[視点]福島第一原発処理水海洋放出の危険性

公開日 2021年07月08日

福島第一原発
処理水海洋放出の危険性

                     

原子力資料情報室 共同代表 伴  英幸

 

漁業団体との約束を反故にする「海洋放出」強行

 菅義偉内閣は福島第一原発で貯蔵されている処理水(以下、汚染水)を海洋放出する方針を4月13日に閣議決定した。

 漁業者団体側は海洋放出に反対の姿勢を変えなかった。閣議決定は、合意なき放出はしないと、東京電力社長および経済産業大臣が過去に福島県内漁業団体と交わした文書約束を反古にするものだ。全国の漁業者団体のみならず、福島県漁連、JA福島中央会、県森連、県生協連が反対の共同声明を5月に発表しており、反対の声はいっそう高まっている。

 この状況に対応して、政府は理解醸成活動を本格化し、海外向けの情報発信を強め、復興庁のホームページに「ALPS処理水について知ってほしい3つのこと」と題するリーフレットを公開した。

①トリチウムは身の回りにたくさんある。

②トリチウムの健康への影響は心配ない。体内に入っても蓄積されず、水と一緒に排出される。放射線は細胞を傷つけるが、細胞には修復機能がある。

③大幅に薄めてから海に流す。

 こうした「科学的」で「正確な情報」を丁寧に発信すれば合意が得られ、風評被害がなくなると考えているようだ。

 しかし、この3つは本当に「科学的」で「正確な情報」だろうか。

 汚染水にはトリチウム以外にもセシウムやストロンチウムなど様々な放射性物質が混じっているが、ここでは処理しても取り除けないトリチウムに焦点を当てたい。

トリチウムは本当に安全なのか

 トリチウムは放射性の水素で、弱いベータ線を放出してヘリウムに壊変する。半減期は12・3年。大気中では酸素や窒素と宇宙線との反応で生成される。また、過去に繰り返し実施された大気圏内核実験で大量に生成され、現在も残っている。

 だからと言って、福島第一原発に貯蔵されている汚染水を海へ捨てることは、それらとは意味合いが異なる。現在貯蔵されている汚染水は、排出基準すら守れなくて貯蔵をせざるを得なかったものである。

 トリチウムは生物の体内に入ると一部が有機結合型トリチウム(OBT: Organically Bound Tritium)になり、体の組織に取り込まれて長く留まることが知られている。生物学的半減期は550日程度にも及ぶとの評価がある⑴。

 いっそう深刻と考えられるのは、OBTがDNAに取り込まれた場合である。DNAを構成するアデニンとチミジン、グアニンとシトシンはそれぞれ水素結合でつながっている。ヘリウムに壊変した時点でその結合は断ち切られてしまう。さらに壊変時に放出するベータ線のエネルギーによって別の部分が切断される恐れもある。弱い放出エネルギーでも化学結合を切断するには十分である。細胞には確かに修復機能があるが、100%修復することは考えにくい。特にDNAの2箇所が同時に切断された場合(2本鎖切断)は誤った修復になる恐れもある。

 OBTの影響がトリチウム水(HTO)より厳しいことは、経済産業省が設置したALPS小委(多核種除去設備等処理水の取り扱いに関する小委員会)の資料にも記載されている⑵。

 OBTとなると体内に長く留まるということは、トリチウム水の存在する環境中では、OBTの蓄積が生じ、濃縮する可能性を示す。これを伝える海外の論文や政府報告などがある。

 福島第一原発でタンクに貯蔵されている汚染水には微生物の存在も報告されている。地下水が原子炉建屋に侵入しているのだから、微生物が入り込んでいても不思議ではない。そうなると、汚染水の中の一部はOBTとして海洋放出される恐れがでてくる。このような恐れを政府は全く考慮していない。

海外でも報告される健康への影響

 ドイツ政府は原子力発電所の周辺地域で子どもたちの白血病が有意に増加しているという疫学調査結果を公表した(2007年)。これに関して、イアン・フェアリー⑶(放射線生物学者)が、定期検査で原子炉の上蓋を開けた時に一気に放出されるトリチウムによる被ばくが原因ではないかという仮説を展開している。年間平均では少ない被ばくだが、その瞬間は大きな被ばく線量となる。

 放出量の多いカナダ型原発の場合には、下流域で出産異常や子どもたちにダウン症候群の増加、新生児の心臓疾患の増加などが報告されている⑷。トリチウムの健康影響を無視してよいとの考えは「科学的」でも「正確」でもない。東電は20年1月時点でトリチウム総量を2069兆ベクレルと評価している。タンク貯蔵量は860兆ベクレルだが、事故当時のまま手付かずに高濃度の汚染水が溜まっている建屋もあるからだ。

 また、海に放出された汚染水は広範囲に均一に薄まることが想定されている。しかし、この想定は現実を反映しているとは考えにくい。潮の流れは複雑で、3層流も知られている。表層、中層、深層の流れの向きがそれぞれ異なるのである。地形によっては渦を巻く。濃度の高い場所ができても不思議ではない。

 放出されたトリチウムが海洋生物に取り込まれ、これを食料とする人間に戻ってくるのである。そのような負の連鎖を避けるためには、当面の貯蔵を継続し、放出しなくてよいようにセメントと固めるなどの措置を行い、地表で管理・保管する方法に切り替えるべきだ。固化対象のトリチウムを減らすために、その分離技術の進展にも期待したい。

【参考文献】
⑴Rosalie Bertell 「Health Effect of Tritium」(Comment to the Canadian Nuclear Safety Commission,2006年12月1日)
⑵第11回多核種除去設備等処理水の取扱いに関する小委員会資料3―3(2018年11月30日)
⑶https://www.ianfairlie.org
⑷「福島第一原発のトリチウム汚染水」上澤千尋、岩波『科学』vol.83 No・5(2013)pp.505、507
 

(『東京保険医新聞』2021年6月15日号掲載)