[視点]憲法から見た人権と感染症対策 「緊急事態条項」など必要ない

公開日 2021年10月13日

憲法から見た人権と感染症対策 「緊急事態条項」など必要ない

                     

慶應義塾大学名誉教授・弁護士 小林  節

 

1.自民党が提案している「緊急事態条項」案

 2012年に自民党は憲法の全文にわたる改憲草案を党議決定し公表した。その中の緊急事態条項の新設案は、大要、次のものである。まず、内閣つまり首相が「緊急事態」だと宣言したら、首相は、法律に代わる政令を発する権限(立法権)と、国会に代わって国の財政を処理する権限と、地方自治体の首長に指示(命令)を発する権限を持ち、国民は公の命令に従う義務を負う。これではまるでナチスの全権委任法と同じである。

 今、政府自民党は、この様な「緊急事態条項」がないから有効なコロナ対策ができない…とキャンペーンを始めている。

 しかし、それは「真っ赤な嘘」である。

2.既に現行憲法に明記されている必要な条項

 憲法は、12条で「この憲法が国民に保障する権利は、濫用してはならず、常に公共の福祉のために利用する責任を負う」と規定し、13条で「国民の権利は、公共の福祉に反しない限り、国政の上で、最大の尊重を必要とする」と規定している。

 つまり、要するに、現行憲法上、国民の人権といえども、「公共の福祉」の必要によるならば制限できる…ということである。ここで言う「公共の福祉」とは、皆が普通に人権を行使し合える幸福な社会を維持するために最低限必要な、国家の独立、治安、公衆衛生などの公益を言う。

 そういう意味では、今、コロナという「見えない」最強の敵に襲われているこの国で、公衆衛生を確保して国民の生命を守る為に社会を統制する必要は、「公共の福祉」の最たるものであろう。

 また、私達は毎日、各人の能力と好みと運に従って働き、自らの生計を立て、納税して国を支えている。この「働く」ということは、憲法22条1項が保障する職業選択・遂行の自由であり、それは、資本家にとっては憲法29条1項が保障する財産権の行使でもあり、労働者にとっては憲法27条が保障する勤労の権利でもある。

 そして、いずれの人権にも人権総論である憲法12条と13条の規制が及んでいる。これは、居住・移転の自由(憲法22条1項)や教育を受ける権利(憲法26条1項)や大学における研究・教育の自由(憲法23条)についても同様である。

 だから、自民党が言うように、コロナ対策として、もはやより強力な人権制約が不可欠ならば、それが必要だという根拠を証明して、「公共の福祉」のために立法を提案すれば良い。

 なお、憲法29条3項は、「私有財産は、正当な補償の下に、公共のために用いることができる」と規定している。つまり、政府が、公衆衛生の確保という最大の公目的のために国民の人権(就労、営業、居住、通学等)を規制する場合には、そのための各人の負担が金に換算できるものであれば金で補償しろ…と、憲法は命じている。

 だから、今、政府が、コロナ対策としてより強力な規制が必要だと考えるならば、国民の負担に対する補償を伴う立法と予算を、今でも作ることはできるし、それは行われるべきである。

 にもかかわらず、菅政権は、現行憲法下でできる事でなすべき事もしないで、その現状つまり自らの政権の怠慢を憲法の不備のせいにして、「権力分立を停止し首相独裁体制にして、国民の人権を停止する」に等しい憲法改悪のキャンペーンを始めている。

 まさに、「役立たず」どころか有害な政権である。

3.今の政権に欠けるもの

 既に、安倍・菅・竹中「利権」政権のこれまでの無策と愚策により明らかとなったことであるが、この政権には政治に不可欠で重要なものが決定的に欠けている。

 まず、何よりも「生命の尊厳に対する畏敬の念」がない。コロナ禍が始まった一昨年の末以来、外国人観光客が落としてくれる金と中国主席の来日予定とオリンピックを実施したい思惑を優先し、政府は水際作戦を怠りパンデミックを招いた。その姿勢には、国民の生命の尊厳に対する畏敬の念が全くなかった。また、その過程で専門家の意見を素直に聴こうともしなかった。そして、現政権には、首相、大臣から官僚に至るまで全ての当事者が、決定やその結果について「責任」を取るという姿勢が全く見られない。

 正に、私達国民は無政府状態の国家に納税だけを強いられている状態である。

 だから、どんなに遅くとも今年の11月には必ず来る総選挙において、私達主権者は、この有害・無益な政権を退陣に追い込むべきであるし、それが可能な状況にある。


 

(『東京保険医新聞』2021年9月25日号掲載)