【視点】専守防衛と敵基地攻撃能力 ロシアのウクライナ侵攻から何を学ぶか?

公開日 2022年06月10日

専守防衛と敵基地攻撃能力 ロシアのウクライナ侵攻から何を学ぶか?

                     

慶應義塾大学名誉教授・弁護士 小林  節

 

1 護憲派にとって悩ましい現実

 1945年に敗戦を体験した日本は、心を入れ替えて、「非戦の誓い」(憲法9条)を立てて、今日まで平和で来れた。しかし、それは一種の虚構(フィクション)であった。つまり、日本国憲法は「諸国民の公正と信義に信頼して」(前文2段)と言い切っているが、現実にはロシア、中国、北朝鮮の行動に公正と信義はなさそうである。だから、実際には世界最強の在日米軍と精鋭自衛隊に守られて私達は平和を享受して来た。

 ところが、2月24日にロシア軍がウクライナに軍事侵攻を始めたことにより、9条護憲派は悩ましい現実を突き付けられてしまった。平和を支える軍事力の問題である。

2 改憲派の勘違い

 他方で、旧来の改憲派もウクライナ事変の意味を勘違いしてしまい、「だから、改憲して『国防軍』を保持して、日本国民の『国防の意思』を明確に示さなければ危ない」、さらに、「核武装や敵基地攻撃能力(先制攻撃能力)を持つべきだ」等の勇ましい発言が飛び出して来た。

 しかし、そういう方向で改憲作業に入って、順調にそれが成就してもまず半年はかかる。それは、仮想敵国から見れば「日本の軍国主義の復活」であり、それこそ、日本が、ロシアが攻め込んだ直前のウクライナ以上に敵対的な国家に見えてしまう。愚かである。

3 憲法9条の意味と意義

 そこで、今、改めて現行9条の下で何ができるのか?その法意を確認しておきたい。

⑴1項は、要するに「国際紛争を解決する手段としての戦争」を放棄している。これは、パリ不戦条約(1928年)以来の国際法用語としての「侵略戦争」の放棄である。だから、日本はロシアのような侵略国家にならないと世界に誓っている。これは自ら守ることができる。

⑵さらに2項は、国際法上、国家が戦争を行う際に不可欠な「戦力(軍隊の類)」と「交戦権」を自らに禁じている。つまり、わが国は国際法上の戦争に海外で参加することはできない。だから、国連のPKO(平和維持活動)に参加した際にも日本は警察支援か行政支援しかできなかった。

⑶それはそれとして、わが国にも、独立主権国家である以上、自然権(つまり条文上の根拠のいらない当然の権利)として「自衛権」はある。だから、1950年に勃発した朝鮮戦争を契機に、警察予備隊→保安隊+海上警備隊→自衛隊が創設された。つまり、自衛隊は、警察の対応能力を超えた暴力(例えば外国の軍隊による侵攻)に対応する「軍隊の如き実力を備えた第二の警察」である。警察と法的に同質の機関である以上、その憲法上の根拠は65条(行政権)でその管轄は当然に日本国の領域(領土・領海・領空)+周辺の公海・公空だけである。つまり、元々、「軍隊と交戦権を持たない日本」(9条2項)の自衛隊である以上、外国の領域には攻め込めないので、「専守防衛」という役割を担った組織である。

4 勇ましく愚かな敵基地攻撃能力論

 「敵基地攻撃能力」とは、他国からの軍事攻撃を受けた場合に、その攻撃の発進基地を叩き返す能力を持たなければ有効な防衛はできない…という軍事的合理性のある主張ではある。しかし、同時に、「やられてからやり返す」という専守防衛論では、やられて滅んでからではやり返す能力も残っていないのではないか…という矛盾を内包している。そこから、「相手が攻撃態勢に入ったら撃つ」という先制攻撃論に転化して行く。しかし、これではロシアと同じ軍国主義になってしまう。これは、日本国憲法に違反する。「だから改憲が必要だ」と主張される。しかし、それ以前にそれは政策として危険すぎる。

 今回図らずも明らかになったことだが、権力者が堕落している専制国家の軍隊は「弱い」。確かに、権力者が私欲を追及している国の兵士達が国の命令で命を捨てようなどと思わないのは当然である。加えて、幹部達の汚職体質から、軍の予算の中抜きが起きるのか、軍隊の装備も意外に脆弱である。

 だから、ウクライナ事変から学んで、今、わが国が行うべきことは、専守防衛の質を高めそれを世界に見せることで、私はそれで充分だと思う。

 世界第三位の経済大国で、紛れもなく技術先進国で、教育水準の高いわが国は、現に保有している精鋭自衛隊の装備と運用方針を改善するだけで、現状以上の抵抗能力を持つことができるはずである。

 そして、それこそが仮想敵国に対する十分な抑止力になる。


 

(『東京保険医新聞』2022年5月5・15日号掲載)