[視点]外国人が「ともに生きる仲間」となる日本社会とは

公開日 2021年10月09日

外国人が「ともに生きる仲間」となる日本社会とは

                     

田中 宏(一橋大学名誉教授)

 

 1960年代初め、私はアジアからの留学生受け入れの民間団体にいた。ある時、南ベトナムからの留学生はこう切り出した。「日本人は字で書く時は外の国の人=外国人と書くけれど、内心では日本に害になる人=害国人と思っているのでは…」。衝撃的な一句だった。これが私の「出発点」である。

 当時の「外国人登録証明書」は縦型の小冊子で、顔写真の下に左手人差し指の指紋が黒々と押捺され、その常時携帯が義務付けられていた。「指紋」は犯罪と結びつけられるので、外国人を「犯罪者予備軍」とみれば「害国人」になってしまう。

 1969年には「出入国管理法案」が国会に提出され、激しい反対運動が起きた。私も「入管法案撤回を求める25カ国留学生の共同声明」を手伝った。入管法案は4次にわたって国会に提出されたが、不成立に終わった。

「共に生きる仲間」は、「差別される朝鮮人」?

 1965年当時の「共に生きる外国人」のほとんどは在日朝鮮人で、その存在は、1910年に日本が朝鮮半島を強制併合し植民地としたことに起因する。1945年の終戦時点で、戦争末期に徴用された者を含め230万人の朝鮮人が日本にいたとされる。戦後その多くは朝鮮に帰還したが、約60万人が日本に残留することとなる。かつては「帝国臣民」とされたが、1952年4月28日、対日平和条約が発効し日本が主権を回復すると、一片の法務府民事局長通達により一方的に日本国籍を失い「外国人」とされた。

 同日に制定された外国人登録法には、早速「指紋押捺義務」が登場した。4月30日制定の「戦傷病者戦没者遺族等援護法」では「国籍条項」により、朝鮮人の戦傷病者戦没者遺族は対象外とされた。公営住宅にも入れず、国民年金も児童手当も対象外とされた。彼(女)らは、「共に生きる仲間」ではなく「差別される外国人(朝鮮人)」だったというほかない。

「黒船」となったベトナム難民

 1975年、ベトナム戦争終結を機にベトナムから大量の難民が流出し日本にもやってきた。同年11月、フランスのランブイエで第1回主要国首脳会議(サミット)が開かれ、日本もその一員となった。日本は国連中心外交を唱えながら人権条約はほとんど批准していなかった。仏紙『ルモンド』(78・5)は、在日朝鮮人への差別が日本の難民受け入れ消極策の背景にあると指摘した。

 1979年には国際人権規約(社会権・自由権)を、81年には難民条約を日本はそれぞれ批准した。前者の批准に伴い、公営住宅など公共住宅関連が外国人に開放され、後者に伴い国民年金法及び児童手当3法の「国籍条項」が国会で削除され、外国人もその対象とされた。ひと握りの難民が、65万在日朝鮮人への公的差別の解消に貢献したのである。

 それまでの日本の社会保障は「日本に住所を有する日本国民(傍点は田中、以下も)」を対象とし、居住要件により在外邦人を、国籍要件により在日外国人を、ともに対象外としていた。すなわち、在外邦人は「相手国」に託し、在日外国人は「本国」に託すという奇妙な形だった。
 それが、人権条約の批准に伴い「日本に住所を有する(すべての)者」を、その対象とするとの原理転換が図られた。「日本に住所を有する者」は納税義務者であり、それが社会保障の受給者であるという、ごく当たり前の社会が実現したのである。

かつて日本が国際連盟で訴えた「人種差別撤廃」

 今では少子高齢化が進み、統計が出るたびに人口減少が伝えられるが、かつての日本は移民送り出し国だった。

 第一次世界大戦後のパリ講和会議で「国際連盟」の設置が提案された時、日本政府の牧野伸顕代表は同規約に「人種差別撤廃」を盛り込むよう主張した。いわく「締約国は、…すべての国家の人民に対し、その人種及び国籍の如何により、法律上または事実上何らの区別を設けることなく、一切の点において均等公平の待遇を與べきことを約す」との文言を加えるよう求めた。

 明治以来、多くの人口を抱える貧しい日本は、一つの活路を海外移民に求めた。台湾、朝鮮などの植民地では「帝国」の威光を背にできるが、米国などでは有色人種として厳しい差別・冷遇に晒された。そこで、送り出し国の政府の「親心」からの発信だった。残念ながら、提案は実現しなかった。

 第二次大戦後に発足した「国際連合」は、1948年12月10日の総会で「世界人権宣言」を採択し、「人権の主流化」を打ち出した。

 1965年に最初の人権条約である「人種差別撤廃条約」が採択された。かつて日本がパリで訴えた「人種差別撤廃」が、人権条約という形で実現したことになる。在日朝鮮人の存在は植民地主義の所産であり、日本はその差別に向き合わねばならないのである。

 人種差別撤廃条約の採択時、日本は国連加盟国であり、総会で同条約に一票を投じた。しかし、日本が同条約を批准したのは1995年で、採択から30年も経っていた。

朝鮮バッシングとヘイトスピーチ

 2002年9月、小泉純一郎首相が訪朝し、金正日国防委員長との間で『日朝平壌宣言』に署名。金委員長は「拉致」を認め謝罪したが、「宣言」の本来の意味は脇に押しやられ、専ら「拉致問題」に収斂され「朝鮮バッシング」が吹き荒れる観を呈した。

