[視点]市販薬のオーバードーズの理解と支援 ―「助けて」が言えない子どもたち ―

公開日 2024年10月04日

市販薬のオーバードーズの理解と支援 ―「助けて」が言えない子どもたち ―


国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所 薬物依存研究部 心理社会研究室長
嶋根  卓也
                                                                                                                                   

スマホの書き込みから

「めじOD 学校嫌 全部嫌」「レタス5t追い焚き」……スマホに表示されたメッセージを眺めていても、すぐには理解できない。めじ・レタスは、特定の市販薬を意味する隠語。ODは、過量服薬を意味するオーバードーズ。追い焚きは、効果を維持するために薬剤を追加することを意味している。これからガブ飲みする大量の錠剤を手のひらの上に乗せた画像を添えた投稿や、過量服薬後に心身に起きた変化を時系列で綴った「ODレポ」のような投稿も散見される。SNS上では、こうした書き込みが連日投稿され、オーバードーズに関する情報の発信源となっている。

 近年、特にコロナ禍の前後で、若者を中心に咳止めや風邪薬といった市販薬の乱用患者が増加していることが様々な場面で指摘されるようになった。例えば、薬物依存症の治療や支援を行う精神科医療では、市販薬を主たる薬物とする患者の割合が、過去10年間で約7倍にも増加している。
 「助けて」が言い出せず、オーバードーズを繰り返す子どもたちには、どのような特徴があるのか、そしてどのような支援が求められるのか。

「助けて」が言えない子どもたち

 市販薬の乱用を繰り返す人たちに「どのような時にオーバードーズしたくなるか」と尋ねると「気持ちが落ち込んでいる時」「何も考えたくない時」「辛いことを思い出したくない時」「死にたい時」といった答えが返ってくる。つまり、遊び目的というよりも、自らが抱える生きづらさへの対処行動として、「自己治療的に」市販薬を乱用している姿が浮かび上がっている。

 多くの場合、生きづらさの根底にあるのは、親子関係や友人関係など対人関係に起因するストレスやトラウマ体験である。薬物問題を抱えた人たちの特徴として、家庭環境が不遇である場合や、虐待を受けるなどの辛い体験を有する場合が多いことが知られている。小児期の逆境体験が繰り返すうちに、自己評価が低くなり、「自分なんて価値のない人間だ」「どうせ誰も助けてくれない」と考えるようになる。本当は辛い気持ちを誰かに理解してもらいたい、でも自分から「助けて」とは言い出せず、その気持ちを薬と一緒に飲み込んでしまっているような状態だ。

 市販薬のオーバードーズは、辛い気分を一時的に麻痺させ、嫌な時間を先に進めてくれる魔法の道具となる。しかし、薬の効果が切れても、根っこにある「生きづらさ」は変わらず存在しているため、再び薬に頼らざるを得ないという悪循環が繰り返されていく。

正直に話せる安全な場所を

 医師が診療を通じてこの問題を抱えた患者に気づき、支援していくためにはどのようなことに注意が必要か。オーバードーズしたことを正直に話せる安全な場所を作っていくことが支援を始めるカギとなる。

 もとより、薬物問題を抱えた人は、24時間ずっと薬を使いたいと考えているわけではない。「このままではいけないな」「自分には支援が必要かもしれない」と考える瞬間もある。彼らの脳内には、使いたい気持ちとやめたい気持ち、相反する感情が綱引きをしているような両価性(アンビバレンス)がある。「またやってしまった」という告白は、同時に「本当はやめたい」というSOSのメッセージを含んでいることに注意したい。本来、再使用を告白すること自体が恥ずかしいことであり、勇気が必要な行動である。

 まずは正直に話してくれたことに感謝の気持ちを伝えつつ、患者が抱える生きづらさに対する理解を深めていきたい。

性急な変化を求めない

 患者に対して性急な変化を求めないという姿勢も重要なカギとなる。薬物をきっぱりやめること、つまり断薬が依存症治療のゴールと考える者も少なくないが、断薬を強調しすぎることは、薬物問題を抱えた当事者にとってみては、時としてプレッシャーになることを忘れてはいけない。

 薬物問題を抱える患者は、対人関係上のトラウマを抱えている上に、気分障害、発達障害などの併存障害を有するケースも少なくない。こうした患者の場合、オーバードーズ自体が自己治療的な意味合いを有するため、その行為を頭ごなしに否定したり、力ずくで奪ったりすることは、メンタルヘルスの状態が前より悪化する可能性がある。

家族支援から始まる依存症治療

 薬物問題を抱えた家族も当事者という視点も重要である。薬物問題を相談できず、抱え込んでいる家族は少なくない。自分の育て方がいけなかったと、自身を責めているケースもみられる。家族には家族に対する支援が必要である。

 例えば、自治体が設置している精神保健福祉センターでは、依存症の家族相談を無料で受けることができる。依存症の家族同士が支え合い、回復を目指す、家族会と呼ばれる自助グループの活動も全国に広がっている。家族がこうした支援につながることが依存症治療の第一歩となる。

 世間では、オーバードーズという問題行動そのものが注目されがちであるが、「困った使い方をしている人は、同時に困っている人かもしれない」という視点で捉えると、見える景色も変わるかもしれない。

 

(『東京保険医新聞』2024年9月25日号掲載)