[視点]「医学部定員削減」の問題点 ―歴史的・国際的視点から考える―

公開日 2026年07月27日

「医学部定員削減」の問題点 ― 歴史的・国際的視点から考える ―

                     

NPO法人医療ガバナンス研究所 理事長 上 昌広

 

  医学部定員削減を巡る議論が迷走している。4月、財務省の財政制度等審議会は医学部定員の削減を提言した。人口減少が進む日本では、2029~32年頃に医師需給は均衡し、その後は医師が過剰になるとの見通しを示した。厚労省も、医師不足ではなく「偏在」が本質的な問題との立場を維持し、財務省と歩調を合わせて、医師養成数の抑制に向けた議論を進めている。

 この対応は妥当なのだろうか。私は20年以上にわたり医師需給を研究してきたが、現在の議論には歴史的視点と国際的視野が決定的に欠けていると感じている。

人口減少は医師養成縮小の根拠にならない

 この議論でもっとも重要なのは、医師数を規定するのは人口ではなく医療需要であるという点だ。医師需要を規定する最大の要因は高齢化だ。日本の75歳以上人口は2040年頃まで増え続け、その後も高水準で推移する。高齢者は受療率が高く、複数の慢性疾患を抱える患者も多い。人口減少だけを理由に医療需要が減少すると考えることはできない。

 医療の高度化も医師需要を押し上げる。小児科は典型例である。過去20年間で15歳未満人口は約26%減少したが、小児科医は約3割増加した。それでも現場では不足感が続く。

 さらに、女性医師の増加や2024年から始まった医師の働き方改革も重要である。同じ医療提供体制を維持するためには、以前より多くの医師が必要になる。人口だけを基に医師余剰を論じることには無理がある。

 国際比較でも日本の特殊性は際立つ。OECD『健康統計2025』によれば、日本の人口10万人当たり医学部卒業生数は7・47人で、加盟国中4番目に少ない。

 一方、日本の高齢化率は加盟国で最も高い水準である。高齢化が進むイタリアやポルトガルでは医学部卒業生数は16~17人台と日本の2倍以上であり、人口減少下でも医師養成の維持・拡大が進められている。

 韓国も同様だ。人口10万人当たり医学部卒業生数は日本とほぼ同じだが、出生率は日本を大きく下回り、人口減少はさらに急速に進むと予測されている。それでも政府は2024年、将来の医療需要を見据えて医学部定員の大幅増員を決定した。

 米国でも、米国医科大学協会(AAMC)は2036年までに最大約8万6千人の医師不足が生じると予測し、医師養成や海外からの受け入れ拡大を提言している。人口減少や出生率低下だけを理由に医師養成を縮小しようとしている国は、少なくとも先進国では見当たらない。

 実は、日本政府はこれまで何度も医師需給予測を誤ってきた。1980年代には「医師過剰」が予測され、医学部定員は削減された。その結果、2000年代には「救急車のたらい回し」や「お産難民」が社会問題となり、医療崩壊が深刻化した。それにもかかわらず、厚労省は2006年の需給推計でも「2020年代には必要医師数を満たす」と予測していた。実際には、その後も医師不足は続き、2007年以降、舛添要一厚生労働大臣の政治判断で医学部定員が増員された。この決断がなければ、現在の医療提供体制はさらに厳しいものとなっていただろう。

「医師偏在対策」の誤り

 現在、政府は医師偏在対策を最重要課題としている。しかし、この議論は前提から誤っている。

 実は、国際比較でみると、日本の医師偏在は必ずしも深刻ではない。OECD『図表でみる医療2025』では、18カ国を対象に都市部と地方の人口当たり医師数を比較している。日本の比率は0・9で、ノルウェーに次いで偏在が小さい。人口減少が進む僻地医療、つまり「消滅都市」での医療提供体制維持という課題はあるものの、日本全体で見た場合、都市部より地方の方が人口当たり医師数は多い。

 その背景にあるのが、1970年代に進められた一県一医大政策だ。各都道府県に医学部を整備した結果、人口規模の小さい県ほど人口当たりの医学部数が多くなった。とくに中国・四国や北陸では、この効果が顕著に表れている。

 このような政策は海外では例外的だ。多くの国では医師が都市部に集中し、リトアニア(3・2)やポーランド(3・1)のように地域偏在が常態化している。日本では、医学部新設と定員増が医師偏在の緩和に一定の役割を果たしてきたにもかかわらず、その認識は政策担当者の間で共有されていない。

 厚労省が医師偏在に固執してきたのは、「医学部定員抑制という過去の失敗を否定するための自己保身(厚労大臣経験者)」というのが真相だろう。このことが日本医師会の利益と合致し、記者クラブを介して、マスコミで繰り返し報道された。そして、国民的コンセンサスとなった。海外の研究を参考に、もう少し合理的に議論すべきだ。

 医師偏在は日本だけの問題ではない。世界各国が都市集中と地方不足に悩んでいる。諸外国ではオンライン診療の活用やタスクシフト・タスクシェア、ナースプラクティショナー制度など、多様な政策を組み合わせて対応している。一方、日本では地域枠や勤務義務など、若手医師の配置を行政が管理する方向へ政策が傾いている。

 地域枠や自治医科大学などの政策は数十年続けられてきたが、その効果は十分とは言い難い。私たちが福島県を対象に行った検証でも、2010~22年の12年間で医師偏在は改善していない。むしろ、福島県立医大が位置する県北部への集中が加速し、偏在が深刻だったいわきや会津地方のシェアが低下している。当初の目的と逆の結果だ。

 海外でも、義務年限を伴う医師配置は長期定着につながりにくいことが報告されており、世界保健機関(WHO)や米国の研究でも、強制配置だけで地域医療を維持することは困難とされている。

 医学部定員は、一度削減すれば元に戻すまで十数年を要する。将来予測には必ず不確実性が伴う。だからこそ、短期的な人口推計だけで判断すべきではない。医師が不足すれば、その影響を受けるのは国民である。一方、仮に医師数がやや多くなったとしても、最も影響を受けるのは医師自身である。将来世代に必要な医療を確保するためにも、医学部定員削減は極めて慎重であるべきだ。

(『東京保険医新聞』2026年7月25日号掲載)