[視点]入管法改悪反対!NO!の先にある社会②

公開日 2023年07月26日

入管法改悪反対!NO!の先にある社会②
労使対等原則が担保された多民族・多文化共生社会へ

                      

移住者と連帯する全国ネットワーク 共同代表理事 鳥井  一平

偽装する政府、私たち、私たちの社会

 政府の歪んだ移民政策は、具体的には、まず在留管理としては、2012年の外国人住民票の導入を経ながらも戦後入管体制を引き継ぎ、自治体での外国人登録から入管へ一本化することによって、より一層、外国人を監視、管理の対象とし、一方、受入れ策としては、以下のような流れを経てきている。

 日系労働者が「期間限定」とならなかったことは政府にとって思惑違いだったであろうが、受入れ策は基本的には「期間限定労働力」=「外国人使い捨て」というべき政策に終始してきた。とりわけ2005年以降の「受入れ論議」の中心は一環して外国人(研修・)技能実習制度であり、2010年以降は外国人技能実習制度に大きく舵を切り、純化し、拡大させてきた。これはデータ、数字、あるいはこの40年近く、頻発する労働問題、人権侵害が事実として如実に物語っており、国際社会から、人身売買構造、奴隷労働として厳しく指摘されてきた※1。

 外国人技能実習制度は、あえて難解に分かりづらく設計されている制度であり、単に「安い労働力」の受入れに止まらず、次々とピンハネの悪知恵を生み出す利権構造を生んでしまっている。このことが、奴隷労働構造であることは明白でもありながら廃止とならない要因でもある。外国人労働者を「労働者として」受け入れていないこの社会の実態は、外国人労働者総数約182万人※2の内、働く在留資格で入国している者(在留)は全体の22%で、技能実習や留学で入国している者は37%を超えていることに表れている。産業別にみると、外国人労働者の内、農業や建設では大半が技能実習生となっている。また、地方においては、外国人労働者のほとんどが技能実習生というこれもまた歪な現象がある。技能実習制度の表向き建前の「技術移転」や国際貢献とは何ら縁もゆかりもなく、また、開発途上国の求める職種や業種ではなく、専ら日本の人手不足に対応していることを示している。これらのデータ、数字を見て、「おかしい!」と言わない私たちこそ「おかしい」のである。

 今般の入管法改悪においても、「誤用乱用」「偽装難民」がキャンペーンされたが、そもそも、難民受入れを行わない日本政府への国際的批判を免れるために、「難民申請中」というカテゴリーをつくったのは政府・入管庁自身であり、かつ、いまだに正面から労働者受入れの在留資格を創設することを怠っているのである。確かに、「とりあえず難民申請しよう」とする人はゼロではないだろう。しかし、そうさせているのは何なのかを考えなければならない。稼ぎたいからというだけではなく、働いてもらいたいと要請する社会があるから働いているにもかかわらず、この社会で働き続ける手立て(在留資格)がないからである。社長さんたちや地域の人たちは、「この人に働いてもらったほうが助かる」と明言する。外国人に「偽装」させているのは私たち自身であることを自覚しなければならない。技能実習に偽装し、留学に偽装し、労働力補充を行ってきているのは私たちの政府であり、この社会である。留学の事前研修として送り出し国で大手コンビニがレジ打ち研修を行っている偽装ぶり、欺瞞を直視しなければならない。

 外国人労働者の労働問題や人権侵害について、ブローカーなど送り出し国の取り締まりを強化すべきとの論調もあるが、重ねて強調したいのは、偽装しているのは送り出し国や外国人労働者ではなく、私たちなのであり、全ての要因はこの社会にある。

※1 アメリカ国務省人身売買年次報告書2007~2022・国連自由権規約委員会勧告2008/10/30・国連女性差別撤廃委員会総括所見2009/8/7・国連女性と子どもの人身売買特別報告者勧告2010/6/3・国連移住者の人権に関する特別報告者勧告2011/3/21・国連自由権規約委員会勧告2014/7/25、2022/10/28・国連人種差別撤廃委員会勧告2018/8/31
※2 「外国人雇用状況」届出状況 2022年10月 厚生労働省

新型コロナウイルスの感染拡大が示唆するこれからの社会

 私たちが求める外国人労働者受入れ論議は、この40年弱の労働問題、人権侵害の事実を直視し、すでに移民外国人労働者がこの社会を支えている事実に立脚したものでなければならない。「バブル経済」を背景にした「オーバーステイ容認政策」時代から外国人労働者問題はその家族を含めて、実は、この社会の労働基準の実態、医療福祉の水準、人権の水準の鏡であり、教育、文化のあり方、地方自治のあり方、防災の視点を映し出すものであり、私たちの社会に地球規模の社会規範、スタンダードを意識喚起させるものであった。すでにニューカマーの二世、三世が活躍しはじめ、とりわけスポーツの分野やメディアでの登場も増えている。あえて言うならば、オリンピック・パラリンピックの東京開催もこの30年の移民の受入れとともに環境が醸成されてきたのである。

 そして新型コロナウイルスの感染拡大は、これからの社会を示唆したとも言える。感染拡大で入国制限がとられると、畑で収穫ができずに作物が腐り、出荷もできない。工場でもたちまち生産が停滞した。緊急措置として政府は2020年7月から11月までの5カ月間、「ビジネス目的」と限定して入国を認めた。ところが入国した約6万3千人の内、留学と技能実習を合わせると約4万3千人であり、「ビジネス目的」の約69%を占めていたのである。この社会が外国人労働者の存在なしには成り立たない事実と、いつまでも偽装してはいてはならないことを明らかにした。

