公開日 2015年08月25日

8月4日~9日、1万人の参加で開催された「原水爆禁止2015年世界大会」。東京反核医師の会からは、片倉和彦代表委員(協会理事)、渡辺吉明代表委員(東京歯科協会顧問)、向山新代表委員(協会会員)、山﨑広樹世話人(協会会員)、岡部敏彦先生(協会会員)が参加。8月5日に開催された分科会「被爆電車に乗って」の企画・運営に協力した。
分科会では親子を中心に83人の参加者が核兵器廃絶や平和への思いを深めた。当日の模様をレポートする。
被爆70年 世論を高めて核兵器廃絶を



広島、長崎への原爆投下から70年を経た今年の原水爆禁止世界大会では、4月末~5月に開催されたNPT(核拡散防止条約)再検討会議の結果を踏まえて、核兵器禁止の世論をさらに高める必要性が強調された。
世界大会では、NPT再検討会議で核兵器禁止条約について議論されたことや、オーストリアが提案した「人道の誓約」に100カ国以上が賛同したことの重要性が述べられた。
主催者を代表して冨田宏治氏(関西学院大学教授)は、NPT再検討会議や、米国とキューバの国交回復などの動きは、「民主主義、法の支配、抑止力の否定、紛争の平和的・外交的解決という4つの方向に大きく歩みを進めるものだ」と報告した。
特別ゲストの宝田明さん また参加者のムハンマド・アンショル氏(インドネシア大使)は、「NPT再検討会議に際し、日本代表団が大勢で国連を訪問したことはとても心強い励ましになった。核抑止力論を乗り越えるためにも、市民社会の力が必要だ」と指摘した。
このように、世界中で核兵器廃絶を求める声は高まっている。
しかし、原爆投下から70年が経過し、被爆者の平均年齢は80歳を超える。今なお心身ともに苦痛を強いられている被爆者のためにも早期の核廃絶が求められる。
被爆体験を語る坪井直さん 被爆者の坪井直氏は自身の被爆体験を語り、「被爆後も様々な病気に苦しめられ、入退院を何度も繰り返した。今は放射線による3つの病気で2週間に1度は点滴をしなければ生きていけない。もう90歳になるが、核兵器が禁止されるまで命ある限り頑張っていきたい」と訴えた。
世界大会ではまた、安保関連法案の廃案と核兵器廃絶を一体で取り組むことの重要性が報告された他、核兵器廃絶や平和への国内外の取り組みも紹介され、東京の横田基地へのオスプレイ配備に反対する取り組みや、沖縄の辺野古への新基地建設に反対する取り組みの発言もあった。
東京反核医師の会 走り続ける被爆電車に乗って 親子中心に83人が参加



8月5日、東京反核医師の会が企画・運営する動く分科会「被爆電車に乗って」が開催され、親子を中心に83人が参加した。分科会「被爆電車に乗って」は今も市内を走る被爆電車に乗り、親子で原爆が投下された当時の広島を追体験する企画である。
はじめに渡辺吉明先生が、被爆の3日後から現在まで走り続けている被爆電車の解説をした。
被爆電車の中でガイドの案内に聞き入る参加者 その後、映画や広島電鉄(以下、広電)の元社員の話を聞いて原爆の悲惨さや、原爆投下後3日で路面電車を復旧させた人々の献身的な活動等について学習した。
さらに向山新先生から放射線の人体への影響について解説があり、片倉和彦先生が広電で使われていた構内標識を参加者にプレゼントした。
被爆電車に乗車した参加者は、広電本社から広島駅まで30分の行程を、ガイドの案内で旧日本銀行広島支店や福屋百貨店などの原爆遺構を眺め、当時の状況に思いをはせた。
反核医師の会のメンバーと運営スタッフ 参加者からは、「ガイドさんから、原爆遺構のことなどなかなか知りえない情報を聞くことができてよかった」「広電が今も走り続けている意義を深く受け止め、平和な未来を残す努力をしていきたい」などの感想が寄せられた。
(『東京保険医新聞』2015年8月25日号掲載)