[視点]現在の精神科病院の問題点~数多の人権侵害事案を生む構造的背景~

公開日 2023年10月24日

現在の精神科病院の問題点
~数多の人権侵害事案を生む構造的背景~

                      

日本社会事業大学名誉教授 古屋  龍太

1はじめに

 精神科病院における入院患者への虐待事件が数多く報道されている。特定の病院における極めて例外的な問題と考えられがちであるが、残念ながらそうではない。患者の基本的な人権が守られない医療が常態化している背景には、この国の精神医療の構造的問題がある。

2日本の精神科病院

 日本は世界一の精神科病院大国である。統計上の国際比較は容易ではないが、対人口比の精神病床数(長期ケアの療養型を含む)、平均在院日数や強制入院者数などは諸外国に比べて突出して高い。諸外国に比べて日本だけ、重篤な精神障害を持つ人が多いということはあり得ないが、近年では隔離・身体拘束率も急激に増えている。

 一方で、精神病床は1990年代の36万床から緩慢に減少し続け、2022年度630調査では30万床まで減っている。死亡転帰患者が増える中で入院患者数は26万人を切り、空床がどこも1~2割生じている現状にある。精神科病院は苦しい経営を迫られ、病院によっては退院を抑制する実態も多々ある。

 今も病状に関わらず、閉鎖病棟での生活を余儀なくされている人が何万人といる。地道な地域移行支援を展開し、急性期医療中心に転換した病院もあるが、長期収容型の終末施設化した病院もある。これらの背景には、長年にわたって精神障害を持つ人の人権を無視し、隔離収容を続けてきた日本の歪な精神医療政策がある。

3精神科医療の歴史的背景

 戦後日本の精神医療施策は、隔離収容入院を中心に組立てられた。遡ること1950年に、社会防衛思想にもとづく強制入院手続き法として精神衛生法が施行され、国は精神科病院の新増設と患者の隔離収容を進めた。1958年には「精神科特例」を定め、少ない人員配置で治療的かかわりも乏しく長期収容性の高い精神医療構造を作り上げた。1960年以降の「精神病院ブーム」により病床は増加の一途をたどり、強制入院させられた患者は、閉鎖病棟の中で無為な時間を過ごし、施設症化した社会的入院者となった。

 1984年には、患者2人が職員による暴行で死亡した宇都宮病院事件が報道され、これを契機として精神保健法に改められた。初めて本人の意思に基づく任意入院制度が設けられたが、その後も病床は拡大し、1993年には国内精神病床数は36万3010床でピークを迎えた。1995年には精神保健福祉法に改正され、国は「入院医療中心から地域生活中心へ」という施策転換を掲げたが、社会復帰は進まず精神科病院には社会的入院者があふれている状況がなおも続いた。

 2002年、国は社会的入院者7万2千人を10年間で退院させると宣言し、その後地域移行支援施策を展開したが、現在に至るまで顕著な実績を挙げられていない。入院患者の高齢化は進行し、2011年以降は精神科病棟内での死亡転帰者が年間推計2万人を超え、2018年には全入院患者に占める65歳以上高齢者は60%を超えた。

 これまでの法改正によっても、家族等の同意に基づく強制入院制度の骨格は73年間変わっていない。本人の病状よりも社会的影響が勘案され、患者以外の家族や病院・地域・行政の都合が優先されていることが多い。他国にはない、入院させやすく退院しにくい制度設計は変わらず、むしろ法改正の度に強制入院の要件は緩和されている。

4精神医療国家賠償請求訴訟

 2020年9月には精神医療国家賠償請求訴訟が東京地裁に提訴された。原告は、統合失調症と診断され累計入院期間は約44年に及ぶ現在72歳の患者である。たまさか、2011年の福島第一原発の事故により入院先からの避難を余儀なくされ、転院先で「入院不要」と判断された。60歳で退院を果たし、現在はアパートで穏やかにひとり暮らしをしている。

