[視点]ALPS処理水の海洋放出がもたらすもの

公開日 2023年09月27日

ALPS処理水の海洋放出がもたらすもの

                      

北海道がんセンター 名誉院長 西尾  正道

 

はじめに

 2023年8月24日、福島第一原発の汚染水をALPSで可能な限り放射性物質を減量した処理水の海洋放出が開始された。

 現在貯留している汚染水の放出には約30年かかると報じられているが、汚染水はデブリを冷却するために注水したり、地下水が流れ込むことで1日約90トン程度出ているため、ほぼ永遠に海洋放出することになる。そもそも、ロボットでデブリを取り出す作業を計画しているようだが、放射線の線量が高い環境では、ロボットに使用するコンピューターを制御するCPUが作動しなくなるため、デブリの取り出しはできない。このため、30年以上前に事故を起こしたチェルノブイリ原発事故や米国のスリーマイル島原発事故後もデブリは取り出せないで経過しており、チェルノブイリでは原子炉を石棺で覆う対応をしている。  

 政府・東京電力は汚染水の保管場所が無いので放出するというが、廃炉が決まった福島第2原発の敷地には広大に貯留タンクを増設できる面積がある。また廃炉のため汚染された原子炉を解体しても、その汚染された数百トンの原子炉の鉄屑を引き取り保管する場所はないし、決まっていない。

 癌の診断のために行われるPET検査で使用されるFDG(放射性フッ素を付加したブドウ糖)は半減期が110分なので現地で製造する必要があるが、日本で最初にPET検査を導入した千葉大学は薬剤を製造する加速器を更新する時に、汚染された40トンの鉄屑の引き取り先が見つからず、敷地内に埋めて新加速器を設置した。こうした実情では、福島の廃炉はほぼ数百年単位で困難なのである。

 「汚染水の中に含まれているトリチウムは除去できない」としてそのまま放出することになったが、実際は2011年の福島第一原発の事故後、トリチウムの分離技術に関して国際入札を行い、2020年にロシアの企業が落札している(資料1)。約400億円で設備ができるようだが、当時の世耕経産大臣がこの案を採用しなかったため、海洋放出になったのである。

資料1 蒸発温度の違いを利用したトリチウムの分離方法

 さらに、実はトリチウムは最も深刻な人体影響を及ぼすことは全く報じられていない。日本の報道機関の劣化は目に余る状態である。

トリチウムの人体への影響

 ウラン-235(U-235)を濃縮して核分裂させると、質量数90前後のものと130~140前後の核種に分裂し、主にSr-90とCs-137などに分裂し放出される。1950年代から大気中核実験が行われたが、太平洋上から放射線が日本や米国に届いたわけではなく、核分裂して大気中に放出された放射性微粒子が生活環境の中で人体に取り込まれたのである。医学で使用しているアイソトープは短半減期なので使用できるが、核爆発で生じた核種は長半減期であり健康被害に結びつくのである。資料2に環境中で体内に取り込まれるプロセスを示す。

 こうした放射性微粒子が体内に取り込まれれば、核種の体内動態や組織の放射性感受性の違いにより、健康被害が生じる。大気中核実験が行われていた時代には、Sr-90が乳歯に蓄積していたことがワシントン大学から報告されていたことは周知の事実である。資料3に核実験による健康被害の一部を示す。戦後の小児白血病と膵臓癌の増加が報告されているが、放射線感受性の高いリンパ球が癌化し、小児のリンパ球性白血病が増加したのである。

資料3 核実験による健康被害とSr-90の壊変図

 膵臓癌も急増しているが、これはSr-90は2回β線を放出するが、最初に放出してイットリウム(Y-90)に変化すれば、Y-90は膵臓に臓器親和性があり、長く膵臓に留まるため、インシュリンの分泌が低下し、糖尿病も増えるし、膵臓癌の発生も増加したのである。

 汚染処理水を海洋放出するに当たってトリチウムだけの安全論が報じられているが、62種以上の核種に関する情報は報じられていない。分離できないとしていたトリチウムの安全論の主なものとその嘘について資料4に示す。

資料4 政府・専門家のトリチウム安全・安心神話の嘘

 人体内の水は5.7eVで酸素と水素が結合しているが、トリチウムは平均エネルギー5.7KeVと1,000倍であり、取り込まれれば、細胞1個分には放射線が当たる。しかし、細胞内でDNAを形成している塩基の中に水素として入りβ線を放出するだけでなく、ヘリウム(He-3)に変われば、塩基の化学構造式が変化し、二重螺旋構造を維持している水素結合力は無くなる。

