[視点]三権分立の崩壊 閣議決定による強権政治

公開日 2023年02月08日

三権分立の崩壊 閣議決定による強権政治

                      

現代教育行政研究会 代表 前川 喜平

進む憲法破壊の動き

 2022年12月16日に閣議決定されたいわゆる安保3文書の一つ「国家安全保障戦略」は、反撃能力(敵基地攻撃能力)を保有することや防衛関連予算を2027年度にGDPの2%にすることを明言した。同文書自身が述べるように、戦後の安全保障政策を「大きく転換するもの」であるにもかかわらず、国会での議論はほとんど行われなかった。それどころか、予算は国会が議決しなければ成立しないのに、岸田首相は本年1月13日(現地時間)にワシントンで行ったバイデン米大統領との会談で、防衛費の大幅増額を約束しバイデン大統領から歓迎された。

 長距離弾道ミサイルなどの敵基地攻撃能力の保有は、攻撃型兵器である空母の保有などとともに、過去の政府においても「専守防衛」の範囲を超える力であり、憲法の9条が禁じる「戦力」に当たるとされてきた。その敵基地攻撃能力を明記した閣議決定は憲法違反であり無効である。それを強行し既成事実化することは、政府による憲法の破壊だと言ってよい。

 同様の憲法破壊はすでに2014年7月、安倍政権の下で集団的自衛権の行使を容認した閣議決定でも行われた。戦争を放棄し国の交戦権を認めない憲法9条のもとで、自衛隊がその実力を行使できるのは「個別的自衛権」の範囲内に限られるというのが、政府において確立した憲法解釈だった。内閣の中でしか法的拘束力を持たない閣議決定で事実上の憲法改正をしたことになる。

 「個別的自衛権」と「専守防衛」という二つの重要な歯止めを閣議決定で踏み越えたことにより、自公政権は憲法9条をほぼ空文化させた。本来このような行政府の暴走を押し止めるべき立法府が機能不全に陥っていることが、こうした行政府による憲法破壊を可能にしたと言ってよいだろう。

三権分立の危機

 議院内閣制の政体における行政府と立法府の関係は、相互に完全に独立した関係ではない。立法府の中でも与党は行政府と一体であるから、まともな野党がいなければ立法府による行政府の監視はできなくなる。しかし今や、政権与(よ)党ではないが政権と対峙する野(や)党とも言えない「ゆ党」が増えている。多選首長の下で地方議会がオール与党化する現象に近いことが国政でも起きているのだ。憲法改正や軍拡路線で自民党と軌を一にする日本維新の会や2022年度予算案に賛成した国民民主党に加えて、2022年12月20日に敵基地攻撃能力を容認する見解を明らかにした立憲民主党も「ゆ党」化に傾き出した。こうして国会は大政翼賛体制に近づいている。

 その背景には連合と自民党との接近がある。芳野友子会長の下での連合は、自公政権と対決して労働者の要求に応える政権を作る路線を放棄し、自公政権に要求を実現してもらおうとする利権集団になってしまった。そして自民党もそれに応えている。たとえば、芳野体制を支える有力な構成組織の一つであり、現在の連合事務局長の出身母体である日本教職員組合(日教組)にすり寄る政策だ。2021年度予算では2025年度までに小学校の35人学級を実現する計画を打ち出した。2022年の通常国会では現場教員から悪評を浴びていた教員免許更新制を廃止する法案を通し、同年7月から廃止した。公立学校教員に対し時間外勤務手当(残業代)を払わず本給の4%を一律に支給して済ませている「給与特別措置法(給特法)」についても、自民党の萩生田光一政調会長は政調会内に「令和の教育人材確保に関する特命委員会」を設け、自らその委員長になって見直しを行うと明言している。「教え子を再び戦場に送るな」と叫んでいた日教組はどこへ行ったのだろう。

 三権分立の一翼を担い憲法の番人である最高裁判所の独立性も危うくなっている。裁判官人事に首相官邸が介入しているからだ。たとえば、最高裁判所裁判官には慣例として4人の弁護士枠があり、日本弁護士連合会の推薦する者をそのまま任命することになっていたが、安倍政権はその慣例を破り、首相官邸で人選した者を任命した。このままでは最高裁判所は憲法の番人でなくなるだろう。

「奴隷根性」を変えるために

 憲法上の仕組みである三権分立が危機に瀕しているだけではない。強権政治を防ぐためには内閣の下にも様々な独立機関が置かれ、権力の分立が図られているが、その仕組みも危うくなっている。日本学術会議、検察庁などの「特別の機関」、人事院、国家公安委員会などの「独立行政委員会」、中央教育審議会、労働政策審議会などの「建議権」を持つ審議会、特殊法人である日本放送協会の経営委員会などは、本来政権の権力的な介入を許さない独立性を持っていたはずだ。しかし、安倍・菅・岸田三代の自公長期政権の下、これらの機関はことごとく内閣の持つ人事権を通じてその独立性を奪われていった。

 このような強権政治が行われれば、健全な議会制民主主義においては当然政権交代が起こるはずである。しかし日本ではそれが起きない。その根底には、権力に進んで従おうとする国民の奴隷根性(自発的隷属)がある。「国家安全保障戦略」には「国家としての力の発揮は国民の決意から始まる」などという文章が堂々と載せられている。政府が国民に「決意」を迫っているのだ。こんなことを政府に言われたら、主権者である国民は怒らなければおかしい。国民の決意ならすでに憲法前文に「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」と書かれているではないか。

 残念なことに、国民の奴隷根性は学校で再生産されている。迂遠ではあるが、立憲主義と民主主義を取り戻すためには教育から変えていかなければならないだろう。

(『東京保険医新聞』2023年2月5日号掲載)