[視点]生活保護基準引下げ訴訟 最高裁判決の意義と今後の課題

公開日 2025年09月08日

生活保護基準引下げ訴訟 最高裁判決の意義と今後の課題

                     

はびきの未来法律事務所/生活保護基準引下げ訴訟大阪弁護団 弁護士 安田 弘光
 

1 生活保護基準引下げ訴訟とは

 厚生労働大臣は、2013年から2015年にかけて、段階的に生活扶助基準を減額する保護基準の改定(以下、「本件改定」という)を行った。

 保護基準の改定により生活保護費(生活扶助費)が減額となった生活保護利用者らが原告となり、保護の減額決定の取消しと国家賠償(保護基準の減額改定による精神的苦痛の賠償)を求めて提訴したのが、生活保護基準引下げ訴訟である。

 生活保護基準引下げ訴訟は、大阪を含む全国29地裁31件が提訴されており、全国各地で争われてきた。

 厚生労働大臣が本件改定を行った理由として国が主張してきたのは、主に、①デフレ調整と②ゆがみ調整の2つである。

 ①のデフレ調整とは、物価の下落に合わせて保護費を減額するというものである。国は、厚生労働省が独自に作成した物価指数をもとに物価の下落率を計算し、物価が4・78%下落したとし、この下落率をそのまま生活保護基準に反映させ、改定前の基準生活費を一律に4・78%減じた。

 ②のゆがみ調整とは、年齢・世帯人員・地域別に、生活扶助基準と現実の消費実態との間のかい離(ゆがみ)を調整するものである。

 厚生労働省では、②のゆがみ調整を検討するため、本件改定を行う前に、社会保障の専門家等によって構成される「生活保護基準部会」での検討が行われてきた。

 しかしながら、実際に厚生労働大臣が行った本件改定では、生活保護基準部会が算出した数値をそのまま用いるのではなく、2分の1だけ反映させるという処理をした(これを「2分の1処理」という)。また、①のデフレ調整については、基準部会で検討すらされていなかった。特に2分の1処理については、厚生労働省と当時の政権与党(自民党)の幹部との間で極秘裏に行われており、マスコミの調査報道で初めて明らかになった。

 2021年2月22日に言い渡された大阪地裁判決は、本件改定のデフレ調整を違法とし、減額決定を取り消した。国家賠償請求は棄却したものの、原告側の言い分を認めた内容であった。

 しかし、2023年4月14日に言い渡された控訴審判決(大阪高等裁判所)は、国・自治体の言い分をそのまま認めて大阪地裁の判決を取り消し、原告の請求を全て棄却した。

 この控訴審判決を不服として原告らが最高裁判所に上告受理を申し立てた。

2 最高裁判決の内容

 2025年6月27日、最高裁判所第三小法廷(宇賀克也裁判長)は、保護費の減額決定を取り消す判決を言い渡した(国賠請求は棄却)。

 判決は、物価の下落を理由に保護費を減額したデフレ調整を行ったことについて、「基準部会等による審議検討が経られていないなど、合理性を基礎付けるに足りる専門的知見があるとは認められない」とし、厚生労働大臣の「判断の過程及び手続には過誤、欠落があったものというべきである」と指摘した。その上で、厚生労働大臣が行った「保護変更決定は違法というべき」であるとして、違法な保護変更決定に基づいてなされたそれぞれの原告に対する保護減額決定を取り消した。

 なお、この判決には、行政法学者出身の宇賀克也裁判長が個別意見を付している。宇賀裁判長は、原告らが最低限度の生活の需要を満たすことができない状態を長期間にわたって強いられていたことからすると、財産的損害が賠償されれば足りるから精神的損害を慰謝する必要はないとはいえないとして、国家賠償についても認容すべきとしている。

3 最高裁判決の評価

 生活保護基準の引下げに関しては、過去、老齢加算の廃止に基づく保護費の引下げの適法性が争われた事件があり、この事件において最高裁判所は、保護基準を改定するにあたって厚生労働大臣が裁量権を有することを認めつつ、その裁量判断の適否に関しては、「主として改定に至る判断の過程及び手続に過誤、欠落があるか否か等の観点から、統計等の客観的な数値等との合理的関連性や専門的知見との整合性の有無について審査されるべき」として、厚生労働大臣の裁量権の適否を裁判所が審査する際の枠組みを示している(平成24年2月28日最高裁第三小法廷判決など)。

 本判決は、この老齢加算事件における判断枠組みにあてはめて、厚生労働大臣が行った本件改定につき裁量権を逸脱するものとして違法と判断したものである。

 最高裁判所において、個別の処分ではなく、厚生労働大臣が行った保護基準の改定そのものを明確に「違法」と判断し、保護費の減額決定を取り消した事例は過去にはなく、本件最高裁判決は画期的なものであると言える。

4 判決後の展開及び現状の課題

 最高裁により保護費の減額決定が取り消されたのであるから、原告らには、最大で2013年以降、本来受け取れるべきであった保護費よりも少ない額の保護費しか受け取ってこなかったことになる。したがって、国・自治体側は、本来受け取れるべき保護費と実際の保護費との差額について、遡って支払われなければならない、ということになる。

 なお、本件最高裁判決は、原告となった個別の生活保護利用者に関してなされたものではある。しかしながら、厚生労働大臣が行った本件改定そのものが最高裁で「違法」と判断されたのであるから、本件判決の論理は、原告だけでなく、保護費を減額されたすべての生活保護利用者にも及ぶべきものである。

 したがって、弁護団としては、原告となった生活保護利用者だけでなく、本件改定によって影響を受けたすべての生活保護利用者に対する速やかな差額の支給と真摯な謝罪を、国側に求めている。

 また、今回、多くの生活保護利用者が憲法25条が保障する「健康で文化的な最低限度の生活」を下回る生活を長期間にわたって強いられるという前代未聞の事態がもたらされた。しかし、これは保護基準の設定・変更を厚生労働大臣の裁量権に委ねる仕組みに由来するものであり、現行のルールのままでは同様の事態が再び発生する危険もある。弁護団としては、再発防止のため、本件引下げに至る原因の調査・解明とともに、生活保護基準改定方法の適正化等を国に求めている。

 最高裁判決が言い渡されて既に2カ月が経つが、国側から具体的な差額の支給の話はなく、謝罪や再発防止策の表明もなされていない。弁護団は、現在も国側とハードな交渉を続けている。

(『東京保険医新聞』2025年9月5日号掲載)