[視点]「医療DX」は医療の根底を崩壊させる

公開日 2022年12月09日

「医療DX」は医療の根底を崩壊させる

                      

広報部長 岩田 俊

 

オン資義務化の真の目的は医療情報収集の基盤づくり

 患者と医師の信頼関係の根源であり、ヒポクラテスの時代から世界中で医療の職業倫理とされてきた「守秘義務」が、わが国では今、音をなして崩れようとしている。

 「骨太の方針」にもとづいて、医療行為を「全国医療情報プラットフォーム」という共通カルテに記載させ、国民の病気に関わる情報を「国」のものにする企てが強引に進行している。今年度はすべての医療機関へ「顔認証システム付きオンライン資格確認」を力づくで導入させようとしているが、これは危険なマイナンバーカードの取得率を上げる方策としてのみ打ち出されているのではない。その真の目的は、高速データ回線を医療機関に設置させ、双方向の大量データ転送を可能にする常時接続のネットワークを医療機関と国とで形成し、全国共通の電子カルテに移行する基盤づくりである。

 どの国においても医療情報は「機微情報」の最たるものとして、収集してはいけないものとされてきた。その原則は、医療にとって不可欠なばかりでなく、歴史上、幾多の「国家」によって医療情報が民族浄化、虐殺、差別に利用されてきた忌まわしい教訓にもとづいている。ナチスの虐殺の選別が医師によるものであったことを2010年ドイツ精神医学会は謝罪し、その調査は現在も続いている。

 これは決して過去の問題ではない。元CIA職員のスノーデン氏による内部告発では、アメリカ国家安全保障局(NSA)は、医療情報ばかりでない日常的な個人への情報収集と謀略に、CIAをしのぐ膨大な費用を使っているのだ。米国内では、自国民への情報収集、盗聴は法律で禁止されているが、NATO同盟国であるドイツのメルケル首相(当時)に対して電話盗聴を年余にわたって続けてきたことを認めている。

企業主体に置き換えられた「日本型DX」

 わが国では、「医療DX」と名付けられた企てが、専門学会、医療現場、患者国民に落ち着いて検討する時間を与えず、「工程表」に基づいて、一気呵成に推進されている。政府自ら「デジタル化は漸進主義でなくショックセラピー型で抜本的に移行する」と説明し、オレオレ(特殊)詐欺に学んだかのように既成事実化している。

 この電撃的な作戦は、2004年にエリック・ストルターマン氏が提唱したデジタルトランスフォーメーションについての研究報告が土台にされている。情報技術の発展により「デジタルとリアルの世界」が日常的に混在する現代社会において、「取るべき調査研究の態度」が述べられている。そこでは「よい人生」は人それぞれで、無限で、複雑なので、変化の中でおきる個人の体験の矛盾もまた、無限で複雑になる。だから情報システム研究者は「美的体験の概念を評価の候補」とすべきであるというのである。それによって、「創造的、かつ急激なアプローチ」で起きる人々の矛盾・変化を分析するのに多大な時間を弄することなく、「全体性や即時性」を「超越的」に分析できるというのである。

 この報告自体を善意でとらえれば、技術発展に伴う「個人の体験の変化」を基盤においての研究という側面もあるが、その中のファッショ性を恣意的に利用する形で改変されたものが、「日本のデジタル・トランスフォーメーション」政策だといえるだろう。経産省の定義では、「企業が外部エコシステム(顧客、市場)の破壊的な変化に対応しつつ、(中略)価値を創出し、競争上の優位性を確立すること」とまさに企業主体の概念に置き換わっているのだ。

 政府は、IT産業に対し大手企業には公共事業や海外企業買収で利潤をあげさせる一方で、中小IT企業を「ベンダー」として使い捨ててきた。IT業界が国際競争力を失ってしまったのは、国民それぞれの願望や生活に結びついたIT技術を育ててこなかった結果であり、「医療DX」のような救済方法では未来はないと知るべきだ。

医療DXは国民の健康向上に繋がらない

 また、現代社会においては膨大な「生活習慣」病が生み出されているが、国によるただのデータ集積では、どれほど大量の個人のデータを集めようとも有益な結果は出てこないことも知るべきだろう。病気は社会構造の中で生み出されており、その原因は「国」にある。

 我が国では戦後80年ほどの間に、土地と自然に結びつき、しがらみの強い農業中心の生活から、都市型の大量生産消費の生活に置き換わった結果、疾病構造の大きな変化が起きた。それが「生活習慣」病、がん、精神病、依存症、認知症等々であり、それらは次第に深刻化している。それまで、それなりに上手に役割を持ち、健康に人生を送っていた人々の身体から、労働状況や生活の変化によって「病的」な部分があぶりだされているのである。

 そのような健康破壊から国民の健康を取り戻そうとしてきた主力は、けっして「国」や研究機関ではない。戦前、軍医として、健兵健民方策により徴兵検査で青年を選別し戦地に送り出し、制約された乏しい食糧と医療物資で、不十分な医療しかできず生還した医師たちの多くが、戦後、保険制度の下で開業臨床医として、経済的な困窮から脱却する地域住民とともに暮らし、疾病構造の変化に対応してきたのだった。

 病気の原因は従前のように研究室のシャーレの中の病原体ではなく、地域での労働や生活の中に見いだされるものとなり、長時間の労働、ゆとりのなさからの価値観の変化、危険物質など、新たな医療の形が模索されているのである。

 悪しき「生活習慣」は、本人が好んでやっているのではない。余裕がなくてせざるを得ないのか、当たり前な生活と思いこんでいるか、そうなりやすい傾向があるかである。患者の過去からの情報と、情報を共有する医療者との信頼関係の価値は、治療的成果のために計り知れない重要性をもっている。

 疾病の予防にも治療にも、患者本人に合わせて情報が提供され、専門家との人間的交流を通し、自助グループのような集団的な触発で、価値観や行動の変容が起きることこそが治療的な効果を上げるのである。医療における患者情報は、患者ごとに個別な形で患者のそばになければならないし、患者の理解している部分、医療者が評価しつつ患者の変容が引き起こされていない部分が、それぞれ秘匿されつつ、患者のためだけに使われなければならない。医療にかかわるデジタル技術はそうした方向に発展し、準備されなければならないはずであろう。

診療の記録は絶対に「国」に渡してはならない

 世界医師連盟のリスボン宣言では、「患者の健康状態、症状、診断、予後および治療について個人を特定しうるあらゆる情報、ならびにその他個人のすべての情報は、患者の死後も秘密が守られなければならない」そして「データの保護のために、その保管形態は適切になされなければならない」とその原則を繰り返し確認している。

 人間は諸種の行動のすべてを己に合わせて選択し、その歴史がその人の身体とこころを作り、人生をその人らしく彩っている。その中には、危険でもあえて選ばざるを得なかったことも、傷を負って引き返したことも多くあり、だからこそ人間はその人の「今日」の必要な時に、必要なことだけを思い出す忘却システムを備えている。医師はけっしてこれを危険にさらしてはならない。

(『東京保険医新聞』2022年10月25日号掲載)