 原告側の訴状では、多数の長期入院者を生じせしめた構造的背景として、①強制入院を基本とする精神衛生法以来の現行法による入院形態の固定、②精神科特例による差別的処遇と民間精神科病院の病床温存、③WHOや国連等の勧告・決議等の指摘を受けての実効ある政策転換の不在、④適正な手続き保障のない強制入院の要件・期間の不明確さと適用対象の曖昧さの放置、⑤入院時に家族等に同意を強いる構造の固定、の5点を指摘している。現行法は、憲法で定められた地域で自由に生きる権利を侵害・剥奪していると訴えている。

 一方、被告国側は提訴内容に対して全面的に争う姿勢を示し、請求棄却を求めるとともに、歴史的事実の評価についても「適切な行政施策を行ってきており国に不作為はない」と否認している。これまでに12回の口頭弁論が行われ、早ければ2024年春に結審を迎える段階に至っている。ハンセン病訴訟や旧優生保護法訴訟と同様に、長年にわたる国策の過ちと国の不作為責任を問う歴史的な裁判といえる。

5精神医療改革をめぐる内外の状況

 2021年11月には、日本弁護士連合会が「精神障害のある人の尊厳の確立を求める決議」を採択し、「人権侵害を根絶するために、現行法制度の抜本的な改革を行い、強制入院制度を廃止して、これまでの被害回復を図り尊厳を保障すべく、国に対して法制度の創設及び改正を求める」ことが宣言された。改革のロードマップを示し関係者との協働を図っている。

 2022年9月には、国連が障害者権利条約にかかわる対日審査の総括所見(勧告)を公表した。日本国政府に対して、①強制的な入院治療を行うすべての法律の廃止、②精神科病院に対する独立した監視機構の設立、③精神科病院に入院中の全ケースを見直し無期限の入院をやめること等の精神医療改革を求め、権利擁護の強化と救済制度の設立、加害者の起訴と処罰を勧告している。

 これらと軌を一にして国の検討会では、精神保健福祉法改正をめぐって、強制入院(医療保護入院)の廃止・縮小に向けた議論が展開されたが、終盤で急速にしぼみ見送られた。患者の人権を基調とした抜本的な改革の機会が失われたのは残念というしかない。

6精神科医療の構造的問題

 欧米諸国が脱施設化を進め地域での支援への転換を図る中、日本国は多数の精神病床を温存し、長期入院者の固定占床率が高い病院が生き残れる構造を放置してきた。長期社会的入院者と高齢化した死亡退院者を容易に生む構造は、実効ある政策措置を取らなかった国の不作為により強固になった。

 精神病床は1990年代以降漸減しているが、社会的入院者の死亡退院による自然減少の域を出ない。病院の維持経営を考えれば、精神病床を温存する限り入院患者は減らせない。国が精神病床削減政策に踏み込めない背景には、精神科病院の84%を占める民間病院経営団体の政治力への忖度がある。

 外部の目も届かぬ閉ざされた病棟の中で、入院患者は人権が制限されても「仕方ない」と考える常識がある。社会的に「保護」されて入院した患者の多くは、ひととして劣等視され、矯正・指導すべき対象として考えられがちになる。絶対的な権限を有する専門職は、少ない人員と厳しい感情労働の中で医の倫理や人権感覚も鈍麻していき、患者への陰性感情と懲罰意識を持つに至る。

 国連の勧告は、精神科病院の中で人権侵害事案が頻発する土壌が構造的に形成されている実態に着目し、医学モデルに基づくパターナリズムを脱却すること、人権モデルに転換し優生思想から脱却することを求めている。

7おわりに

 呉秀三が「この国に生まれた不幸」と記したのは105年も前のことである。抜本的な構造改革がなされなければ、現状は固定され患者の人権は制限され続ける。現行法を廃止して精神医療を一般医療に包摂することで、人権侵害事案の最小化への道が開けると考えている。

(『東京保険医新聞』2023年10月15日号掲載)