[視点]「日本における「家族主義」の経緯・現状・課題

公開日 2023年03月03日

日本における「家族主義」の経緯・現状・課題

                      

東京大学大学院教育学研究科 教授 本田 由紀

「家族主義」の多義性

 「家族主義」という言葉は多義的に用いられてきた。

 筒井(2022)は、ケアの担い手と政府の支援の有無という観点から、①家族がケア等の社会的機能を多く担うが政府がそれを支援する【積極的家族主義】(欧州諸国に多い)と②家族が社会的機能を多く担い政府は支援しない【消極的家族主義】を区別した上で、それ以外の「家族主義」の用語法として③【伝統的な家父長制の価値観】を重視する保守思想という意味で用いられる場合もあるとする。

 加えて、④家族以外の場(国家や企業など)においても【家族的恭順】が規範として要請されることも「家族主義」と呼ばれ、さらには⑤私生活に利己的に閉じこもる【マイホーム主義】も一つの派生形である(阪井他 2012)。

 これらのうち①②は政策の原理、③④⑤は価値観・人間関係・社会意識に関する特性であり、位相を異にする。

日本社会における家族主義と「日本型福祉社会論」

 日本社会は、時期によって濃淡はあるが、総じて②~⑤がないまぜになる形で顕著に見出される。特に政策面では、②の【消極的家族主義】、すなわち家族が様々な社会的機能―中でも子ども・高齢者・障害者・患者などのケアとそのための費用支出―を担うことを法的・規範的に要請し、政府は家族への給付や家族外の機関の整備に消極的であるという特徴が典型的に見られる国の一つである。

 その特徴が顕在化したのは、1970年代初頭の石油ショックにより高度経済成長が転換を迎えたのちの70年代半ばから80年代にかけて、政府が強力に掲げた「日本型福祉社会論」であった。経済成長率の低下による税収減と財政の赤字化を背景として、社会福祉支出を抑制したい政府は、家族が福祉機能を担うことを日本の美風として称揚し、実質的なケア役割を家族内の女性に押し付けるという姿勢を明確に示すようになったのである。日本の多くの家族がその役割を受け入れてきたのは、上記③④⑤の価値観や慣習が濃厚に存在したためであったが、それだけではなく、男性は仕事から賃金を家族に持ち帰り、女性は家族の主な支え手としてケアや子育てを担い、子どもは教育を経由して親世代よりも高い社会的地位を達成する、という「戦後日本型循環モデル」(本田 2014)に家族が組み込まれていたことが重要であった。

 その後、90年代初頭のバブル経済の崩壊を経て、日本はさらなる経済的・社会的な停滞に至る。雇用の不安定化や賃金の低迷が続く中で、非正規雇用であっても女性の就労率は上昇し、同時に急激な少子高齢化や非婚化、単身世帯の増加が生じた。それは、③の価値観が想定するような伝統的な家族が維持不可能になってゆく過程でもあり、政策は介護保険制度や保育所の拡張など、「日本型福祉社会論」とは異なる施策に取り組まざるをえなくなった。しかし、それらの施策は家族機能の一部を補助するに留まり、今なお主に家族内の女性はケア役割を期待され続けていることが、日本の著しいジェンダーギャップの主因となっている。

再強化される「家族主義」

 さらに、特に今世紀に入って、上記②③の意味での「家族主義」が再強化されるような政策も見られる。

 たとえば、2006年に変更された教育基本法や、2017年に変更された児童福祉法には、保護者が子どもの教育や育成に「第一義的責任を担う」という条文が新規に追加された。また、現時点で10県6市で制定されている「家庭教育支援条例」や、その雛形となった自由民主党の「家庭教育支援法案」は、子育てに関する家庭の責務を細かく定める内容であり、家族の支援ではなく介入の性質が強い(藤間 2020)。

 社会的養護の家族化や生活保護における親族扶養照会なども含め、「家族」「家庭」に相互扶助や共同責任を求める政府の動きは、変容する家族の実態とは逆行する形で加速しているように見える。2022年に安倍元首相が狙撃された事件は、旧統一教会と自由民主党の長年にわたる密接な関係をあぶりだす結果になったが、両者は②③④の意味での「家族主義」を共有している。

終わりに

 以上のように、「家族主義」は日本社会に根深く埋め込まれている。その弊害は、過負担による家族の破綻と、個人の生命・生活・権利の公的保障の不全にある。「家族主義」が逆説的に家族の形成と維持を阻害するということは、社会科学の中では定説となっている。

 また「家族主義」は個々の家族が保有する諸資源の格差により、個人の生涯が制約されることを意味する。あらゆる個人―言うまでもなく、子ども・障害者・高齢者・患者などのすべてを含む―が、家族のみに依存することなく、必要なサービスと資源にアクセスできるようにすることが政府の側の責務であるということを、強く訴えてゆくべきである。

(『東京保険医新聞』2023年2月25日号掲載)