 資料5にトリチウムのDNAレベルでの関与を示す。私の友人の名取医師は若い時の実験でDNA内にトリチウムが入ることを報告している。DNAを構成しているアデニンの化学構造式の変化のように、他の塩基の化学構造式も変化するため、遺伝子編集をしているようなものである。

資料5 トリチウムのDNA レベルでの影響

 そもそもトリチウムの排出基準も、50年前に稼働した福島原発が20兆Bqのトリチウムを放出していたので、政府は年間放出基準を1割増しの22兆Bq/年として、さらにそれをリットル(L)に換算し、6万Bq/Lとしたのであり、科学的な根拠は全くない。動物実験なども行っていないのである。資料6に世界のトリチウム基準値を示すが、ダントツに日本は高値であり、飲料水の基準も無く、40倍に薄めて放出しても1500Bq/Lである。

資料6 トリチウムの基準値

 カナダの重水を用いる原子炉はトリチウムを大量に放出するCANDU原子炉であったため、稼働後に健康被害が多発し、住民の実感として問題となり、調査した結果、トリチウムが原因と考えられたため、カナダのオンタリオ州の飲料水基準値は20Bq/Lとされている。原発稼働により世界中でトリチウムを出しており、事故など起こさなくても、原発周辺の住民の健康被害が報告されているが、トリチウムの放出が関与していると私は考えている。

 IAEA(国際原子力機関)は原子力政策を推進する立場の組織であり、お墨付きをもらったとしても安全性が保証されたことにならない。IAEAは日本政府と東電の出したデータと評価を承認しただけであり、過去にもチェルノブイリ事故の被害を大きく過小評価した歴史がある。

 汚染水にはALPSで処理した後もトリチウム以外の多種多様な放射性物質が含まれているが、多くは計測すらされず、詳細も報告されていない。Cs-137やSr-90の他に、半減期1,600万年と非常に長いI-129も含まれている。日本人は昆布やワカメを食するため、甲状腺癌の多発が懸念される。 

 トリチウムも有機結合型トリチウムは生物濃縮を起こし、また人体の全ての物質の化学構造式に水素として入るので深刻なのである。SrはCaと、CsはKと同様な体内動態であるが、有機結合型トリチウムは生物濃縮を起こし、また生体を構成している物質の化学構造式まで変える放射性物質なのであり、最も深刻な放射性物質である。

 また、青森県六ケ所村の再処理工場が稼働すれば、(トリチウム以外の汚染も懸念されるが)大型の原発が年間で放出するトリチウムを1日で放出することになる。あまりに大量なので、同工場に対しては規制値を設けないという無法がまかり通っている。放出することは以前から計画されていたのであるから、寿命2年の動物実験などにより、トリチウムの安全性や危険性を調査すべきであったが、全く行われなかった。

 1980年~1990年代に苫小牧市の工業団地で核融合の実験施設の設立が議論されたが、その時に経産省は人体影響の研究班を組織し、動物実験の結果では、トリチウムの被曝にあった動物の子孫の卵巣に腫瘍が発生する確率が5倍に増加し、精巣や卵巣の萎縮などの生殖器の異常や脳の縮小、周産期死亡率の上昇、そして発育障害や奇形の胎児の観察が報告されていた。

 ノーベル物理学賞を受賞した小柴昌俊氏は2003年に当時の小泉首相に要望書を提出している。核融合はトリチウムを大量に放出するため危険であると警告し、またトリチウムの健康被害の報告などが根拠となって核融合実験炉の話はなくなり、現在はフランスの国際熱核融合実験炉(ITER)で研究されている。

過小評価される内部被曝

 人体を構成している物質の化学構造式まで変える放射性物質はトリチウムだけであり、最も深刻な影響をもたらすのである。医学の教科書は原子力政策を推進する立場のICRP(国際放射線防護委員会)の疑似科学的物語で書かれている。

 資料7にICRPの単位の基本的な問題だけ簡単に提示する。そもそも7Svの全身被曝を致死線量としているが、骨髄移植の前処置として12Gy全身照射するが、死亡することはない。

