[視点]「戦後レジームからの脱却」が果たされる日

公開日 2023年03月03日

「戦後レジームからの脱却」が果たされる日

                      

京都精華大学 准教授 白井  聡

 ついにその時がやってきた、という感が強い。岸田文雄政権による大軍拡と新しい防衛三文書のことだ。

 日本の戦後における最大の歴史的分岐点に、いま私たちは立っている。ここ数年のうちに、「戦後」は本当に終わるだろう。曲がりなりにも「平和と繁栄」を達成してきたと言われるこの時代の終わり方は二つに一つと思われる。戦火と飢餓のなかでそれが終わるのか、それとも、腐朽して廃墟と化した戦後レジームを国民的な努力によって内側から乗り越え、それと主体的に決別することによって「戦後」が終わるのか、この二つに一つになるほかない状況にまで、今日の日本は立ち至っている。

敵基地攻撃能力・防衛費増背景には米中対立

 「防衛政策の根本的転換である」とその主導者は胸を張ってみせているが、この政策の決定までの歩みを見ながら誇らしいと思うためには、理性を失わなければならない。

 敵基地攻撃能力(事実上の先制攻撃能力)、防衛費の倍近い増額といった今回の指針を最初に唱えたのは、故安倍晋三元首相であった。安倍の後援を受けて2021年の自民党総裁選に立った高市早苗が、これを受け継いだ。当時、高市の主張は極端に過ぎると見られ、穏健と見られた岸田の総理総裁への選出は世論から歓迎された。だがしかし、いま私たちが目撃しているのは、岸田による高市の政策の全面採用である。しかも、最初にこれを言い出した安倍晋三はすでにこの世にいない。この光景は何なのか。三人の政治家がいるように見えて実は一人もいない。全員が腹話術人形にすぎない。

 人形の背後にいるのはもちろん、米国だ。今回の岸田の振る舞いは、このことを鮮やかに映し出した。そもそも防衛費の大増額のうちの大半が米国製の兵器購入に充てられると見られ、岸田は2022年5月にバイデン大統領に対して大増額の約束をしていた。そして、2022年末、臨時国会が閉じるや否や、この方針を打ち出し、閣議決定、既成事実化していった。国会における検証を回避したこの政治手法は独裁そのものだ。そして、ここまで強引な手法を用いる動機は、2023年になってから明らかになった。1月に岸田の訪米、バイデンとの会談が決まっていたのである。要するに、この大軍拡の約束は、米大統領との面会料として必要なものだったのだ。

 この過程について、米国がゴリ押しをしているというよりも日本の外交・防衛関係者が形づくる安保ムラが暴走した、と見る向きもある。しかし、大局的な構図から見れば、日米どちら側が主導したのか見分けることなど無意味だ。その大局とは、米中対立であることは言うまでもない。

 対立が対決にまで昂じるのか――その兆候は明白に存在する。米軍の将官やCIAの長官が、2025年あるいは27年といった具体的な年限を挙げて、台湾有事の可能性に言及し始めた。また、米のシンクタンクCSIS(戦略国際問題研究所)が、台湾有事が発生した際には米軍、そして自衛隊にどれだけの損害が生じるかについて、具体的に予測するレポートを発表するなどしている。要するに、米の軍事・諜報関係者、軍産複合体は、米中の軍事衝突をはっきりと視野に入れ始めている。

米国の戦争に日本が「活用」される

 この大局から見れば、今次の日本の大軍拡と新しい防衛三文書の意味することは、この構図のなかで日本をどのように活用するのか、ということにほかならない。無論、米国としては、自らの国益を最大限化するために活用するのであって、日本国や日本国民の運命は二の次の問題にすぎない。

 そして、現在進行中のウクライナ紛争は、ひとつのモデルを与える。すなわち、米国は自国の兵の血を一滴も流すことなく、敵対的軍事大国であるロシアに対してダメージを与えることができている。台湾有事の場合、米国自身の犠牲も避けがたいであろうが、それでも米国本土が戦場になることはない。戦場になるのは台湾であり、そして日本である。

 この「活用」の観点から見て重要なのは、いわゆる敵基地攻撃能力である。日本政府の見解では、敵国がいままさに攻撃に着手しようとしているときにそれを防ぐための先制攻撃を加えるのは、防衛の範疇に入る、とされている。だが、ここで難しいのは、敵の攻撃意図・行動をどのようにして立証するのか、という問題だ。立証できなければ、それは国際法違反の単なる先制攻撃となる。かつ、敵の攻撃行動に関する情報について、日本は米国の諜報網に依存する。

 このような要素を含ませることにより、米国はより多くの選択肢を得たのではないか。すなわち、中国が台湾への武力行使を自制し続けるならば、こちら側から始めなければならない。しかし、米国自身がそれを行なうことには高いリスクがある。ゆえに、それを日本にやらせる。そして、戦端が開かれた後、米国は日本を助けることもできるが、助けないことも選択できる。すべては形勢次第であり、米国の国益を最大化する選択肢を確保できる。

 1951年の日米安保条約締結に向けての交渉を準備するなかで、国務長官ジョン・フォスター・ダレスは、米国の獲得目標を「われわれの望むだけの軍隊を、望む場所に、望む期間だけ駐留させる権利」と定義した。70余年を経たいま、米国が獲得しつつあるのは、「われわれの望むだけの日本の軍事力を、望む場所で、望む期間だけ戦わせる権利」にほかならない。

 そして、日本の買弁エリートは、そのような米の意図に抵抗するどころか、それを媒介することによって自己利益を図る。その行き着くところは破滅である。そもそも日中が戦争になった時点で、日本は食糧難となり経済も破綻する。ゆえに、米中対立が対決にまで至ることを阻止することが、本来ならば日本の国策の全く選択の余地のない目標となることは自明である。にもかかわらず、いまのままの権力構造が維持されるならば、右に述べてきたシナリオが現実化する可能性は高い。私たちに残された時間は少ないことを知らなければならない。
(文中、敬称略)

(『東京保険医新聞』2023年2月15日号掲載)