公開日 2024年11月29日
被爆の実相と被爆体験者訴訟―長崎の黒い雨
長崎県保険医協会 会長 本田 孝也
被爆体験者とは
長崎の被爆地域は旧長崎市の行政区とされ、南北に細長い(図1)。このため各地で被爆地域拡大運動が起こった。1980年に「被爆地域の拡大は科学的、合理的根拠がある場合に限る」という基本懇答申が出されると、以後被爆地域の拡大はなされなかった。
1999年に長崎県、市が爆心地から12㎞圏内の被爆未指定地域の住民に対し健康調査を行った結果、同地区の健康被害の程度は被爆者と同等であった。これに対して厚生省(当時)はその原因を放射線による被爆によるものではなく、原爆に遭ったための精神的影響であるとし、2002年に住民の精神的疾患およびその合併症に対して医療費を助成する被爆体験者支援事業が始まった。「被爆体験者」とはこの時につけられた名称である。
図1 長崎の被爆地域
被爆体験者訴訟
原爆投下後、被爆未指定地域にも大量の灰や雨が降り、住民は汚染された水を飲み、野菜を食べて内部被曝を受けた。
被爆体験者支援事業は種々の矛盾を抱えた制度であり、たまりかねた住民が2007年に、自分たちも被爆者と認めるようにと起こしたのが被爆体験者訴訟である。第1陣、2陣あわせて500人を超える集団訴訟となった。
第1陣の長崎地裁は全員敗訴となったものの、2012年に長崎県全域の残留放射線を測定した米国マンハッタン調査団の調査結果が発見され勝訴の光が見えた。しかし福岡高裁は「被曝線量は100mSvに満たず、健康被害が生じるとは認められない」として原告全員に敗訴判決を下し、最高裁で確定した。
それでも諦められない原告44名が長崎地裁に再提訴し、被爆者認定を争い現在に至っている。
広島「黒い雨」訴訟
長崎と同様に広島の被爆地域外で原爆にあった住民が2015年に被爆者健康手帳の交付を求めて広島地裁に提訴した。原爆投下後広い範囲で雨、いわゆる黒い雨が降ったことより「黒い雨」訴訟と呼ばれた。
2020年の広島地裁判決に続き、2021年広島高裁は「黒い雨に含まれる放射性微粒子による内部被曝で健康被害を受けた可能性を否定できない」として原告全員勝訴の判決を下した。国は最高裁への上告を断念。勝訴原告と同様の事情にあった者を被爆者と認定し救済した。
しかし、長崎は救済の対象外とされた。
矛盾に満ちた令和4年指針
上告を断念した国は、長崎を被爆者認定の対象外とするための苦肉の策として「原爆投下後の黒い雨に遭ったこと」を被爆者認定の新しい基準とした。2022年(令和4年)に施行されたことから、令和4年指針と呼ばれている。広島では2022年4月より被爆者健康手帳の交付が始まり、これまでに6000件を超える住民が被爆者と認定された。
長崎の黒い雨
長崎でも広島に比べると少ないものの、原爆投下後に雨が降った。
ABCC(原爆傷害調査委員会)が1950年代に行った聞き取り調査によれば、長崎で904件の雨地点の情報が残されており、この中には被爆体験者の住居地も含まれている。2022年に長崎県が設置した「黒い雨に関する専門家会議」は1999年に長崎県、市が行った被爆未指定地域住民に対する証言調査の中から129件の雨に関する情報を抽出し、統計処理を加え「被爆地域以外でも降雨があったと認定できる」と結論した。
これらの雨地点とマンハッタン調査団の放射線測定地点をグーグルマップに落とし込んだのが長崎県保険医協会の「黒い雨デジタルマップ」である(図2)。雨が降った地点とマンハッタン調査団が残留放射線を検出した地点はよく一致する。これほど明らかな証拠があるにも関わらず国は雨が降った事実を頑なに認めようとしない。
図2 長崎県保険医協会「黒い雨デジタルマップ」
分断の判決
2024年8月9日、被爆体験者の代表と岸田文雄首相(当時)が面会した。岸田首相は「早急に合理的解決策を講じること」を厚労大臣に指示し、政治的解決が図られるかもしれないという期待が膨らんだ。
しかし、1カ月後の9月9日に長崎地裁は15名の原告に被爆者と認める勝訴判決を、残りの29名には訴えを退ける敗訴判決を下した。判決はマンハッタン調査団の測定結果を「測定精度が劣る」として認めず、専門家会議が分析した証言調査の中から特に雨が多かったとされる旧3村の住民のみを勝訴とした。とても受け入れられるものではない。裁判所に集まった弁護団、原告そして支援者に笑顔はなかった。
判決後、長崎市議会、長崎県議会は全会一致で国に控訴断念の意見書を採択、鈴木史朗長崎市長、大石賢吾長崎県知事は上京して岸田首相に控訴断念を要望した。長崎県保険医協会は被爆者認定を求める2万8056筆の署名を提出した。
しかし、控訴期限最終日の9月24日、岸田首相は約束を反古にし、無情にも控訴を表明した。
みなし被爆者支援事業
被爆体験者をあくまで被爆者と認めない国は、2024年12月、被爆体験者に対する新しい医療費助成制度をスタートさせる。
これまでの被爆体験による精神疾患という要件を撤廃し、代わりに令和4年指針と同じ11疾病に罹患していることを要件としている。医療費助成範囲を被爆者と同等としたといえば聞こえがよいが、新制度の名称は「第2種健康診断特例区域治療支援事業」、言い換えれば「みなし被爆者支援事業」、科学的根拠も合理性もない、まやかしの新制度である。
被爆体験者が訴えているのは被爆の実相であり、求めているのは被爆者として認定してくれることである。制度に迎合することなく、全ての被爆体験者が被爆者と認められる日まで闘い続けたい。
(『東京保険医新聞』2024年11月25日号掲載)