【医学生・若手医師論文コンクール2025】最優秀賞作『医療機関の経営状況と医師の自律性から考える国民皆保険制度の未来』

公開日 2026年03月27日

『医療機関の経営状況と医師の自律性から考える国民皆保険制度の未来』

浜松医科大学

佐野 智哉

Ⅰ.背景

 先日、関東にある大学附属病院に勤務する医師から「昼休みには節電のため医局の電気を消している」と伺った。国の基幹病院である大学病院において、経営難の影響が日常業務の隅々にまで及んでいる事実に、私は大きな衝撃を受けた。同時に、将来地域医療に携わりたいと志す医学生として、この問題は自身の進路にも直結する切実な課題だと感じた。

 本稿では、まず病院団体等の公表資料をもとに医療機関の経営悪化とその制度的要因を整理し、医学生を対象としたアンケート調査を通じて、私自身を含む学生が抱く将来への不安の原因を可視化する。その上で、国民皆保険制度のもとで質の高い医療提供体制を維持していくために、どのような課題が存在し、何が求められているのかについて、医学生の立場から考察する。

Ⅱ.国立大学病院・自治体病院における経営悪化の実態

 国立大学病院長会議令和6年度決算概要によれば、国立大学病院の収益は前年度比546億円増加したが、費用はそれを上回る773億円の増加となり、285億円の赤字を計上した(1)。費用増加の内訳は、人件費が304億円、診療経費が436億円増加しており(1)、固定費と変動費の双方の急騰が経営を圧迫している構造が浮き彫りとなっている(表1)。

 設備面では、建物や医療機器の更新が困難な状況にある。平成24年度以降、建物及び医療機器の価値残存率は大きく低下している(1)(図1)。これらの更新には、合計4,115億円が不足していると試算され、設備の老朽化が、経営上の深刻な課題であると指摘されている。こうした状況について、国立大学病院長会議の大鳥会長は、医療機器が更新できないと、高度な治療が行えず、古い治療法を選ばざるを得なくなると述べており(2)、病院の経営悪化が、提供可能な医療の質そのものに制約を及ぼしつつあることへの懸念が示されている。

 こうした医療機関の経営悪化の背景として、診療報酬本体が物価や人件費の上昇に見合う水準で改定されていないという制度的課題が、病院団体等から指摘されている。

 日本医療法人協会の試算によれば、2020年から2024年にかけて医療従事者(医師等を除く)の給与は6.88%上昇し、消費者物価指数は11%上昇している一方で、診療報酬本体の改定率は累積でも1.87%にとどまる(3)。病院経営を維持するためには、本来7.10%の診療報酬本体の引き上げが必要だと試算されており(3)、医療提供コストと診療報酬水準との乖離が拡大し続けていることがうかがえる(図2)。

 こうした状況が続けば、設備更新や人員確保が滞り、高度医療の継続や地域医療体制の維持が困難となる。その結果、医療の質が低下し、国民が本来享受すべき医療を受けられなくなると考えられる。

Ⅲ.医師の「志」への影響

 こうした経営環境の悪化は、医療の質を低下させるだけでなく、医師のプロフェッショナリズムそのものにも影響を及ぼす。

 世界医師会の「プロフェッショナル・オートノミーと臨床上の独立性に関するソウル宣言」では、プロフェッショナル・オートノミーと臨床上の独立性を「個々の医師が診療に際して、外部の第三者ないし個人から不当あるいは不適切な影響を受けることなく、自らの専門的判断を自由に行使するプロセス」(4)と定義している。

 その上で、同宣言はこれらを「すべての患者と人々に対して質の高い医療を提供するための必須の要素」(4)と位置づけ、次のように警告する。

「医師は、治療上の決定をする際に、医療制度の構造と利用可能な資源を考慮しなければならないことを認識している。政府や行政機関が課す臨床上の独立性への不合理な制約は、エビデンスに基づくものではないこともあり、また患者医師関係に不可欠な要素である信頼性を損なうリスクがあるため、患者の最善の利益にはならない。」(4)

