公開日 2026年03月28日
『「タスクシフト」を問い直す
―医師の専門性およびその責任の観点から―』
千葉大学医学部医学科
川口 龍成
0.はじめに
わが国において「医師不足」は今日の医療政策における深刻な課題である1。医師の総数そのものは増加傾向にあるものの、医師の診療科偏在と地域偏在は是正されておらず、特定の診療科、特定の地域において「医師不足」は差し迫った危機だといえよう1。同時に「医師の働き方改革」も医療政策においてきわめて重要性を持っている。特定の診療科や地域において、医師に長時間の過酷な労働が強いられている現状はいかなる意味でも正当化不可能である2。
一見して明らかな通り、「医師の働き方改革」と「医師不足」への対応には両立し難い面がある。「医師の働き方改革」によって、医師の労働時間を短縮することは、その分の業務を他の誰かが担わなくてはならず、「医師不足」にいよいよ拍車がかかると考えられるからだ。そのような中で「医師の働き方改革」と「医師不足」への対応を両立させるための方策のひとつとして「タスクシフト」を挙げることができよう3。つまり、医師のみがこれまで管轄していた医行為の一部を医師以外の医療職に委譲するということである。従来の医師の過重な業務を軽減するうえに、これまで医師のみが行なっていた業務を他職種が担うことを可能にする「タスクシフト」は、「医師の働き方改革」と「医師不足」への対応を両立させるための有望な手段であるだろう。
にもかかわらず、「タスクシフト」には手放しで肯定するわけにはいかない本質的な問題が伏在しているのではないだろうか。この問題に取り組むことが本稿の課題となる。以下、私はこれまでの知見を参照しつつ、この問題を「専門性の領域確定」および「責任の帰属」という側面から整理したうえで(第1節、第2節)、二つの側面を貫く視座を提示し(第3節)、その視座に基づき将来の「タスクシフト」の実装において不可欠だと考える提案を行う(第4節)。
1. 専門性の領域確定
医療における「タスクシフト」はもっぱら医師から医師ではない医療職への業務委譲を意味しており、その逆ではない。このことは医師に他職種よりも広範な領域に及ぶ医療行為が許されているという制度的な事情より帰結する。現在、「タスクシフト」によってかつて医師にのみ許されていた行為を他職種が担うことに対しては当の他職種が抵抗を示している場合があることを認識することがまず重要だと考える。例えば、一部の医行為を担う救急看護師は「タスクシフト」によって「看護の形が曖昧になること」を危惧している4。これは看護師が医師の補助役としてのみ扱われかねないこと及び看護師が医師に酷似した存在に変質すること(看護師のミニドクター化)への懸念に基づいている。「タスクシフト」は専門職の専門性の内実への反省的な視点を要求するのだ。
もちろん「タスクシフト」によって、医師が医師にしかできない業務に集中することができると主張する立場もあるだろう。しかし、先に一部の看護師の懸念を確認した今、このような主張は以下に示すように二重に問題含みだと言える。
第一に「タスクシフト」によって医師がその中核的な業務に従事できることを単純に称揚する言説は、他医療専門職の専門性を十分に尊重できていない。「タスクシフト」で医師の業務を肩代わりした他医療専門職(例えば看護師)はその専門性を十分に発揮できなくなるかもしれない。言い換えれば「看護師にしかできない業務」を圧迫する可能性が否定できない。「タスクシフト」の意義を医師の側からしか評価しないことで、他医療専門職が医師の「雑用係」とみなされ、その専門性を認識することができなくなるのだ。
第二に「医師にしかできない業務」とはそもそも何かという問題がある。特定看護師が制度的に導入される前には、特定看護師が現在担当するようになった業務は「医師にしかできない業務」であったはずである。そうだとすれば、予め「医師にしかできない業務」が決定されているという考えは大きな間違いであるだろう。特定看護師の導入それ自体が「医師にしかできない業務」がはじめから自明のものではないことを証立てているからである。看護師による医行為が医師によるそれと同程度(またはそれ以上に)安全かつ良質であったことも報告されており、なおさら医師の専門性とは何かが問われることになるだろう5。価値ある専門性を構成する要素の一つに「代替不可能性」、すなわち他者が模倣できないことを挙げる議論を踏まえても6、「タスクシフト」は医師に己の専門性の内実を鋭く問いただす契機になると言える。
2. 責任の帰属
