかになった。

 2010年、広島県と広島市は国に援護区域の拡大を求めた。2012年には、広島に於いて黒い雨を浴びた人と浴びなかった人には、癌および白血病の罹患率に有意差がなかったことが発表された。

 5年に亘る黒い雨訴訟は2020年7月、援護区域の拡大を命じる判決を下した。しかし国は広島県と広島市に控訴させ、援護区域の拡大を認めない方針だ。

 被爆から75年も経過して、高齢化した被爆者が原爆症に苦しみ、援護法の適用を求めている。彼らの存在を知りながら支援を拒むことは、人道に反する罪ではないか。米国に忖度し、原爆の被害を小さく見せかける嘘をもう止めて、被爆者のことを本当に考えてみてはどうだろうか。被爆者数と原爆死は、公表されているよりもはるかに多いことがわかったのだ。

 しかし日本は歴史資料を次々と廃棄していくので、真実が闇に葬られてゆく危険がある。

(『東京保険医新聞』2020年9月25日号掲載)