[視点]能動的サイバー防御法と医療DX推進の矛盾

公開日 2025年07月06日


東京保険医協会 会長 須田 昭夫

 

 

 

IT革命と医療情報

 20世紀後半から、情報技術の進化によって社会や経済が大きく変化した現象はデジタル革命といわれる。とくにコンピューターの発展、インターネットの普及により、人々の生活は劇的に向上し、第三次産業革命とも呼ばれている。

 家電製品、空調機器、医療機器、自動車などのマイクロコンピューターは、私たちの生活を大きく改善した。スマートフォンの普及は、情報の取得やコミュニケーションの方法を変え、SNSや動画配信サービスは日常の一部となっている。IT革命は「情報の処理と共有(自動化)」の進化でもある。

 政府はマイナンバーカードをつくり、相続発生時には預貯金、証券、固定資産の名寄せを速やかに行う実験に成功した。さらに健康保険証と結合してマイナ保険証を作り、マイナンバーカードを全国民に持たせようとしている。

 マイナ保険証に紐づいた情報の共有は、産業界が強く要求してきたことであり、物やサービスのダイレクトメール、保険やローンの信用調査などに使用される可能性がある。医療費の質と効率を改善するとも言われている。

 しかし、医療情報を医療以外で「利活用」すれば、まさに医療情報の漏洩である。医療という機微的な情報にかかわる健康保険証に、マイナンバーカードの情報も結合して、第3者による閲覧と利用を可能とするシステムを許してよいのだろうか。

AIの進歩と監視社会化の危険性

 コンピューターを巨大化して機械学習やディープラーニングが可能になると、性能が飛躍的に向上する。いま「機械が考える能力を活用するAI革命」(人工知能革命)が進行中だ。マイナ保険証は医療DXと称する、コンピューター利用の計画だが、「DX」は、政府や巨大資本が作るコンピューターシステムの罠が国民を取り込み、強引に支配してゆく社会の恐ろしさを感じさせる。

 AIは、ニューヨークセンタービル爆破事件の後、テロリストを発見するために米国の威信をかけて、巨額の国費を投入して開発した技術である。国民の膨大なデータを集めて分析・評価する社会は、監視社会と呼ばれる。一部の国ではすでにAIを活用した監視システムが導入されており、個人の発言や行動が評価されている。監視されていれば、犯罪が減少して安全な社会になる可能性もあるが、発言や行動が萎縮すれば、息苦しい社会になってゆく。AIの判定ミスによって不利な情報を登録された人は、不幸な人生を歩む危険がある。

 デジタル技術は正確さと低コストによって人類に恩恵を与えてきたので、AIにも大きな期待が寄せられているが、AIは莫大な費用と巨大な電力を消費するために、政治力と経済力に追随しやすい。

能動的サイバー防御法の問題点

 2025年2月7日、日本政府はAIを利用するためには戦争も辞さない閣議決定を行った。「重要電子計算機に対する不正な行為に関する法律案」(能動的サイバー防御法案)である。高機能化した国際デジタル空間をAIで常時監視する権限と、国外からのサイバー攻撃の兆候に先制攻撃する権限を政府に与える法案である。いずれの権限も他国の主権を侵害し、国際紛争を誘発する恐れがある。

 法案は国会に提出され、4月8日に衆議院本会議、5月16日には参議院本会議で可決、成立した。2027年末までに施行されるという。衆議院では国会の関与や、憲法に規定された「通信の秘密」や国民の権利、自由を尊重する旨が追記されたものの、本質的な危険性は変わっていない。

一律のデジタル化は社会の脆弱性を高める

 能動的サイバー防御法の成立は、米国からの強い要請に応えたものであるが、政府はデジタル空間の危険性を、かなりの緊迫性を持って認識していることを示している。

 しかし、その認識が正しければ、医療DXと称して、患者受付事務、記録、処方箋発行、医院連携などへ広範にデジタル化を導入することは、電子的な攻撃に対する医療の脆弱性を高めることになる。国民の生命の安全確保と相反する方針であって、整合性が取れていない。

 折りしも2025年4月30日、スペインとポルトガルで大規模停電が発生した。電力需給の急変動が原因に挙げられているが、スペイン政府はサイバー攻撃の可能性も排除できないと発表した。停電でマイナ保険証が使えなくても、医療は行われなければならず、非デジタルの資格確認として健康保険証または資格確認書が、マイナ保険証のバックアップとして使われている。

 最近の調査によると、マイナ保険証の利用増加に伴って、トラブルも増加傾向にある。資格情報の無効が増加しており、カードリーダーの接続不良・認証エラー、マイナ保険証の有効期限切れなどが報告されている。カードリーダーの操作が難しく、患者が一人で対応できないとき、医療機関のスタッフがサポートに時間を取られることも問題である。

 調査によると、マイナ保険証を利用する医療機関の約9割が何らかのトラブルを経験しており、「特にトラブルはない」と回答した医療機関はわずか10・6%である。また、窓口業務の負担が増えたと感じる医療機関は約6割にのぼり、事務負担軽減は実現していない。

 マイナ保険証の運用を廃止する時期に来ているのではないだろうか。あるいは、健康保険証または資格確認書との併用が必要だ。

(『東京保険医新聞』2025年7月5号掲載)