[視点]政府の学術会議法改定見送りと今後の課題 -「学術と政治」の関係を考える

公開日 2023年08月03日

政府の学術会議法改定見送りと今後の課題
―「学術と政治」の関係を考える―

                      

早稲田大学法学学術院 教授 岡田 正則

はじめに

 2022年12月以来、政府は日本学術会議の会員選考に政府が関与できるようにするための法改正を準備してきたが、4月20日、岸田首相は法案提出断念の意思を表明した。この法案が、学術会議の独立性を脅かし、日本の学術を歪める危険性が大きいことについて、学術会議やノーベル賞受賞者、学術団体、諸外国のアカデミーなどが強く批判した結果である。日本の良識が示した大きな成果だといえよう。

 今後、政府と自民党プロジェクトチーム(PT)は、この法案に代えて、学術会議の組織形態そのものを変更する改革案を準備し、秋の臨時国会または来年の通常国会に法案を提出するものと予想される。本稿では、日本における「学術と政治」の関係の歴史をふまえて、この問題を考えることにしたい。

日本における「学術と政治」

 日本の学術は、遣隋使・遣唐使の例にみられるように、古くから強力な文化輸出国(中国)の影響の下で“輸入”に依存するとともに、その窓口となる政治と緊密に結びついてきた。この関係は、明治期の近代国家の形成過程で強化された。そして学術は政治の手段として位置づけられた。たとえば、1886年の帝国大学令は「国家ノ須要ニ応スル」教育・研究を大学の使命としたのである。

 よく知られているように、戦前の日本においては、自由な学問・研究は、政府を脅かすものとして弾圧された。滝川事件(自由主義的な刑法学説に対する弾圧事件)、天皇機関説事件(天皇の統帥権の制約となりうる学説に対する弾圧事件)、津田左右吉事件(記紀神話に関する実証的研究に対する弾圧事件)などである。これらと並行して、日本の学術は戦争の準備・遂行のために動員された。

日本学術会議の設置とその実績

 学術が戦争に加担してしまったという歴史の反省に立って、戦後の日本は日本学術会議という国家機関を設置した。日本国憲法を具体化するために1948年に制定された日本学術会議法は、その前文で、「わが国の平和的復興、人類社会の福祉に貢献し、世界の学界と提携して学術の進歩に寄与する」という設置目的を示すとともに、この機関が政府から独立して職務を行うことを保障するために、その構成と運営方法を厳格に定めている。

 このように、学術会議という国家機関は、国際的な平和主義を実現するという目的で、日本の学術を代表する組織として設けられた。世界のアカデミー組織をみると、国家機関ではなく、独立の法人格をもった組織であるものも少なくないが、日本の場合には、上述のような歴史的な経緯から、政府や学術が軍事に傾くことを防止するためには国の機関としてその役割を果たすことが不可欠だ、という認識に基づいて国家機関とされたのである。

 したがって、学術会議は、政府の手足となってその政策を実現するための機関ではなく、“学者の国会”として日本の学術関係者の総意を集約し、国内外に向けてこれを代表する機関でなければならない(1983年までは数十万の学術関係者による選挙で会員を選出する制度であったが、それ以降は、当選証書交付の代わりに首相が形式的な任命を行う制度になっている)。これまでの実績をみると、原子力の平和利用、遺伝子操作などの先端技術に関する倫理的制約、大規模研究プロジェクトの進め方に関する指針、ジェンダー平等の推進、東日本大震災からの復興のあり方など、さまざまな分野で勧告・提言を行い、法制度の整備等に貢献してきた。私も、連携会員として、原発事故避難者の支援に関する提言などに関わった。

学術会議会員任命拒否事件

 2020年10月、菅義偉首相(当時)は105名の会員候補者のうち6名の任命を拒否した。法制度上、天皇の首相任命(憲法6条1項)と同様に“拒否できない任命”なのであるが、彼は理由を示すこともなく拒否を強行した。政府が学術会議の運営に介入できることを示す目的で、権力を違法に発動したものといえる。拒否理由について法律家1162名による情報公開請求と拒否対象者6名による自己情報開示請求がなされ、現在、総務省の情報公開・個人情報保護審査会で審査されている。

通常国会での法案提出の断念と今後の課題

 前述のように、政府が準備していた法案は、会員の選考過程に政府が関与できるようにしようとするものであった。これに対して学術会議等は、①法改正を必要とする根拠事実(立法事実)がない、②独立性に関する国際的な基準に反する、③任命拒否を正当化する内容だ、といった批判を行った。結局、政府側はこれに答えることができず、法案の国会上程を断念した。

 政府や自民党PTは、現在、学術会議を独立行政法人化して事業団体にする案を検討中だと言われている。「国の機関である限り、人事を含めて政府に従うべきで、独立性を求めるならば外に出す」という考えである。これは、“国会も裁判所も国の機関であるからには政府に従え”というのと同じで、たいへん危険である。日本の学術を窒息死させ、軍事・産業の下請けに追い込むための法案といえるかも知れない。日本の将来のために、このような法案の提出を再び阻止しなければならない。

(『東京保険医新聞』2023年7月25日号掲載)