公開日 2025年04月24日
地域医療部は3月8日、石川協会の平田米里副会長の案内のもと、能登半島地震の被災地視察を行い、3月9日には石川協会創立50周年記念シンポジウム「能登半島地震と『住み続ける権利』」を聴講した。
2024年1月1日16時10分に発生した石川県能登地方を震源とするマグニチュード7・6の地震は、家屋・インフラの損壊や土砂災害、津波による人的被害をはじめ、観測史上最大級の隆起による漁港等の被害が発生した。2024年9月21日には復旧に向けて作業中だった能登半島を記録的豪雨が襲い、土砂災害や浸水による人的被害や住家被害が発生した。
石川県が公表している住民基本台帳の人口は、被害が大きかった奥能登の市町でも1割以内の減少にとどまっているが、平田氏によれば「体感で避難者のうち半数は避難先から戻ってこない」状況だ。損壊した建物の公費解体の進捗は2025年2月末で48・3%であり、復旧にむけた道のりは遠い。
以下、視察に参加した協会の中村地域医療部長の寄稿を紹介する。
視察記
能登半島地震 復興へ向けての歩みを見る
中村 洋一 地域医療部長
3月8日に能登半島地震の被災地を視察し被災した医師、歯科医師を尋ねた。現地は石川協会の平田米里副会長と小野栄子事務局次長の二人に案内していただいた。
金沢駅を平田副会長の車で出発し液状化現象の激しかった内灘地区、志賀原発、のと里山海道を通り、地震で最大4mの隆起があった能登半島西岸の鹿磯漁港を巡り、輪島市内に入った。あちこちに震災により倒壊した建物や損壊した道路があり、車高の高いSUVだからこそ通行できたような場所がまだまだ残されている。
輪島市の總持寺近くで開業している松原歯科医院の建物は一見無事なようだが、内部は床が傾斜し基礎部分に縦断する亀裂があり全壊認定されていた。それでも時間を短縮して診療しているが、患者数、収入は3割減で再建は見通せない状態だという。院所とは別にある自宅はほぼ完全に潰れていて住める状態ではなく、松原完也先生はここに来ると心が折れる、フラッシュバックに襲われると話した。また復興事業に来ている作業員達の中には荒くれもいてレイプが怖いと娘さんが述べていたと伺った。輪島市内には仮設住宅がたくさんあったが、中には9月の豪雨災害による二重被害にあったところもあった。市内には豪雨で流された流木などが山積みにされていた。
輪島から至る所で迂回路が設けられ損壊が激しいのと里山海道を通り、宿泊地の和倉温泉に着いた。有名な高級旅館など大きな建物はどこも電気が消え、寂寥感一入である。夜はかろうじて営業している居酒屋で、七尾市のねがみみらいクリニックの根上昌子先生、兵庫協会の広川恵一顧問、森岡芳雄副理事長、事務局員らと懇親した。根上先生は地震当日から精力的に活動し、災害女性支援プロジェクトを立ち上げ、いち早く自身のクリニックにシェルターを設け、女性の居場所を作ったそうである。また、車による移動診療を実現して活動できたのも素晴らしい成果と話されていた。
3月9日には石川協会創立50周年記念シンポジウム「能登半島地震と『住み続ける権利』」に参加した。シンポジウムは会員だけでなく一般の参加者も大勢いた。井上英夫氏(金沢大学名誉教授)の石川県が策定した「石川県創造的復興プラン」に対する提言を基調報告に、瀬嶋照弘氏(能登町・小木クリニック院長)、廣江雄幸(輪島市・広江歯科医院院長)、斉藤典才氏(城北病院副院長、石川県JMAT調整本部長)のパネル報告、島中公志氏(公立穴水総合病院院長)の特別報告で構成された内容の濃いシンポジウムだった。最後に役員や協会事務局員が行った被災地の全会員個別訪問による実態把握と慰労がどれほど会員を勇気づけたか、ひしひしと感じた。
輪島朝市(2024 年3 月撮影)
輪島朝市(2025 年3 月撮影)
最大4mの隆起があった鹿磯漁港(輪島市)
隆起により海岸が最大240 m前進した黒島地区(輪島市)
倒壊した建物(輪島市)。公費解体の進捗状況は2 月末で48.3%。復旧の道のりは遠い。
石川協会主催のシンポジウムの様子
倒壊したままの家屋を視察
(『東京保険医新聞』2025年4月5日号掲載)