資料7 ICRP 単位の問題

 また甲状腺癌の多発性肺転移例にはI-131カプセルを投与するが、米国核医学会の計算では163Svに該当するとしている。更に私はSr-89を骨転移治療薬として日本で薬事法を通して使用していたが、1回の静注投与量は30Svsであり、2年あまりの期間に7回投与した症例もあるが、死亡することはない。ICRPの教科書では、7Svの全身被曝が致死線量とされているが、これは熱量換算すれば100calに過ぎず、これでは通常の食事の摂取カロリーで致死することになってしまう。

 放射線の人体影響の評価としてSvという全身化換算した単位を用いて議論しているが、非科学的としか言いようがない。資料8に物理量1Bqを実効線量Svに換算する預託実効線量換算係数を示す。トリチウムは極めて低い係数としているが、こうした数値は全く実証的に検討されたものではなく、ICRPが勝手に取り決めたものなのである。例えて言えば、目薬は眼に滴下するから効果があるが、この目薬量を経口投与して全身の投与量に換算しているようなものである。

資料8 全く根拠の無い1Bq 摂取時の預託実効線量換算係数

 健康被害の本態は内部被曝であり、深刻なため原爆の製造過程で、米国は内部被曝を1943年に軍事機密とした。このため、議論してはいけない・報じてはならないこととなり、その延長線上でICRPの理論が組み立てられたのである。

 資料9に指頭型線量計と放射線治療計画用コンピュータ-によるCs-137の深部率曲線を示すが、放射性微粒子と接している細胞は超膨大に被曝しているため、発癌も起こるのである。私はRa-226、Cs-137、Au-198、Ir-192などの低線量率小線源を使用した内部被曝治療をライフワークとしてきたが、投与線量は線源中心から5mmの位置で評価し治療を行ってきた。これは放射性物質の線量測定は5mm以内の測定が技術的にできないためである。指頭型線量計でも先端の約1ccの空間で希釈・平均化されるため、5mm以下の距離では正確に測定できないのである。右側の深部率曲線では、Cs-137からのβ線は5mmではほぼゼロであり、γ線でも約70%となる。全くSvという全身化換算した単位とは関係がないのである。このため私が経験した約3万人の放射線治療例で、照射部位から放射線誘発癌が発生した数人は全例が小線源治療例であり、最短で10年程度後に発生していた。被曝の影響は当たった部位にしか生じず、トリチウムはエネルギーが低くても細胞内の核に取り込まれるので、影響がないとは言えないのである。

資料9 Cs-137微粒子の線量測定と深部率曲線

 また、脳科学者の黒田洋一郎氏は私の講演を聞いて、2014年に出していた『発達障害の原因と発症メカニズム』という本にトリチウムの脳への影響について加筆し、改訂版を2020年に出している。組織結合型トリチウムは代謝が遅い脂肪組織の多い乳房や脳により長く留まるので、影響が強く出るのであろう。資料10にその改定本の追加記載を示す。

資料10 トリチウムの脳への影響について

おわりに

 政府は地球温暖化の原因をCO2として、CO2を出さないからという理由で原発稼働を進めているが、原発稼働で地球上の放射性物質を核ゴミとして10億倍に増やすことや、原発が発生させた熱の2割を利用して発電し、残りの8割を海や川に流している「海水暖め装置」であり、海水温の上昇が異常気象の原因となっていることは全く議論されていない。岩内市に住んでいた市民科学者斎藤武一氏は泊原発が稼働後毎日海水温を測定していたが、岩内湾の海水は泊原発が稼働して10年後には0.9度上昇していたという。

 また送電で電力は7割ロスすることから、今後は電力は地産地消とし、また蓄電技術の開発も研究されるべきである。

 事故を起こした原発の1号機の原子炉は、強い地震が来れば倒壊の危機にあり、原子炉の下には高線量で近付くこともできない溶け落ちた核燃料デブリがある。更に隣接する使用済み核燃料(10万年の隔離管理が必要)を392体も冷却しているプールがある。次の地震でプールが崩壊すれば、3.11どころの被害ではなくなり、東京も住めない地域となる。どうしてこうした深刻な国家滅亡のリスクまで考えないのか。このままでは、無責任な政治や行政の犠牲で日本人の健康が損なわれる暗い世界しか私には見えないのが現状である。

 医師も技師も物理学者も報道関係者も、自分の頭で考え、眼を覚まそうではないか。人間としての見識と正しい科学的知識を持って、未来の人達への責任を考えたいものである。

(『東京保険医新聞』2023年9月15日号掲載)