公開日 2024年01月30日
人権としての「医療へのアクセス」と
医療従事者の人権が保障される医療制度改革へ
-医療費抑制策からの転換-
長野中央法律事務所 弁護士 村上 晃
2023年10月長野市で開催された第65回日本弁護士連合会人権擁護大会において、『人権としての「医療へのアクセス」の保障―新自由主義的医療改革から住民のいのちと医療の現場が大切にされる医療保障改革へ―』というテーマでシンポジウムを開催しました。
人権擁護大会ではじめて社会保障の観点から医療を取り上げました。それを踏まえ、大会においては、『人権としての「医療へのアクセス」が保障される社会の実現を目指す決議』(以下、「人権大会決議」といいます)を採択しました(日弁連のホームページからご覧になれます)。
本稿では、この企画に携わった者として私見を交えて述べたいと思います。
侵害される2つの人権
これまで医療を受けられることは多くの人にとっては当たり前のことでした。しかし、コロナ禍では、自宅放置死で多くの人が医療を受けられないまま亡くなりました。また、普通に生活していた人が仕事を失い、経済的理由から医療を受けることができず、手遅れになる事例もありました。この事態を経験し、人権大会決議では、「医療へのアクセス」を人権として捉えることの意義を確認しました。
日本では、1980年代から医療費抑制策がとられ、受診抑制につながる窓口負担増と、医師数、病床数の抑制という医療提供体制の縮小が行われてきました。日本の窓口負担は原則3割ですが、これは国際的に見ると極めて高い負担です。世界には窓口負担ゼロの国も少なくありません。しかも低所得の人ほど負担が重くなっています。
医師数は、OECD加盟国38カ国中33位であり、人口比で見るとOECD平均には約13万人も少なく、医学部の定員は、最下位です。コロナ禍の医療の逼迫の原因に医師の絶対数が少ないことは無関係ではありません。特に地域医療を支えてきた公立・公的病院の人手不足は深刻であり、人手不足を理由に病院が統廃合され、地域から病院がなくなるという事態も起きています。
日本では、経済的理由と医療提供体制の縮小による医療へのアクセス阻害が生じており、その主たる原因は、国の医療費抑制策にあります。人権大会決議では、「医療費抑制ありき」の政策からの転換を謳っています。
これまで日本の医療は、医師数及び病床あたりの看護師数が少ない中で医師・看護師の過重労働によって支えられてきました。人権大会決議ではこの点にも目を向けています。「医療へのアクセス」が人権であるのと同様に医療従事者にも人権があります。医療従事者の人権を犠牲にして医療を支える現状は、もはや限界を超えています。国の医療費抑制策は、この2つの人権を侵害しているのです。
それでは、本当に医療費抑制策は必要なのでしょうか。
「社会保障は経済成長の足かせ」、これは経済界やマスコミなどから当たり前のように言われています。医療費抑制策も「医療費上昇は経済成長の足かせ」という考えが前提になっています。
シンポジウムの登壇者であり、長年にわたり米国で研究をされた医療経済学者の兪炳匡(ユウ ヘイキョウ)早稲田大学教授は、「医療費上昇は経済成長の足かせ」を実証するエビデンス(証拠)は非常に弱い、と述べています。実は、厚生労働省も社会保障は経済成長の足かせではなく、経済成長に大きく寄与する機能を有しているとしています(平成24年度厚生労働白書227頁)。
国や多くのマスコミは、日本の高齢者人口の増加を医療費抑制の理由にしてきました。しかし、国際的な医療経済研究者の間では、かなり前からすでに医療費増加の主な原因は、「医療技術の進歩」による医療費高騰であるとの結論で決着がついています。高齢者人口の増加に伴い確かに医療費は増加しますが、医療費全体から見ればその影響はごくわずかにすぎないとされています。