特定看護師が従来医師にのみ許されていた医行為の一部を実行できるようになったにせよ、その行為自体は医師の指示に基づいている。そう考えれば、医師の専門性とは特定の行為に規定されるというよりかは、医療全体の責任を担うことだとも言い得るだろう。「タスクシフト」の普及により、多くの医行為が他職種によって代行可能になったとしても、誰かが全体の責任を担う必要がある。その責任こそが代替不可能な医師の責任なのだと主張することの正当性は否定できない。
しかし、責任主体としてのみ医師の特異性を想定することには多くの問題がある。まず言えるのは現行制度では「タスクシフト」の促進が判断の主体と行為の主体の不一致を助長するということである。看護師ら他職種の行為の幅が広がっても、行為を指示する判断の主体が依然として医師のままであるとすれば、他職種が自らの行為に十全な責任を負う余地は狭まるだろう。責任と専門性は表裏一体である。判断の責任者と実際の行為者の対応関係が著しく乖離するとすれば、それは他職種を医師に従属するものと見る前時代的な階層秩序を再生産するだけだ。例えば、骨髄検査(bone marrow examination)の看護師への「タスクシフト」実施に影響しうる要因を検討した研究では、医行為の判断と責任が究極的には依然として医師に帰属していることが指摘され、そのことが専門職としての看護師の独立性や自律性を損ない、キャリアの発展が乏しいままになりかねないと懸念されている7。
一方で、多くの看護師が医行為における重大な判断の責任主体はあくまでも医師であるべきだと考えていることも併せて指摘されており、医療における職種ごとの責任をいかに規定し直すかという課題が全く一筋縄ではいかないことも明白だと言わねばなるまい7。
3. 医師の専門性と責任
ここまでの考察で医師という専門職に関して明らかになったのは次のことである。第一に医師の専門性はすべてが予め決定されたものではありえず、その領域は社会のニーズに応じて変化しているということ、第二に医師が医療において包括的な責任を負いつつも、その根拠は必ずしも自明ではないということである。AIの医療への応用が加速している現状を鑑みても8、「タスクシフト」は他職種の問題であるのと同程度、あるいはそれ以上に医師という職種そのものへの問い直しを伴うのだ。
「タスクシフト」の実装は、医師の専門性とは何か、医師の責任とは何かという大きな問題を正面から引き受けることでしか実現できない。いま明らかになりつつある課題に対して次節で私の回答としての提案を示す。
4. 提案
医師の専門性が予め決定されたものではないということ、その事実が他医療専門職の専門性と齟齬をきたしうるという困難な事態はむしろ新たなチャンスを生み出す契機であると私は考える。なぜならば、この事態は各医療専門職の専門性を特定の行為によって定義する思考が無益であることを露呈させるからである。例えば、従来は医師が行なっていた医行為を看護師が看護の観点から再定義する余地が常に残されている。実際、救急看護師が医行為を担うことで「ケアとキュアの融合により厚みを増す救急看護」が実現されうることを当の救急看護師が肯定的に評価している4。医師を含む各々の医療専門職が自らの専門性を問い直す中で、同じ行為に別の意味づけを与え直すことが可能になり、専門性の内実は状況に応じて書き変わるのだ。
次いで「タスクシフト」によって医行為を担う主体が拡散したとき、行為と判断の責任が誰に帰属するのかという問題に取り組まねばならない。「タスクシフト」が普及した場合、現行の法体系では医師が判断の責任を負うことになっており、行為の責任と判断の責任の齟齬が深刻化することに課題があるのであった。私はこの問題に対処するために判断と責任の主体を個人から診療ケアチームへの移行促進を提案したい。すなわち、チームをそれ自体の専門性を有した主体として構築し、それにふさわしい法的身分の付与を含めた制度整備を試みるということである。すでにカナダではチーム単位での報酬体制の整備も検討されている9。法的主体としてのチームを既存の法体系に位置づけることによって、特定の職種(この場合は医師)に不均衡な責任がかかる事態を回避できる。実際、幾人かの論者は医療におけるチーム体制の整備が「タスクシフト」に伴う責任の帰属問題をはじめ職種間の軋轢を止揚する可能性を肯定的に評価している7,10。私たちは判断と責任の主体としての診療ケアチーム構築によって、医療専門職の旧来的な階層秩序への従属から「タスクシフト」を解放し、その可能性をラディカルに推し進めることができると考える(図1参照)。
図1. タスクシフトから診療ケアチームの書き換え

5. 終わりに
医療における「タスクシフト」の考察を経て、本稿は医療職の専門性が社会のニーズに応じて変容可能であることを確認し、多職種連携に基づいた診療ケアチームの機能とその責任のあり方を継続的に更新するという提案を示すに至った。この提案が医療の新たな布置を描くことを願い、擱筆する。



