公開日 2026年06月11日
広報部副部長・理事 岩田 俊
パリで不戦条約が締結されてほぼ100年が経つ。だが、その後も戦争によって膨大な生命が奪われるのを人々は悄然と眺めてきた。最初に日本がこの条約を破ってから、多くの大国が、戦争の定義が不十分だとか、どこまでを自衛とよぶか等々理屈をつけては罰則を逃れ、戦争をはじめてきたからだ。現代の「戦争」は、ごく少数の者が、「儲け」のための市場と資源を求めて、よその国でおこす殺戮行為でしかないのに、止めることができずにきた。
しかし、「国策の手段としての戦争を放棄する」という文言は、おおきな人類史の分水嶺であったことに変わりはない。現代でもこの条約は、すべての国を縛る「法的有効性」をもっていることを思い起こすべきだ。
第二次世界大戦の悲惨な惨禍のあとに、世界中の人々はこの文言を国際連合憲章として掲げ、そして日本国憲法の案としても提示した。日本国民は、これを受け入れて決定し、世界で最初に「国のかたち=憲法」として燦然と掲げたのだ。
ポツダム宣言は、日本国民を奴隷化しない、軍国主義者を排除して平和的な国家として再出発できる目途ができれば占領は終わる、といった形で、戦後の出口も示した。日本政府に、民主主義的な傾向を復活させ強化させることへのあらゆる障害を取り除き、基本的人権を尊重するだけでなく、言論、宗教及び思想の自由の確立を約束させたうえで、日本の国民は、自ら自分たちの新たな憲法制定を目指したのだ。
恐怖と欠乏の中で生まれた平和への願いと憲法
戦地から戻った私たちの父、母の大半は、ずうっと、子どもたちに「戦争なんかやるものじゃない」と吐き捨てるように言っていた。戦争で肥え太ったごく少数の人たちを除き、誰もが貧しく、ひもじかった。飢餓地獄で、芋がらまで含んでひとり1200カロリーの配給がすべてで、それも欠配がつづく事態が旧権力者の政府によって放置され、生き延びるには違法な闇ルートに頼る他はなかった。正確な統計すらないが、東京では敗戦後2カ月余りで上野、四谷、愛宕の三警察で150人余りの餓死者を収容したとされる。内地復員者、在外引揚者、あわせて千3百万人余りが、住居と仕事と食物を求めてさまよっていたのである。
当時の人々に、自らの手で、戦争の責任者を明確にさせ、追及できなかったことを責めることは酷だ。戦地での実態、相手側から見える事実、方針決定過程等はずっと後までわからなかったし、それ以上に「生き延びる」ために、誰に頼ることもなく、すべての力を注ぐしかなかったからだ。そのようにして、今の私たちの生命につないでくれたことを忘れてはならない。
だからこそ、当時の人々は「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有すること」を確認して、「国家の名誉にかけて」戦争の放棄と戦力の不保持および交戦権の否認を定める憲法を違和感なく受け入れたのだ。それは、日本だけが「平和」であればいいと言っているのではなく、勇気をもって武器を持たず、全世界の平和とすべての人の人権を追求しようという宣言だったのだ。
戦争は医療とは対極
戦争は、自由、人権のみならず人間の生存すら否定する。生命をつながれた私たち日本人は、どこの国の人々よりも、アジア諸国の二千万人の戦死者だけでなく、東京大空襲、原爆の被災、過半数の民間人を含む飢餓や病気での死者たちのことを心に抱えて生きることになった。
そうした時期に、軍や外地から戻った医師たちは、自分の生活のため、病気の人々のために、それぞれの地域で医療機関をつくり活動を始めた。そして、互いの医療活動を支え、生活を守るために保険医協会もつくられたのだ。
先進各国に比べ、ほとんど社会保障の枠組みを持てなかった日本の国民が、ひもじさから抜け出し始めた段階で、まず求めたのが国民皆保険の医療だったのは偶然ではないだろう。
個人個人の生命の期間は限られたものだ。だから誰にでも病は起こるし、避けることができない「死」がいつか必ず訪れる。その「死」や「病」の過程を、周りの人が寄り添い、等しくその人らしい大切な時間になるようにするのが医療行為である。
だから、無差別に命を奪い、社会基盤を根底から破壊する「戦争」は、私たち医療者の対極にあると考えなければいけない。そこには、国籍も、出身国も、本質的な違いはない。現代では使う薬も医療機器も、治療基準すら国際的な点検が常時行われている。国境なき医師団として、不本意な「戦地」でも、医療を届けようとする医師たちもいるのだ。医療が「平和の中で自分らしい人生を全うする権利」を個別に保障する行為だと考えるのなら、憲法と同じように「国」の枠組みにとらわれてはいけないことになる。
今の日本の医療は、国民皆保険を取り崩そうとしている勢力と、日本国憲法の精神を取り崩し、戦争ができる国にしようとする勢力に取り囲まれている。これらが同時に勢いを増しているのは故ないことではないのだ。
現在の国際法や国際連合に多少の不完全さや未成熟があったとしても、人類が滅亡しない限り、「戦争」をなくすことは必ずできる。ヒトという動物種の最も大きな強みは、理性という、ひとりの人の幸せを、万人が見守り、安心する本質にあるからだ。
わたしたち東京保険医協会は、人生の最後まで、「平和のなかで、その人らしく生きる権利」を医療として保障する活動を発展させるために、国民皆保険を脅かすどのような危険も見逃さないし、日本国憲法の精神を世界に広める必要があると考える。
(『東京保険医新聞』2026年6月5号掲載)


