3.11から10年 被災地のこれから

公開日 2021年03月27日

3.11から10年 被災地のこれから

 

 東北三協会の役員から、東日本大震災からの10年間を振り返って感じること、今求められる支援などについて、メッセージを寄せていただきました。

目指すは暮らし・コミュニティの復興


宮城県保険医協会 女性部長
横堀 育子 

 田んぼの中に家の屋根だけが流れ着き、ポールに突き刺さった車。震災後、初めて沿岸被災地を訪れた時、仙台市中心部とは全く異なる光景を目にして,言葉もありませんでした。

 あれから10年が経ち、被災地では防潮堤が築かれ、高台に住宅地が造成されました。私が毎年訪れる南三陸町の旧防災庁舎は、瓦礫が絡まった姿から「震災復興祈念公園」として整備され、女川町は中心街が10m以上かさ上げされ、新しい街として生まれ変わりました。しかし、未曽有の大震災からの復旧・復興は、簡単に成し得るものではありません。

 毎年3月にNHKが実施する被災者アンケート結果は、50%以上が「復興は思ったより遅れている・全く進んでいない」であり、原因として「地域経済の回復の遅れ」「人口減少」「地域活動の低下」が指摘されています。災害公営住宅入居や移転計画のミスマッチが、新たなコミュニティ作りを難しくしています。

 2011年から宮城県が続けてきた仮設住宅や災害公営住宅入居者への健康調査では、災害公営住宅における独居高齢者の割合が2015年で24・6%、2019年では34・5%に上昇、県全体の10・5%、12・2%より格段に大きい数字です。また、不安や抑うつ状態の指標も7・6%と国民生活基礎調査の値4・3%を大きく上回っています。加えてここ一年は新型コロナの影響で外部からの支援が入りにくい現状があります。ハード面の復興ばかりが強調されがちですが、「暮らし」や「地域コミュニティ」の復興が求められています。

 このような中、宮城県はこの調査を今年度で終了すると発表しました。また、県が策定した10年間の震災復興計画も令和2年度で終わりの時期を迎えます。しかし、在宅被災者の問題や災害公営住宅の家賃、被災者の心、健康、課題は山積しています。単に支援を縮小させるのではなく、本当に必要な支援を把握し、継続するよう、私たちは訴えていきます。

 10年前、保団連や全国の協会の方々と一緒に被災会員を一軒また一軒と訪問しました。電話もファックスもつながらない時期の訪問は、欲しかった情報が得られた、と多くの会員から大変感謝されました。その後も、特に貴協会の皆様には、長期間にわたる避難所の訪問やご支援をいただきました。さらに、サルビア会が一昨年まで毎年開催してくださった「3・11を忘れない」の、被災地に寄り添い応援してくださる姿勢に、どんなに励まされたことでしょう。この場をお借りして心より感謝申し上げます。


宮城県気仙沼市、津波で住宅街まで乗り上げた大型漁船(2011年4月12日撮影)

「懲りない日本」と呼ばれないために


福島県保険医協会 理事長
松本 純 

 東日本大震災・原発事故から10年、新型コロナ対応やワクチン接種対策に追われる毎日の中にあって、思い返す機会もかなり少なくなっていた2月13日土曜日の夜でした。震度6強の福島県沖地震におどろかされました。さあ津波が来る!今の東電福島第一原発は津波に最もぜい弱、車のガソリンを満タンにしなければ…「あの時」の記憶が瞬時によみがえるには充分な強い揺れでした。太平洋プレートが東日本に向かって「忘れるなよ」と叫んだようにも思いました。

 10年前の夏の東京です。東京駅や新宿駅などの地下街はどこも薄暗く、エスカレーターも部分的に止まっていました。「稼働している原発がゼロになった、この夏には電力不足になる、重症患者の命が危ない」などと言われました。しかし大停電は起こりませんでした。国民が電気を無駄使いするほど電力会社が儲かる仕組みだったことや原発は電力会社の利益のためにあることを証明しました。東京の人たちの節電のおかげでした。この10年で、原発に依存しない再生可能エネルギーの歩みは確実に前進しています。

 東日本大震災による福島県の直接死は1605人と全体の10分の1以下でした。しかし震災関連死は2316人におよび、震災関連自殺も今なお続き119人です。将来を見通せない長引く避難生活によります。一方でいまだ行方不明者は225名です。多くは当初の原発事故による避難指示で救助活動ができなかったためと想像されます。入院患者や老人施設入所者の緊急避難も悲惨を極めました。政府は「震災関連死」と言いますが、私は「原発事故関連」と言いたいと思います。

 今、全国の原発ではコロナ禍のスキを突くかのように再稼働がねらわれています。事故からの避難計画にあたっては入院患者や施設の入所者の福島の痛恨の経験を参考にすべきです。「原発さえなければ」と多くの福島県民がつくづくと思い知らされたものでした。「懲りない日本、次も日本」と言われかねないことにならぬよう切望します。


福島県川俣町立川俣南小学校で診療にあたる(2011年3月14日撮影)

10年は被災地復興の「通過点」


岩手県保険医協会 副会長
小野寺 けい子 

 東日本大震災からこの3月で10年になります。

 私の勤務先は三陸沿岸から約100㎞も内陸の、盛岡市内の120床の病院です。10年前のあの時、震度5弱の大きな揺れでライフラインが全てストップし、当初は患者さんの安全確保に必死でした。

 そしてライフラインが復旧した後、5月末まで様々な医療スタッフの協力を得ながら、沿岸被災地の医療支援を行いました。現地に赴くと、浜風が砂塵舞い上げ、見渡す限り瓦礫の山で、毎日この情景を見ながら避難生活を余儀なくされている人々の事を思うと胸が痛くなったのを今でも鮮明に覚えています。

 岩手の沿岸被災地は以前から高齢化率が高く過疎地域でした。震災後、基幹産業である漁業・水産加工業の再建・整備が進められてきましたが、サケ、サンマ、イカなどの主要魚種の大不漁がここ数年続いています。ワカメ、昆布、ホタテなどの養殖産業も振るわず、今回のコロナ禍がさらに経済的な追い打ちをかけています。大津波に備えた高い防波堤や新たな物流ルートとしての三陸沿岸道路などハード面の整備は一定完了しましたが、被災者の生業や生活再建は程遠いのが現状です。かさ上げされた土地も未だに空き地が目立っています。

 この間、岩手協会では被災者の医療と健康を守るために、住民アンケートを毎年実施し、国保や後期高齢者の医療費減免を実現してきました。アンケートには「免除のおかげでこれまで生きてこられた」「少ない年金では医療費まで払えない」など切実な声が多数寄せられました。しかし、県はこの4月からは減免対象を非課税世帯に限定し、12月には免除終了予定と発表しています。

 復興の基本は、被災者が生業を取り戻し、生活を続けられる見通しを持てるようにすることです。県の統計では、一定の住宅再建後も孤独死が後を絶たない状況です。丸10年は復興の通過点です。今後は被災者の生活支援はもとより、心のケアや地域のコミュニティ作りなど、中長期的に取り組む必要があると思います。

(『東京保険医新聞』2021年3月15日号掲載)