また、国がこれまで医療費抑制策として行ってきた医療費の窓口負担や医師数の抑制などは、いずれも医療費抑制の効果はないとされています。窓口負担は受診抑制を生みます。特に低所得者は受診抑制から病状を悪化させ、かえって医療費は増加し、全体としてみれば抑制効果はありません。これはOECDも指摘しています。医師が増えると医療費が増加するという仮説(医師誘発需要)も根拠はないとされています。国際的な研究では、すでに結論が出ていることなのです(兪炳匡著・「改革」のための医療経済学)。
ではなぜ、日本では、医療費抑制策が当たり前のようにいわれているのでしょうか。歴史を遡れば、いわゆるオイルショック後の1980年代、時の政府は行財政改革(土光臨調)において社会保障費は経済成長の足かせになるとしてその抑制を決めました。その後も今日に至るまで、その必要性や効果についてのエビデンスに値するデータに基づく検証もないまま、「医療費抑制」そのものが自己目的化され「医療費抑制ありき」の政策がとられてきました。
兪教授は、医療費抑制策の過去の政策はすべて失敗したと指摘します。日本は、その政策を相も変わらず続けています。そして、多くの国民は、国の「医療費抑制策」を当たり前のことのように受け入れてきたのです。
医療費抑制策からの転換
兪教授は、日本を取り巻く世界の産業構造の変化や日本の国際競争力の低下を指摘しています。かつては製造業が日本の経済成長を牽引し、国際競争力もありました。しかし、現在は、産業構造が大きく変化したうえ、日本の国際競争力は著しく低下し、韓国や台湾にも抜かれています。特にハイテク分野での劣位は甚だしく、コンピューターサイエンスの分野では、中国やシンガポールの大学が上位を占めるのに対し、東大をはじめとした日本の大学は遥か下位にあります。もはや製造業はもちろん、ハイテク分野などの最先端分野でもかつてのような国際競争力を取り戻すことは相当困難です。
これに対し、医療分野は、その経済波及効果と雇用創出効果は大きいとされます。米国では、学生の就職希望先の上位を医療分野が占め、しかも、地域医療機関が高いランキングにあります。2028年には、医療・福祉分野が雇用創出効果1位と予測されています。兪教授は、日本の研究においても、医療分野の経済波及効果と雇用創出効果が大きいことを数値化して説明しています(兪炳匡著・日本再生のための「プランB」)。医療・福祉分野にこそ財源を配分すべき理由がここにあります。
ただし、高額の医療機器や医薬品に財源を配分したとしても、それらを生産する企業はグローバル企業であったり、本社が大都市部にあり、そこに富が流失していきます。人手不足が原因で地域の公立・公的病院の統廃合が余儀なくされる現状からしても、絶対数が足りない医師数の増加をはじめ地域で働く医療従事者、福祉従事者の増員や労働条件の改善に配分されるべきです。それにより、地域経済は好循環し、地方再生にも繋がります。
国による分断を超えて
「医療へのアクセス」という人権と医療従事者の人権は、一見すると相対立するものとして、分断されてきました。しかし、両方とも同じ価値をもつ人権であり、今国が推し進めようとしている医療改革は、この双方の人権を侵害するものです。
しかも、今般、これまで行われてきた医療費抑制策に加え、「医師の働き方改革」により医師不足はより深刻な事態を生み、「医療へのアクセス」が一層阻害されることになります。
一方、「医師の働き方改革」は、表向きは医師の労働時間規制として医師の人権に配慮した形を取りますが、その実、本来違法な長時間労働を合法的なものとして追認することになります。また、「宿日直」は、労働時間規制を骨抜きにし、隠れた長時間労働を生むことになります。これらは、医療従事者の人権侵害を合法的なもの、あるいは、法の埒外に置こうとするものです。もはや国の政策は、住民のいのちと医療従事者のいのちという双方の人権について国の責任で守ることを放棄し、「自助」、自己責任とするものです。
国は、国民を分断し、国民の政治に対する不満の矛先を変えてきました。個別の運動や要求では、矛先を変えられてしまいます。
今こそ、分断を超えて、国民・住民と医療従事者双方が連帯した国民的運動が望まれます。
(『東京保険医新聞』2024年1月25日号掲載)