【主張】休業保障の募集再開 今こそ「休保」の出番だ

公開日 2013年02月25日

 「今、ご自身が倒れたら医院はどうなりますか…」

 決して脅し文句ではない。私たちの宿命だ。従業員の給与、患家への対応、リース、融資返済、テナント料、家族…。廻るのは最悪の事態ばかり。かつて、神奈川県の保険医が病に臥せ、遂には生活保護を受給する事態が生じた。

 各県で発足したばかりの保険医協会に突きつけられた大事件だった。1969年に保団連が結成され、創設に携わった都府県の保険医協会が集まって対策を練った。

 「保険医の生活を守らなければならない」「助け合いの制度を創設しよう」。損害保険会社、生命保険会社にも相談したが、当時、会員の実態を勘案すると各社の商品の採用は難しかった。

 「それなら自分たちで、自分たちにあった休業保障制度を作ろう」。団体草創期の先輩方のバイタリティーは物凄い。1970年以降、各都府県の保険医協会が連絡を取りながら、それぞれの協会ごとに制度を創設。10年後の1980年に全国統一をはかり、『保険医休業保障共済制度』が発足した。

 給付を受け復帰した先生が、再び地域医療に貢献し、地域の発展に寄与する。保険医協会ならではの制度である。

 「何か困ったときに助けてくれる。とにかく保険医協会に入ったほうがいい」、お知り合いの紹介で入会された先生も多いはずだ。その際、「『休保』はいいよ」と言われたことも少なくはあるまい。制度の公平性や安定性を保つために、健康状態や年齢で加入条件を設けざるを得ない等のことはあっても、『休保』は保険医の生活を守る協会の象徴だ。

 保険業法の改悪により募集停止を余儀なくされた7年間、諦めず、会員署名を届け続け、粘り強い働きかけを続けた。情勢の好転を逃さず機動力を生かそうと、全国が団結した結果、『保険医休業保障共済保険』として募集再開を迎えることができた。

 社会保障が攻撃され、医院経営が追い込まれ、勤務医の過酷な労働条件がさらに悪化している時、私たちはさらに協力して立ち向かっていかねばならない。 今こそ『休保』の出番だ。「『休保』はいいよ!!」と、声を掛けては頂けないだろうか。

(『東京保険医新聞』2013年2月25日号掲載)

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