 今、この宣言が危惧する状況が、日本において現実になりつつある。経済的制約によって「必要な検査ができない」「古い治療法を選ばざるを得ない」という事態は、まさに宣言が指摘する「臨床上の独立性への不合理な制約」に該当する。医師が「患者のためにこうすべきだ」という専門的判断を、経営論理によって曲げざるを得ない葛藤は、プロフェッショナル・オートノミーへの明白な侵害である。そして、宣言が警告するように、こうした自律性の欠如は、「患者医師関係に不可欠な要素である信頼性」の喪失を招き、患者の最善の利益を侵害すると言える。

 では、このようなプロフェッショナル・オートノミーの喪失が続くと、医療現場にはどのような影響が生じるのか。同様の制度的制約が先行して顕在化した米国の事例が具体的な示唆を与えている。
 The Wall Street Journal “Why Doctors Are Sick of Their Profession”によれば、米国では医療費抑制政策の下、健康維持機構を中心としたマネージドケアが拡大した結果、医師は保険審査や書類業務に多くの時間を割かざるを得ず、患者と向き合う時間が削られたと指摘されている(5)。

 同記事が紹介する調査では、約1万2000人の内科医の内、「医師という職業にやりがいを感じる」と回答したのは6%にとどまり、約半数が今後3年以内に診る患者数を減らすか、診療をやめる意向を示したという(5)。
つまり、制度上の制約によって「必要だと思う医療を十分に提供できない」と感じる状況が継続すれば、医療現場における医師の専門職としての自律性と職業意欲の低下を招きかねない。

Ⅳ.医療機関の経営状況と将来のキャリア選択に関するアンケート調査

 このような状況が医学生の診療科選択にどのように影響するかを明らかにするため、医学部医学科学生を対象に、医療機関の経営状況と将来のキャリア選択に関するアンケート調査を実施した。調査では、まず、昨今の診療報酬制度の動向や病院経営の悪化が、自身の診療科や勤務先選択に与える影響について5件法で尋ねた。次に、同質問で影響があると回答した学生に対し、制度が現状のまま推移した場合に考えられるキャリア選択の変化について複数回答形式で問うた。

 本調査の有効回答数は82名であった。診療科や勤務先選択への影響については、「大きく影響しそう」あるいは「ある程度影響しそう」と回答した学生が全体の78.0%を占めた(図3)。


 さらに、このまま推移した場合の変化として、「興味・やりがいよりも収入・労働時間等の待遇面を重視せざるを得ない」が最も多く(45件、70.3%)、これに次いで「負担や採算面で厳しいとされる診療科を選択しにくくなる」が多かった(40件、62.5%)(図4)。


 本調査により、昨今の診療報酬制度の動向や病院経営の悪化が、医学生の将来の診療科・勤務先選択に強く影響している実態が明らかになった。とりわけ、「興味・やりがいよりも待遇面を重視せざるを得ない」「不採算診療科を選びにくい」といった回答は、一見すると金銭的利益の追求を反映しているようにも解釈しうる。

 しかしその背景には、経営悪化に伴う人員不足や教育体制の脆弱化のもとでは、自らが納得できる質の高い医療を実践し、専門性を段階的に高めていくために必要な環境が確保されないのではという学生の不安があると考えられる。すなわち、学生は医療の質と自身の専門的成長が十分に果たせないのであれば、やむを得ず待遇面を重視した選択をとっていると考えられる。
医療機関の経営悪化は、現在の不採算診療科や地域医療だけの問題ではなく、若手医師が忌避することで将来にも大きく影響を及ぼす可能性を示唆しており、医療提供体制の持続性そのものを揺るがしかねない深刻な課題であると考える。

Ⅴ.結語 持続可能な医療提供体制に向けて

 本稿では、医療機関の経営悪化と、その背景にある診療報酬制度の構造的課題を整理するとともに、医学生に対するアンケートを通じて、制度の不安定さが将来のキャリア形成に及ぼす影響を検討した。