 店頭には『マンガ嫌韓流』が平積みされ、2009年にはレイシスト集団がが京都朝鮮学校を襲撃するに至る。レイシスト集団が「朝鮮人 首吊レ 毒飲メ 飛ビ降リロ」などのプラカードを押し立て、大音響で街頭宣伝をするようになる。

 2012年12月発足の第2次安倍晋三政権は、初仕事として高校無償化制度から朝鮮高校のみ除外すると表明(他の外国人学校は対象)。下村博文文科相は記者会見で「拉致問題に進展がないこと、朝鮮総連と密接な関係にあり…」とした。

 朝鮮学校に通う幼い子どもが、ふと漏らした言葉が、私の胸に突き刺さっている「朝鮮人って、日本にいちゃいけないの」「朝鮮学校って行っちゃいけないの」。ヘイトスピーチが流行語大賞にノミネートされたのは2013年のことだった。

 人種差別撤廃条約第2条には「各締約国は、すべての適当な方法により、いかなる個人、集団又は団体による人種差別を禁止し、終了させる」とあり、日本もその義務を負っている。日本では2016年6月、取り敢えず「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取り組みの推進に関する法律(ヘイトスピーチ解消法)」が制定されたが、理念法の域を出ず、実効性を伴うものとは言えない。人種差別撤廃委員会の2018年の「総括所見」でも、「(パラ8)直接的及び間接的な人種差別を禁止する具体的で包括的な法律を採択するよう促す」とされた。

国連で問題になった朝鮮学校の無償化除外

 朝鮮高校除外は、複数の国連人権条約機関で取り上げられた。2013年4月の社会権規約委員会での日本審査では、「日本人を拉致したことは恐ろしい犯罪ですが、それと朝鮮学校に通う子どもたちとは何の関係もない、…教育を受ける権利を奪うことになる」と指摘され、「総括所見」では、「(パラ27)朝鮮学校除外は差別を構成している…、高校就学支援金制度を朝鮮学校にも適用するように」とされた。

 2014年8月の人種差別撤廃委員会の日本審査後の「総括所見」では、「(パラ19)締約国が、その見解を修正し、朝鮮高校が就学支援金制度の利益が適切に享受されることを認め、地方自治体に朝鮮学校に対する補助金提供の再開あるいは維持を要請すること。1960年のユネスコ教育差別防止条約への加入を検討するよう勧告する」とされた。日本は、教育における差別撤廃に真剣に取り組むべきとされたのである。4年後の2018年8月の人種差別撤廃委員会の「総括所見」では、「(パラ22)前回の勧告を再度表明する」と、念を押された。

 国連では、朝鮮学校除外は、子どもの「教育を受ける権利」の侵害、他の外国人学校との「差別」の問題とみているが、日本政府は、こうした勧告にまったく耳を傾けることなく、無視している。

外国人に地方参政権、なぜ日韓は非対称?

 同じ2018年勧告には他にも、「(パラ22)日本に数世代にわたり居住する在日コリアンが地方選挙において選挙権を行使できるよう確保すること」が勧告された。外国人を共に生きる仲間として受け入れる社会をつくるには、地方参政権の付与は必須であろう。

 参政権について考えるとき、国政レベルと地方レベルを区別する必要がある。日本でも在外邦人が投票できるのは衆・参両院議員の選挙だけで、地方選挙には投票できない。

 1990年に在日韓国人が地方選挙権を求めて大阪地裁に提訴した事件について、最高裁は、95年2月、請求は棄却したが、「法律をもって地方選挙権を付与する措置を講ずることは、憲法上禁止されているものではない。…右のような措置を講ずるか否かは、専ら国の立法政策に係る事柄」と判示した。

 1998年10月、当時野党の民主党と公明・平和改革が、それぞれ「永住外国人地方選挙権付与法案」を初めて国会に提出。翌99年3月、小渕恵三首相訪韓時の首脳会談で、金大中大統領は、在日韓国人への地方参政権付与を日本側に要望するとともに、韓国でも在住外国人への地方参政権付与を検討すると表明した。

 法案の提出は日本が早かったが、韓国では次の盧武鉉大統領の2005年6月、法改正が成立し、翌年の統一地方選挙から19歳以上の永住外国人に地方選挙権(被選挙権は除く)が付与され、すでに4回投票している。日本では2009年7月の解散で「法案」は廃案となり、以降永田町では話題にもならない。

 在韓日本人は、衆参両院の選挙は在韓日本公館で投票し、地方選挙では韓国の居住地で投票している。一方、在日韓国人は、大統領と国会議員の選挙は在日韓国公館で投票するが、日本の地方選挙に一票を投ずることはできない。日韓は「非対称」なのである。韓国は地方選挙権だけでなく、2007年には「在韓外国人処遇基本法」を制定し、その目的には「国民と在韓外国人が相互を理解し尊重する社会環境を作り、大韓民国の発展と社会統合に寄与する」とある。

 手元にある『外国人選挙権者のための案内書(日本語)』には、「国は各々違いますが、8枚の権利の前ではみんな平等です。大韓民国で共に暮らすあなたの声に耳を傾けます」とある。韓国では、外国人は「共に生きる仲間」という仕組みが作られつつあるように見える。外国人を「共に生きる仲間」とする社会を、日本に作るには何が求められるのか、との問いに、拙稿が少しでも応えられていれば幸甚である。
 

(『東京保険医新聞』2021年9月5日号掲載)