入管法改悪は時代と人々の要請に逆行する

 2021年の入管法改悪は、2018年からの受入れ論議の中で、とりわけ外国人技能実習生の奴隷労働構造下での劣悪な労働環境や暴力事件などの人権侵害が次々と報道され、また一方でSDGsやビジネスと人権、そしてフェアプレーと公正を謳うオリンピックパラリンピック開催など、「誰ひとり取り残さない」との国際的な人権意識が高まる中で、加えて、信濃毎日新聞や宮崎日日新聞などの特集報道が示す地域社会の求めが、時代情勢背景として存在していた。そして審議が始まると、折しも名古屋入管でのDV被害者であるスリランカ人女性の死によって、入管収容所における非人道的処遇が明らかとなり、改悪反対の世論が大きく巻き起こった。移民、難民の姿に「取り残されている」との同感が人々に広がり、廃案となったのである。

 しかし、政府・入管庁は、今回の入管法改悪を立法事実が崩れようとも強行してきたのである。

これからの社会、移民政策を入管庁に決めさせてはいけない

 はじめにも述べたように今回の入管法改悪は入管庁だけのためのものであり、「受入れ」と共生を入管庁に任せていてはいけない。その典型的な出来事があった。2019年4月に特定技能制度がスタートするや、東京電力が福島第一原発の廃炉作業に特定技能労働者を従事させようと画策した。東京電力の問い合わせに対して入管庁は、「(特定技能は)受入れ可能」と回答したのだ(朝日新聞2019年4月18日朝刊)。1カ月後、さすがに厚労省がブレーキをかけた。放射線被曝労働であり、関わる外国人労働者がその作業に対して危険性をどの程度認知しているのかはもちろん、安全・健康対策や帰国後の健康フォローアップなども入管庁にはイメージできないのだ。労働者を雇用することに対する責任の微塵も感じられない。そもそも入管庁に雇用、つまり労働者の人生への社会的責任をイメージさせることが無理なのだろう。歪んだ移民政策=外国人労働者使い捨ての表れである。

 労働(職場)と生活(地域)の空間は、ひとりの労働者にとって切り離すことはできない。労働力のみの存在などはない。「使い捨て」が社会を歪める。その場しのぎの制度設計を行う役所まかせにはできない。

 移民、難民、外国人労働者とその家族が、職場の一員、地域の隣人として活躍し、また労働者としての受入れ拡大の必要性を認めざるを得なくなった情勢においても、いまだに政府は、「移民政策と異なる」と、事実に目を背ける姿勢を捨てずにいる。政府は、ニューカマー40年間の「教訓」をねじまげ、いかに定住化させずに期間限定の使い捨ての労働力受入れを行うかに力点をおいている。私たちが求める受入れは、簡潔明瞭である。労働者が労働者として移動できるということに尽きる。フィラデルフィア宣言などの国際規範、基準に則り、労使対等原則が担保された「受入れ制度」でなければならない。移民、難民、外国人労働者とその家族はこの社会の基盤をともにつくる仲間、隣人としてすでに活躍しており、この社会の展望の可能性を大きく広げている。移民、難民、外国人労働者とその家族は、働き、活動し、権利主張することによって、この社会に大きく貢献している。地域、職場の現場では誰しも移民、外国人労働者のエネルギーを強く感じ取っている。

 すでに「不法就労は犯罪の温床」や「外国人犯罪キャンペーン」「雇用競合論」が全く事実でなく的外れであることは数字が明確に示している。むしろ外国人労働者は、健康保険、年金、税金などの社会ファンドに大きく寄与していながら、見合った公共(行政)サービスを受けられているとは言いがたい。

 「日本人と外国人」という二分化ではなく、この社会を共に構成し、共に生きていく働く仲間、地域の隣人として、この社会の担い手として移民、外国人労働者とその家族の社会参加がある。移民、難民、外国人労働者が定住を望むような社会、見合った制度にしていきたい。「国民」という言葉から排除される人々、投票権を持たない人々、声を上げられない人々の生活や権利を見ることこそが政治の本分であり、民主主義の真髄ではなかろうか。

 改悪入管法施行は1年先である。誰ひとりも排除させない取り組みを開始したい。対案と難民保護法を提出した野党4会派の議員や市民団体との連携が求められる。難民認定を求めながら、国会審議でたびたび取り上げられた退令発付の仮放免の子どもの在留特別許可(在特)について、子どもだけなく家族を含めた救済、さらに子どもと家族以外の「送還忌避者」のアムネスティも求めていく。齋藤健法務大臣は明言したのだから、国会審議での口先の言い逃れにさせてはいけない。

 入管法改悪反対!入管法改悪NO!の先には、誰ひとり取り残されることのない社会、労使対等原則が担保され、「違い」を尊重しあう多民族・多文化共生社会が見えている。その移民政策こそがこれからの社会に求められる。そこにこそ民主主義の深化の道があり、次の社会、持続可能な社会への展望が見いだせるのだ。

【参考】
声明 決してあきらめない〜入管法改定案可決成立を受けて
移住連ホームページ
◎著書『国家と移民』集英社新書

(『東京保険医新聞』2023年7月15日号掲載)