 医療費抑制が続いた結果、現場では必要な医療を安定的に提供することが困難となる事例が顕在化しつつあり、その深刻さはもはや看過できない水準に達している。これは、外部からの不当な影響によって医師の専門的判断が制約されることを危惧したソウル宣言の警告が、現実化しつつある状況を意味する。医師が十分に自律性を発揮できない環境では、患者との信頼関係が揺らぎ、結果として質の高い医療の提供が困難になる。

 そのような現場の状況が、将来医療を担う若手医師や医学生の進路選択にも影響を与えていると考える。本稿の学生アンケートでも、こうした制度上の制約が診療科選択に影響を与え、診療科偏在の一因となっている可能性が示唆された。

 したがって、今こそ、国民皆保険制度の下で必要な医療を安定して提供し続けるために、公的支援を拡充し、その運営基盤を強化することが求められている。これは、単なる赤字補填ではなく、医師が専門的判断を自由に行使し、必要な医療を継続的に提供できる環境を守るために不可欠である。同時に、こうした制度的な支えは、若手医師や医学生が、経済的制約に過度に左右されることなく、志に基づき自身の望むキャリアを選択できるようにするうえでも重要である。

 私自身、医学生として、厳しい経営状況の中でも患者に向き合い続ける医師の姿を身近に見てきた。制度が改善され、医療機関が必要な設備や人材を安定的に確保できるようになれば、私たち次世代の医療者も希望を持って学び、将来、より良い医療を患者に届ける力を存分に発揮できると考える。少子高齢化の進行に伴い皆保険制度の持続可能性が議論される中で、現場の声に加えて、これから医療を担う若い世代の不安や思いにも耳を傾け、社会全体で医療の未来を支える仕組みが維持されていくことを期待する。

〈参考文献〉

1)国立大学病院長会議.令和6年度決算概要.2025年7月9日.
https://plaza.umin.ac.jp/~nuh-forum/report/kaigi/pdf/250709.pdf
(2025年10月30日最終閲覧)

2)国立大学病院長会議が危機感、「大学病院機能は維持できず」.m3.com. 2025年10月27日.
https://www.m3.com/news/open/iryoishin/1303262
(2025年10月30日最終閲覧)

3)日本医療法人協会.病院医療提供コストの上昇と診療報酬対応不足の試算.2025年5月28日
https://ajhc.or.jp/siryo/20250528_ajhc.pdf
(2025年10月30日最終閲覧)

4)世界医師会.プロフェッショナル・オートノミーと臨床上の独立性に関するWMAソウル宣言.
https://www.med.or.jp/dl-med/wma/seoul2008j.pdf
(2025年11月1日最終閲覧)

5)Jauhar S.Why Doctors Are Sick of Their Profession.The Wall Street Journal.2014年8月29日 
https://www.wsj.com/articles/the-u-s-s-ailing-medical-system-a-doctors-perspective-1409325361
(2025年10月30日最終閲覧)

 

受賞者コメント

 この度は本論文を評価いただき、栄誉ある賞をいただいたことを大変光栄に思っております。この場をお借りして、選考委員の皆様に厚く御礼申し上げます。
 また、本論文に関してご指導を頂いた大磯義一郎教授に心より感謝申し上げます。
 平成20年度以降、医師偏在対策が本格化しましたが、今もなお診療科偏在の傾向が続いています。厚生労働省は昨年、医師偏在対策推進本部の設置を行い、診療科偏在に対して更なる対策を講じる段階に入っています。地域枠制度においても制度利用者の義務の強化などが講じられる可能性がありますが、これらの検討に制度利用者の声が届きにくい現状にあると言えます。持続可能な診療科偏在対策を推進するため、当事者となる研修医や医学生の意見を聞き、義務履行によって将来の選択肢を制限することなく診療科偏在を解決する手法を模索できるよう期待しています。この度は、誠にありがとうございました。