保険医の生活と権利を守る東京保険医協会

平和リレートーク「戦争はいやだ」

公開日 2016年06月05日

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母方の祖父は外科医で10人の子沢山でした。男4名が医師に。長男が日大、5番目が東京医大、6番目が昭和医大、10番目が慈恵医大、孫の私も慈恵医大で1935年生まれ。

長男は1944年召集され、四国丸亀の連隊で火薬庫の番に当り、爆弾が落ちたら終わりだと覚悟を決めたと云いました。

5番目は1943年陸軍軍医として宇品港からヴエノスアイレス丸でラバウルへ、さらにニューギニアウェワクに上陸、それから九死に一生を得て敗戦の翌年1946年帰国しました。祖母があの子は死んだ、死んだ、夢に見たと泣いていたのを覚えています。ニューギニアでは十数万参戦し、帰還したのは1万余。

帰国後はマラリアと腰痛に苦しみましたが、腰痛は慈恵医大の片山教授に四国までご足労願って、術後経過よく93歳の長寿を全うしました。

6番目は海軍軍医に選ばれた時、天皇から軍刀をいただいたほどでした。復員後自宅で診療中、突然ジープが乗り付け、有無を言わさず連行。トラック島でのアメリカ兵捕虜虐待の罪で逮捕されたのです。皆で嘆願書を書きました。この裁判では、上官が何人か死刑になり、

叔父は幸い死刑にならず、暫くして帰って来ました。しかし、30代の若さで髪はまっ白でした。帰国後は呉労災病院に勤め、幸せな一生を送りました。

しかし心から幸福だったか?どんな美辞麗句を並べようとも殺人には変わりない。日本はまたこの道を進み始めた。

宮本 進(杉並区)

(『東京保険医新聞』2016年6月5日号掲載)