[視点]日本の公文書管理の問題点

公開日 2024年07月13日

日本の公文書管理の問題点


情報公開クリアリングハウス 理事長 三木  由希子

 

 歪められる公文書の取扱い

 多くの人が「公文書」という言葉をニュースで見かけるのは、たいてい何か問題があるときだろう。

 特に2017年からは顕著で、森友学園問題では交渉記録を隠ぺいし、決裁文書を改ざん、南スーダンの自衛隊日報も隠ぺい。加計学園問題では、獣医学部新設について官邸の介入をうかがわせる文部科学省の公文書の流出を受け、官房長官が出所も作成者も不明の「怪文書」だと主張した。桜を見る会問題では、参加者名簿が国会議員からの資料要求があった日に廃棄したとされた。異例の検察官定年延長の閣議決定がされたときには法務省が法の解釈を変更していたが、その意思決定の文書がないことが問題になった。

 いずれも共通するのは、政府の意思決定や活動が政治問題化するような場面で、公文書の取扱いがおかしくなったことだ。公文書は管理されていたのに、情報公開を求められたり政治問題化しそうになると隠ぺいしたり公文書を作成しないなどといったことが起こる。それは、公文書管理にも問題があるが、公文書の内容が政府や政権の活動や行動の原理や質を反映しているので、政府や政権の利害の影響を受けやすいということだ。

 このことを踏まえると、公文書管理や情報公開の制度は民主主義を支える車の両輪にもたとえられるが、両輪として適切に機能させるのは、そう簡単なことではないことがわかる。何しろ、公文書は適正に作成され、適正に管理すべきであり、情報公開が原則であることは当然であるとしても、それを実行するのはあくまでも政府などの行政組織だからだ。

 政府や政権の活動に利害関係を持つ人々が、自らの活動の内容を公文書として管理し、情報公開が求められれば公開・非公開を判断するのだから、いろいろと問題が生じることになる。

「適切」の線引きで置き去りにされた公正性

 これは公文書管理や情報公開の制度に意味がないということではなく、制度の趣旨や目的に沿って適切に機能させるのは容易でないということだ。政府に対して適切な運用を求めるだけだと、何が適切かの線引きに熱心になり、政府の信頼を高めるために公文書管理や情報公開制度の運用がどうあるべきか、という視点が抜けがちになる。

 直近の例では、新型コロナ対応時の政府の記録作成問題がその典型だった。

 新型コロナウイルス感染症対策専門家会議について、発言者名のない議事概要のみ公表され、発言者名のある議事録が作成されていないことが問題になった。すると、政府は公文書管理法にもとづく行政文書管理ガイドラインでは議事録の作成まで義務づけられていないと適法性を主張した。しかし、これは政府にとって都合の良い部分の解釈のみつまみ食いしたもので、その後、実は議事録の作成が必要であることを認めざるを得なくなった。

 そうすると今度は、会議出席者がわかれば発言者名と発言内容が一対一で紐づいた記録であることまでは義務付けられていないので、概要を議事録とすることで問題ないと主張。発言者と発言内容が一対一で紐づいているものが議事録と理解されていたが、非常時に乗じて解釈を変更したのである。一方で、社会的批判が高まったことで、専門家会議の構成員の了解を得たので、議事録とは別の速記録を保存し10年後に公開することで幕引きを図った。

求められる市民社会と政府の緊張関係

 ここで、速記録が保存され、10年後に公開されるので良かったと済ませてよいのかが問題になる。

 本来は、専門家会議において誰がどのようなことを述べたのか、という記録を作らず、管理せず情報公開もしないことによって、政府や専門家会議の信頼性が高まるのかを、政府は考えるべきだった。しかし、あえてそういう視点で制度の運用を考えず、いかに違法ではないかという論理を生み出すことに執着した。それが通用しないとなると、「違法ではないが法の求めを超えて対応した」という体裁をとってしまったわけである。

 こうした政府の行動原理は、そう簡単にはなくならないし、おそらくなくなることもないのだろう。しかし、まがりなりにも専門家会議の速記録を保存するとしたのは、政府や専門家会議の正当性に対する疑問という社会的圧力の結果だった。冒頭にあげた公文書に関わる問題の数々も、政治問題化して政府や政権は問題を認めざるを得なくなったのは、やはり社会的圧力によるところが大きい。

 そうすると、公文書管理や情報公開の制度は、基本的には政府が制度の運用を行っているが、それを本来あるべきものにするためには、政府に任せるだけでなく市民社会と政府の間の健全な緊張関係が不可欠だ。それによって、政府や政権が自分たちの利害のためではなく、公共の利益のために活動し仕事をするようになれば、公文書は自分たちの仕事が適切に行われていることを証明する手段になり、情報公開による説明責任を徹底されやすくなるはずだ。

 今はこうした状況からは程遠いので、公文書管理も情報公開も政府の説明責任を果たす観点から十分とは言えない状況にある。だからこそ、健全な緊張関係を作るために情報公開を求め説明を求めるということをあきらめずに続ける必要がある。

 

(『東京保険医新聞』2024年7月5日号掲載)