[視点]新学術会議法の制定と今後の課題

公開日 2025年08月26日

新学術会議法の制定と今後の課題

                     

東京慈恵会医科大学 名誉教授 小沢 隆一

 

 多くの学協会や市民、そして何よりも当の日本学術会議(以下、学術会議)の反対を押し切って、6月11日、現在の学術会議を廃止して、新たに「特殊法人」としての学術会議(以下、新学術会議)を設立する日本学術会議法(以下、新法)が成立しました。

旧学術会議法の換骨脱胎

 新法は、これまでの日本学術会議法(以下、旧法)と同じ名称でも中身はまったく違います。それは、旧法が、前文で「科学が文化国家の基礎であるという確信に立つて、科学者の総意の下に、わが国の平和的復興、人類社会の福祉に貢献し、世界の学界と提携して学術の進歩に寄与すること」をその使命とすると謳い、その職務を独立して行う国の機関と明記していたのをすべて消し去っていることからも明らかです。

 政府、与党等は、新法により新学術会議の独立性が高まると主張しますが、同法は、新学術会議に対し、内閣総理大臣が任命する監事や日本学術会議評価委員会、選定助言委員会及び運営助言委員会という外部の者からなる機関を設け、幾重にもその人事及び運営を制約する仕組みを新設しました。これにより、学術会議の独立性・自律性は深刻に脅かされるおそれがあります。

政府による人事介入の懸念

 新学術会議発足時(2026年10月)の会員の選任は、ナショナル・アカデミーの世界標準であり、現行の学術会議が採っている会員選考方式であるコ・オプテーション(現会員が次の会員候補者を推薦する方式)を採らず、会員候補者選定委員会が選定した候補者から総会の決議により選任します。この新選考方式は発足3年後、2029年の2回目の会員選任でも繰り返されます。

 これでは会員選考に関する政府からの独立性が十分に確保されず、かつ、これまでの学術会議との連続性が遮断されかねません。新会長の人事も、内閣総理大臣の判断に大きく左右されかねない仕組みになっています。財源の国庫負担の原則が明示されず、安定した財政基盤が確保されないおそれもあります。 

2020年会員任命拒否問題も未解明なまま…

 新法案の国会審議では、2020年当時の菅義偉内閣総理大臣による私も含む学術会議会員候補6名の任命拒否について明確な理由の説明もないままに新たな会員選定制度を立ち上げることへの疑義が、学術会議をはじめ、審議に関わった多くの政党、会派から出されました。ところが、政府はその理由の説明も根拠となる文書の開示もしないまま、逆に新学術会議を内閣総理大臣の監督権の下に置くという、本末転倒のことをしてしまいました。

 さすがにこれは「乱暴」だと恥じたのか、法案の採決にあたり衆参の内閣委員会のいずれもが、「令和二年の会員任命拒否問題について、国民に説明責任を果たし、国民の信頼を得るよう努めること」との附帯決議を全会一致で採択しました。しかし、一般に、国会の付帯決議は、「うやむや」にされるのが政治の世界の常です。

任命拒否問題と軍事研究推進との関係

 私を含む会員任命拒否の発生から約5年が経過した今の時点に立ってみると、任命拒否は、それに先行する軍事研究をめぐる政府と学術会議との「あつれき」の中でのひとつのエピソードといえます。こうした「あつれき」は、「政治」と「学問」がそれぞれの立場を主張する限り、しばしば起こりうるものですが、この場合の「あつれき」は、先の侵略戦争の反省の上に立って9条を定め、先行する明治憲法にはなかった「学問の自由」を保障する23条を盛り込んだ日本国憲法の評価に関わるものである以上、ことがらは重大です。

 戦争を放棄した日本国憲法の下で、学問は、人類の平和と福祉のために貢献するべく、その自由を謳歌し、自律的な営みとして位置づけられました。学術会議は、その精神を堅持するために「軍事研究への非協力」を2度にわたって宣言してきました。そこに、2015年に防衛省が「安全保障技術研究推進制度」を立ち上げると、学術会議は従来の立場を確認する3度目の声明を発しました(2017年3月「軍事的安全保障研究に関する声明」)。2015年に安保法制を成立させ、国策として軍事研究、武器の生産、輸出を推進しようという政府の方針と、憲法9条と23条の理念にのっとり、それに慎重な姿勢をとる学術会議を何とか変えようというその思惑とが、今回の学術会議の改変の深層には伏在しているのです。

反対運動が示した「学術界と市民との共同」とその課題

 こうした学術会議の改変は、残念ながら新法によって制度化されてしまいましたが、これに反対するオンライン署名には、最終的に7万を超える賛同が寄せられ、また数多くの学協会や団体が、新法案への反対姿勢を堅持する学術会議を支持する声明を発するなどして、この種の取り組みとしては、空前の広がりをみせました。それは、「学術界と市民の共同」と呼ぶにふさわしい、今後に残る貴重な成果です。これは、保険医協会が、人々の命と健康を守るために「マイナ保険証」の問題点を指摘して改革を提起している取り組みと共通するものでしょう。

 新法の成立を受けて、内閣府は、6月26日に新法人としての学術会議の発足時の会員選考に関わる首相指定の有識者と発足準備の事務を担う設立委員を選任しました。9名の設立委員のうち3名は、現在の学術会議の正副会長です。そして、現在の学術会議会長の光石衛氏には、石破茂総理大臣から、新学術会議の「会員予定者」の指名などの権限が委任されました。これは、同会長が、設立委員の準備会合で、学術会議の「理念・使命の継続性の尊重、会員の選任、運営活動における独立性・自主性・自律性の尊重」を旨とするよう主張したことのひとつの成果といえるでしょう。

 新学術会議は、市民と学術界との協力によって、新法が設定した制約の多い枠組みのもとでも、日本国憲法の理念に依拠しこれを体現する組織と運営を維持し、発展させていかねばならないのです。それは、人類の福祉と平和な未来を創造することが、医学、医療も含むすべての学術の使命である以上、決してゆるがせにすることはできません。私もまた、学術の担い手のはしくれとして、今後ともそのことに微力ながら力を尽くしていきたいと思います。

(『東京保険医新聞』2025年8月25日号掲載)